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僕が「社員の幸せ」について考えるようになった訳

時代の潮流や働き方改革の流れに合わせ、僕は人事として、会社・社員の持続的成長のために様々な取り組みを行ってきた。

基本的な枠組みの構築(法改正対応)はもちろん、そこから派生する応用的な施策(労働生産性を上げるための工夫)まで自分なりに。

結果として一定の効果はあったと思う。会社・社員の活力が全体的に少々上がった気がした。売り上げが増え、風通しが良くなり、社員同士の建設的な会話も増えた。会社・社員それぞれの成長が始まった気がした。

でもそれは根元からの本質的な変化ではなかった。表面上・部分的・短期的な効果で終わってしまった。そして施策の頭打ち….

悩み始めた頃にコロナ禍。よって、元々の悩みを解決したところで、根本的な解決にはならない状況。

元々の悩みと、コロナ禍で新たに出現した問題、そしてこれからじわじわ出てくる問題、まずはこの3つが重なるところをしっかり見定めなければならない。

その上で、会社・社員の持続的成長を支える新たな取り組みについて改めて考え(大袈裟に言えばセロベースで考え直し)、これからの歩みを進めなければならない。

ほぼリセットレベル…. そして目の前にあるのはこれまでとは異なる環境….これは、僕が今いる地方の小さな会社でも例外ではない、今回ばかりは。


であればもう吹っ切れよう。ちまちましたこと、小難しいことは一旦脇に置いておこう。実際はまっさらにはできないが、それを想像して考えてみた。

土台から。

びっくりするくらい当たり前の答えが出た。

会社の土台は「社員」だと思う。社員の土台はそれぞれの「幸せ」だと思う。「幸せになりたい。幸せでいたい。」そう願わない社員はほとんどいないと思う。そしてよく考えれば、その願いは永続的なもの。

幸せを願う気持ちは、土台で、ほぼ全員対象で、永続的なもの。こんな核心的なアプローチ先を、僕はなぜ放って置いたのだろう… 

会社・社員の持続的成長を支える新たな取り組みを、この核心部分から始めれば、それは時代や状況に関係なく、今度こそ根元からの本質的な変化につながるはずだ。

という気づきがあり、僕は社員の幸せについて考えるようになった。

もちろん実際は、「こんな核心的なアプローチ先を、僕はなぜ放って置いたのだろう… 」の答えを知っている。幸せは抽象的な概念であるため、数値等で具体的に捉えることができないと考えていたからだ。要は、重要かつ本質と分かってはいたものの、付き合う自信がなかったのだ。

でも今は一周回って思う。

僕は社員の幸せについて考えるようになった。そして今後は、幸せへの支援を起点に、会社・社員の持続的成長を支えたい。逃げることなく。

そういうわけで、今後は、「そろそろ会社で幸福の話をしよう」というタイトルで、noteを書き進めたいと思う。

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