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「Suicaで」すら言いたくない


緊張した面持ちでレジに並ぶ僕、今度こそは「Suicaで」に想いを込められるだろうか…


まず、全国に散る全てのコンビニ店員様に感謝を伝えなければならない。

あなた達がいなければ、我々は毎日の食事、飲み物、その他生活用品を購入することができないのだから。
24時間営業という勤労の概念を超越したような形態には平伏すばかりである。
この形態の小売店にconvenienceという英語を当てた人にも敬意を表したい。


こう前置きをした上で、声を大にして言いたい。

「Suicaで」と言うのすら、嫌なのである。

これは、本当にすみません、としか言いようがない。
たった四文字ですら発するのが億劫になるのだ。

 
キャッシュレス決済の発展により、スマホで支払う機会も格段に増えた。
僕もコンビニやドラッグストアなど、電子マネー決済を導入している店舗ではほとんどと言っていいほど財布代わりにスマホを取り出す。

リュックや鞄から財布を出す手間が省け、小銭を探す手間が省け、お釣りを計算して支払う手間が省け…いいこと尽くしである。
これらに加え、財布にお金がなかったとしても、数瞬のモバイルチャージでお金を下ろすことができる。
こんなにも効率性・利便性がアップしたのに、僕にとって一つだけ、電子マネー支払いの欠点がある。

それが、「Suicaで」の短い一言である。
 
僕は交通マネーのSuicaで支払うことが多い。
なので、レジ前で一番使う言葉が前述の四文字になる。
 
たった一言、たった四文字と思う人がいるだろうが、たった一言でも、たった四文字でも発したくないのである。
セルフレジがあるなら自分でやりたい。
全ての面倒な作業を全部引き受けるから、自分でやりたい。
しかし、まだそこまでのコンビニも数少ないため、仕方なしにレジ前で口を開く。
 

これが例えば、「からあげクン一つ」「Suicaで」の合わせ技になると、もう恥ずかしい。
唐揚げを西瓜で買うなんて等価交換にもならない、というくだらない冗談が思い浮かんでしまうほど、恥ずかしい。
まだ「からあげクン」は自分が心から欲した上での発言になるので我慢ができる。
ただ、「Suica」の支払いには何も思い入れがない。そもそも「Suica」とは何なのだ。
すいか、スイカ、西瓜、誰何、翠花、水化、垂下、粋か、吸いか、酸いか…
スイスイ使ってほしいという想いからだろうが、酸い酸い使う僕。
 
 
今日も僕は行きつけのコンビニで買い物をする。
商品を手に、レジに並ぶ。
「PayPayで」「LINE Payで」「PASMOで」
前に並んでいた人達も同じくスマホを取り出し、ピッ、ピッとスムーズに購入作業が進む様子がわかる。スイスイと流れるように、列が短くなる。
 
僕の番。
 
まず、いつ言おうか悩む。
先手必勝、商品を出す前に言ってしまおうかとも思う。しかし、「Suicaで」スタートの受け答えは意味がわからない。
商品をバーコードで読み込んでいる間、とも考える。しかし、作業中にこちらから話し掛けるのもどうかと思う。
結局、いつものように値段の結果発表後、スマホを取り出して決め台詞を言う。

 
「Suicaで」

 
商品を袋に詰めながら、店員様は冷徹に言う。


「支払方法は?」

 
やっぱり。また聞こえていなかった。
スマホを出したことで電子マネーということは伝わったらしいが、意思疎通はそこまでだ。

 
ここまで気合を入れたのに。
僕の想いは、虚しくもレジ前に垂らされた透明のビニールカーテンに遮られた。
僕はいつもスイスイのせき止めの役目を果たす。
二、三回しかないやり取りなのに。たった一言で済むことなのに。

もっと「Suicaで」をしっかりと伝える訓練をしよう。もっと「Suicaで」に想いを込めよう。


もし、この世からSuicaが無くなったとしても、この台詞を発する可能性があるかもしれない。

自分の子供が生まれて、真っ赤な顔が果肉に見えることもあるかもしれない。
そんなとき、「名前、何にしよっか」と聞かれ、「そうだな…Suicaで」と発する未来が待っているかもしれない。
または、余命いくばくもない状況で、病床に伏しているときにみずみずしい果物を口にしたくなることもあるかもしれない。
そんなとき、「最後、何か食べたいものはありますか」と聞かれ、「うーん…Suicaで」と発する未来が待っているかもしれない。
 

発音が違うことは置いといて、そんな大切なシーンで使用する未来を想像しながら、「Suicaで」宣言を続けることにする。

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