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脳と体内環境をつなぐ"グリア"とは③ 【グリアデコーディング】

2020年、東京大学の岡部繁男先生を中心にある研究チームが立ち上がりました。

これまでの研究では、脳の情報処理を主に行うのは神経であり、それらによる処理の調節や維持、つまり副次的な役割はグリアが担っていると考えられてきました。

しかし研究が進んだ近年において、グリアが脳と身体の相互作用の中核として多種類のグリアが機能し、さらにその時間的な応答は神経活動よりはるかに多様であることが分かってきました。
例えば、末梢神経障害に反応した大脳皮質のアストログリアは、体性感覚野のリモデリングを引き起こして慢性疼痛を誘起したり、扁桃体のオリゴデンドログリアは、ストレス応答でT細胞から産生される物質により活性化され、うつ様行動を引き起こします。

つまり、グリアも脳の情報処理機構の主人公であったわけです。
とはいえこの考え方はまだまだ発展途上であり、研究すべき点はたくさんあります。そのためにはグリアの機能を脳内で検出する、読み出すこと(グリアデコーディング)が必要であり、脳と身体の間で生体情報が統合されるメカニズムを解明しなければなりません。

このグリアデコーティングプロジェクトでは、分野横断的に様々な体内環境の「プロフェッショナル」を集めてグリアとの関わりを明らかにすることで、学問領域の変革を実現しようとしているのです。

参照:岡部繁男, ファルマシア(2022)58巻9号


ミクログリアによるシナプス制御

人間の大脳は約140億のニューロンから構成され、この無数のニューロンが時空間的に多様な活動を奏でることで知覚や思考、行動、記憶、情動など様々な脳の活動を創出している。このニューロン間の情報伝達を行うため、それぞれのニューロンはシナプスと呼ばれる構造で繋がれている。

軸索とスパインからシナプスは形成されている

軸索にあるシナプス前終末から神経伝達物質が放出され、スパインにあるシナプス後膜の受容体に結合することで情報を送信している。つまりシナプスは神経回路を決定する重要な要素である。このシナプスは生後過剰に作られるが、その後警官や感覚入力依存的に刈り込まれることによって神経回路が精緻化していく。自閉スペクトラム症統合失調症の発症はまさにこのシナプスの刈り込み過程の異常に因果関係があると言われている。そのため、生涯通じて行われるシナプスの新生や除去の機能的な役割を明らかにすることは生理学的に重要な意義を持っている

健常時や病態時におけるシナプス数の変化


ミクログリアは、1919年にPio Del Rio Hortegaにより初めて描写されたグリア細胞である。彼は健常者とグリオーマ疾患の死後脳のミクログリアを比較したところ、その形態が大きく異なっていたことから、病気において形や性質を大きく変化させる細胞として描写した。そのため中枢神経系疾患において性質を変えることで病態の進行に関わるという観点から、重要な研究が多くなされてきた。特にアルツハイマー型認知症においては、ミクログリアがアミロイドプラークの貪食によって病態の進行を抑制する作用と、慢性炎症を引き起こしてニューロンに対して障害的に働くという作用の両方が存在することが議論されている。最近では技術の向上により生きたままのマウスの脳内を観察できるようになり、ミクログリアは絶えず自らの突起の伸長退縮を繰り返し、近傍のシナプスと直接接触することでそのシナプスの活動を監視していることが明らかになった。

先に軽く触れた通り、シナプス除去過程の障害は自閉症スペクトラム症を引き起こすことが知られている。ミクログリアによるシナプス刈り込みに必要とされるCX3CR1を欠損したマウスでは、未熟なシナプスが過剰となり
機能的なニューロン同士の結合が損なわれ、社会性の低下や反復行動といった自閉症スペクトラム症様の行動が観察された。同様にatg7というミクログリアの貪食能に関わる遺伝子を欠損させたマウスでも脆弱シナプスの増加と自閉症様行動を認めている。

また、これらの感覚依存的なシナプス除去過程はそもそも感覚を喪失している動物では過剰に起こることが知られている。マウスのヒゲを除去すると、ヒゲの一次受容野であるバレル野の4層のシナプスが減少することが知られているが、この現象はミクログリア依存的である。バレル野4層特異的にミクログリアやニューロン内でADAM10の発現が上昇し、このADAM10が通常ニューロンの細胞膜上に発現しているCX3CL1を分泌型に分離させる。分泌型CX3CL1はミクログリア上のCX3CR1で受容され、これによりミクログリアによるシナプス刈り込みが誘導される。

また、ミクログリアはシナプスとの接触によってシナプス活動も制御することが知られている。正常時、ミクログリアの突起は1時間に1回、約5分間シナプスに接触する。この接触時にはシナプス活動が非接触時に比べ増加し、神経活動の同期性が上昇することが確認された。LPSの投与によって全身性に炎症を引き起こした場合には、ミクログリアがシナプスに接触してもシナプスの増強や神経活動の同期性の上昇は認められなかったことから、正常時と炎症時ではミクログリアの突起がシナプスにもたらす影響が異なることがわかる。さらに、過剰な神経活動はてんかんやニューロン死を引き起こしてしまうが、その発生を抑止するのにもミクログリアが一役を担っている。神経活動によってニューロンやアストロサイトから放出される細胞外ATPはミクログリアの突起を誘引し、ミクログリアのCD39によってAMPに、その後CD73によってアデノシンへ分解される。アデノシンはニューロンのA1Rに作用して神経活動を抑制し、その結果として過剰な神経回路の同期性やてんかん発作の発生を抑制する。つまりミクログリアは、実際に神経活動をモニタリングして過剰な神経活動が起こりうる状況になった場合にニューロンの負のフィードバックをかけることで脳を守る働きを持っていることが示唆された。

これまで、ミクログリアとシナプスに関して最近の知見をまとめてきた。ミクログリアはニューロン同士を「糊」のように静止的に接着させるのではなく、アクティブに活動して脳内の状態を常にモニタリングしながらシナプスの新生、除去、そして活動の調整を行い、効果的にニューロンを繋ぎ合わせている。今後、ミクログリアを治療標的とすることでこれら機能が異常を示すことにより引き起こされる自閉スペクトラム症などの疾患の新たな治療法の開発に寄与することが期待される。


参照:和氣弘明, 橋本明香里, ファルマシア(2022)58巻9号

和氣弘明 先生
名古屋大学 大学院医学系研究科 教授
自然科学研究機構 生理学研究所  多細胞回路動態研究部門 教授

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