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映画「キャラクター」を観たので感想と考察など

2021年公開の映画「キャラクター」を観たので、感想を書いていきます。ネタバレ含みます。

どんな映画?

 菅田将暉主演のサイコサスペンス映画です。セカオワの人の俳優デビュー作として、公開当時けっこうプロモーションしていたのを覚えています。
 画力は高いがキャラクターを作れずに漫画家を諦めようとした青年が、偶然スケッチ対象に選んだ"幸福そうな家"で起こっていた惨劇を目の当たりにしたことで、その事件をモデルにした漫画で連載を勝ち取ったものの、今度は漫画の内容を追うような猟奇殺人事件が発生したり、犯人に接触されて共生関係になったりする作品です。
 お話としてはよくあるサイコもので、特に追い詰めたり追い詰められたりのドキドキハラハラなシーンはありません。漫画を読むように、淡々と進行していく感じです。
 映画ならではのショッキングな死体が並ぶので、血塗れ耐性のない方にはオススメしません。

人物の考察など

 キャストが軒並み演技派なので、演技が気に触るような人物はいませんでした。逆に、演技が上手くて本筋とは関係ないところで、人間関係が気になるほどでしたね。

 まずは、主人公・山城(以下、山城)の妻である夏美について。今作で、実は彼女が一番恐ろしいのでは、と思っています。序盤では、夫の才能を信じて寄り添い支え、中盤では、夫の希望通りに専業主婦として生活し、ラストでは出産と育児をひとりでこなしながら、入院している夫の世話を欠かさない、という絵に描いたような妻です。劇中の彼女には、悪意の欠片もありません。常に優しく、正しく、誰に対しても善意を傾けます。そこが怖い。
 夫から見れば、何が起きても悪態ひとつ見せないことで、逆に挫けることを許されません。夫の実家でも、夫自身が父親の後妻や、その後妻と父との間に生まれた妹の存在で気まずい思いをしている中、笑顔で卒なく立ち回ります。連載を進めるうちに病んでいく夫に対して、体調を気遣い休むことを勧めます。圧倒的な善意の塊が側にいることで、確実に夫はプレッシャーを受け続けているはずです。全く棘のない完全な円であるはずの妻が、その善意によって夫の魂を削り続けているように思うのです。自称・両角の対極にいるような心底の善人ですが、彼女自身の自我が見えることは劇中になく、キャラクターの空虚さ、という点では、実は自称・両角と同じ分類に入るのではないでしょうか。

 次に、殺人鬼である自称・両角(以下、両角)について。劇中で最も彼について気になったのは、山道の車中での殺害方法でした。子供もいるとは言え、車の中にいる四人もの人間をあの感じで殺害するのってだいぶ難しいと思うんですが、そのあたりについては完全スルーでしたね。
 さて、彼については、特異な出自による空虚な人物、という括りだけでは不十分に思います。確かに、コミュニティの影響を強く受けた反動で、"幸せな四人家族"の壊滅をライフワークにしたのだろう、とは思います。
 恐らく、山城が目撃した事件が両角の初犯ではないはずです。完全に妄想なのですが、コミュニティがなくなったことで空っぽの人生を送っている中で辺見の事件を知り、四人家族というキーワードから興味を掻き立てられ、彼に接触したのではないでしょうか。そして、辺見から殺人者としての薫陶と言うか洗礼と言うか、そういったものを受けて、両角の生きる道を照らしてもらったのでしょう。そうして、両角から殺害報告を、恐らくは暗号のような文面で受けており、二人で悦に浸っていたのではないでしょうか。そうした昏い師弟関係から始まり、やがて両角の天才を認めた辺見が、彼の指示で動くになったのではないでしょうか。彼らの行いは、殺人のための殺人、悪のための悪、といった類の儀式であったのではないか、と思います。そうして、互いに自身の存在価値を見出していたのかも知れません。
 そして、ついに山城が両角と出会うことで、新たな伝導が発生したのではないでしょうか。黒沢清監督の"CURE"で、刑事の高部と出会った伝導師・間宮が「太刀以て癒やす」業を継承したように、両角の殺人を共作することで、漫画の師匠曰く「いいヤツ」である山城の潜在意識を刺激したのだと思います。手紙のやり取りで辺見から受け継いだ才能を、漫画を描かせることで継承したのです。山城が両角と対面する前後で、山城の苦悩ぶりが目に見えて違うのは、そのためでしょう。あれは、警察に嘘をついてまで連載していることや、そのせいで事件が続いている罪悪感に苛まれていたのではないだろう、と考えています。きっと、両角から物語の続きを提案されて以降の自分が、楽しんで殺人を描いていることに気がついたから、自分の変化に慄いていたのではないか、と思うのです。

 話が山城に逸れてしまいました。両角に戻りましょう。両角は、山城に顔を見られている事に気を払う様子はありませんでした。それよりも、誰でもない自分が人気漫画のキャラクター"ダガー"になれたことを喜んでいたのでしょう。もしかすると、顔を見られたのではなく、運命的な現象として自分そっくりのキャラクターを描く漫画家が出現した、つまりは両角と同じ性質の人間で、思想を共有できる存在だ、と思っていたのかも知れません。
 終劇間際、彼は判事に対して「僕は、誰なんだ」と問いかけます。空っぽという点で、またも"CURE"の間宮と重なりますが、彼は自身が日本の法治下において、何者でもないことを知っています。その彼が殺人をしたからといって、裁かれる理由が分からないのです。この裁判で、法廷は誰を裁こうとしているのか。被告になっているのは、一体誰なんでしょうか。

 天性のサイコキラーである辺見については、松田洋治さんの怪演が光りましたね。出演シーンこそ少ないのに、強烈な印象を与えてくれました。辺見は両角曰く「今は僕のファン」とのことですが、そうなんでしょうか。両角は欠損したものを探し求めるように生きていましたが、山辺は人を殺すために生きているように見えます。恐らく、両角を利用するためにそのような素振りを見せていただけなのでしょう。パートナーがいた方が、きっと捗りますしね。

 主人公・山城については、既に両角の考察内で本質に触れてしまったので、最早重要なことはありません。触れていないところで気になったのは、入院期間について、です。
 事件後、入院中の山城を見舞う夏美は、既に出産を終えています。また、両角の公判が始まっていることから、少なくとも1ヶ月は経過しているものと考えられます。

参照:刑事事件の流れ
https://keiji-pro.com/columns/219/#toc_anchor-1-8-1

 身体的な怪我は大したことがないにも関わらず、山城は未だ入院中です。これは、精神的な要因で、入院を継続"させられて"いるのではないでしょうか。山城が落書きをするためにペンを手に取るシーン、もしや自殺を図るのでは…と思ったのですが、そのおそれがある場合は拘束されているはずなので、これは違いますね。と、言うことは。警察の監視下にある、ということかも知れません。辺見と接触することで、新たなパートナーシップが生まれないとも限りませんしね。

おわりに

 全体を見ると、最近のサイコサスペンス漫画の典型的な展開で、目新しいところはないものの、出演者の演技が光る良作だ、と感じます。本文中で特に触れてはいませんが、清田を演じた小栗旬さんの、いかにも敏腕刑事らしい乾いた目など、特に印象的でした。
 最近は洋邦問わず、あまり考察欲の湧く映画に出会えていなかったので、楽しみながら鑑賞できて嬉しかったです。こういうテイストの作品、もっと増えて欲しいなあ、と切に願います。(了)

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