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身銭を切らない人間とは深く付き合って良い事は1つも無い。人付き合いで悩む人は関係の質を意識すると良いかも知れない。

気の合う友人なんてものは簡単に出来るものでは無いし、友人が少ないから何も達成出来ないと言う事は無いのだと思う。
実は人間と言うのは関係性よりも成果や結果、あるいは権威でしか動かない事が多い。

あなたもわたしも、社会空間と言うのはサークル状の層になっている。
血縁、配偶者、恋人、親友を中心とした愛情空間、友情空間を中心に、友人、知り合い、同僚など外側に向かうほど利害関係が無いと関係性が成立しない。

“男子家を出ずれば七人の敵あり”と言うが、つまり、社会に出て活躍をすれば何かしら利害で対立する者、成功を良く思わない者が出てくるのは必然だ。
裏を返せば、「誰とでも仲良したい」「わたしには敵は居ない」と言うのは社会的に誰にも相手にされていない者の証と言えるかも知れない。

先日、40歳も過ぎれば人間関係は増えるどころか、寧ろ減らしていくものだと言う話をとある人から聞いた。
僕の周りはやたら顔が広い者が多く、それを引け目に感じる事もあったのだが、その話はとても理にかなったものであり、救われたような気がした。
勿論、僕の友人達は、皆それぞれの人徳によって人の輪が自然に出来ており、功績や餌をちらつかせてフォロワーと称する他人をコントロールしている人間は1人も居ないのだが。

さて、本題はここからだ。
まず僕の陰口を言うAと言う人間がいる。
そして、僕の陰口は言わないが、そのAと平然と友人関係を保っているBと言う人間が居るとする。
はたして僕はBと仲良くする必要があるのだろうか?

昨今では悪口、陰口が匿名や非公開アカウントで行われるため、BはAの陰口について知らないと言う可能性もあるだろう。
しかし、「人を見る目が無い」と言うのも何かしら本人に問題があるような気がしてならないのだ。
友人関係と言うのはお互いのリスペクトがあってはじめて成立するものだと僕は考えている。つまり、そのような人間と対面した時には、言葉や振る舞いに違和感あって然るべきなのだ。
それに、陰口を言う人間と言うのは、あなたが居ない場所では必ずあなたの陰口も話していると良く言う。

20代から友達と利害関係を混同しがちな世界に片足を突っ込んでいたが、人生の大半の悩み、苦しみがそれだったような気がしている。
だから僕は意図的にこれらの人間との接触を避けてきた。
しかし、最近ではそのような“都合の良い時しか顔を出さない人々”も許す事にしている。
ただし、本人が覚醒している人間に限りではあるが。
とどのつまり、無責任な人間は必ず災いを運んでくる。
身銭を切らない人間とは深く付き合って良い事は1つも無いのだ。

僕が避けている人々がやっている事はただの椅子取りゲーム。
一方、僕が関心があるのは「椅子を増やす方法」だ。
もし僕が新しい場所で新しい椅子を作ったら、身銭を切らない人々と言うのは、それがタダで手に入るのを待ち構えているか、下手をすれば隙を見て盗みに来るだろう。
だから、はじめからこのような人間とは付き合わないのが得策なのである。
友達のようなものをいくら増やしても何にもならない。
それよりも、まず自分が一生懸命になり、結果を出せば人は自然と動くのだと僕は思う。
勿論、容易な事では無い。しかし、生まれた場所、家族、環境など人はけして平等ではないのだから、なんとか自分の居場所を見つけるほか無い。
自分と同じような苦労をしている者同士が結びつく場所をつくるために、僕は何かを作っているのかも知れないと最近よく考える。

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