言葉の奥にある思い
幸せな「我慢」と不幸な「我慢」
先日、とっても素敵な年配女性と
少しお話をする機会に恵まれた。
その方とのお話の中でハッ!としたことがあり、
それが私の長年に渡る思い込みに気づく大きなきっかけとなった。
私は「我慢」は、自分が幸せに生きていくために、
なるべくしない方が良いもの、と思っていた。
我慢をしてしまうと、いつかそのツケは怒りやイライラとして
噴出してしまうものだから、と。
だから、自分なりに普段からけっこう細かく、
自分の内側に「我慢していない?」と問うている。
「我慢」という言葉にどこか怯えていたんだと思う。
悪いイメージしか無かったから。
というのも、
以前は無自覚に「我慢」を積み重ねて、
心が悲鳴をあげたことがあったから。
「我慢」は自分の心を知らない間にむしばんでいく、という
イメージを持ってしまっていた。
一方で、
その素敵な女性は、お嫁に行くとき、
お母様から「20年はあなたの時代ではないからね」と
言われたそうだ。
この言葉をその女性は
「家族がみんな幸せに暮らすには、お姑さんを立てて
多少の我慢をする必要がある」と解釈したそう。
そして、
実際に、お姑さんの言動に、
多少なりとも我慢があったようだった。
その女性のもともとの家族が、
そのような考えで暮らしてきて、
「とても幸せだったから」と言っていた。
彼女には、
「我慢」は未来の「幸せ」に必ず続いていく、という
確信があったのだ。
きっとお母様のベースには、
我慢があってもなくても、あなたは幸せになれるから大丈夫よ!という
信念があったのだと思う。
良い意味で、「幸せ」に「我慢」はつきもの、
そしてそれはツライことではない、と
感じていたのだろう。
私の中の「我慢」のイメージが少し和らいだ。
冷静に考えれば当たり前のことだけれど、
「我慢」に付けているイメージは人それぞれ。
だから、言葉の奥にある、その人の想いに敬意を持って
大切に触れていきたいと思う。
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