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「シュレーディンガーの猫」的思考

おはようございます☀️毎日投稿56日目になりました。今日も頑張っていきましょう!

期待値

   皆さんは、もし高校数学まで学んでいたとすれば、期待値という概念を知っていることと思います。 例えば、サイコロの出る目の期待値は、

1×1/6 + 2×1/6 + 3×1/6 + 4×1/6 + 5×1/6 + 6×1/6

を計算して3.5だと言えます。つまり、1回サイコロをふったときに、どれくらいの値が期待できるかというのを示した値です。

シュレーディンガーの猫

   そこで、「シュレーディンガーの猫」という思考実験をご存知でしょうか?これは、簡単に言うと、箱の中に生きた猫と、同時に箱の中に10分後に50%の確率で毒ガスが出る装置を入れます。その後、箱を閉めて10分経ったあと、箱の中の猫の状態をどう説明するのが適当か、というものです。この時、毒ガスが出たか、つまり猫の生死は外からは分からない状態です。
   結論、シュレーディンガーは「猫の生と死という2つの状態が重なって存在している」と表現し、「箱を開けた瞬間に事象が収縮し、猫の生死が決まる」としました。これは「分からない」ことを「分かる」状態にしてしまう、期待値の力とも言えます。僕はあまり詳しくないですが、シュレーディンガーはこの考えをもとに、量子力学の分野で功績を残したようです。

   この「シュレーディンガーの猫」に倣った思考は日常生活でも様々な場面で使うことが出来ます。

日常生活で使える思考法

だろう運転

   例えば、多くの方がご存知の通り、車を運転する際の運転手の心持ちには「だろう運転」と「かもしれない運転」という2種類があります。
 
   この「だろう運転」をする人の心理としては、「毎日この道を通っているけど通行人や車が飛び出してくることはないから今日も大丈夫だろう」とかいった類のものです。
 
   しかし、「シュレーディンガーの猫」的思考では、事故に遭う可能性がある以上、「今日も大丈夫だろう」と思った時点で既に部分的に事故にあっていると説明できます。
 
   その通り過ぎた時点でようやく結果に明暗がつくのですが、「来ないだろう」と思って突っ込むことは自らを何も無いところから部分的事故に身を投じているわけです。
 
   もし仮に命どうこうはさておき、事故を起こしたら500万円(治療費、慰謝料、損害賠償など)を支払うとすれば、その確率が1000分の1だとしてもその「今日も大丈夫だろう」と思った時点で500万円×1/1000=5000円を道端に捨てているのと同然といえます。こんな愚かな行為があるでしょうか。

バレなきゃいい?

   別の例としては、犯罪に関するものがあります。犯罪でなくても、先生や親の目を盗んで何か良からぬことをしてしまった経験はないでしょうか。
 
   このときの「バレなきゃいい」という心理も、上の「だろう運転」の例と同じです。「バレなきゃいい」と思っている人の多くは、「バレずにすめばやってないのと同然」だという潜在的な意識をもっています。
 
   しかし、「シュレーディンガーの猫」的思考によれば、犯罪を犯してしまったときには部分的に逮捕されているといえます。たとえバレなくても、犯罪を犯した時点で部分的にも逮捕されており、ゼロでは決してないのです。

教訓

   これらの例から得られる教訓は、僕の1つの座右の銘に集約されます。それは、「悪は小なりとも此れをする勿れ、善は小なりとも此れをなさざる勿れ」(ドラマ『Three Kingdoms』で劉備が崩御直前に息子・劉禅の補佐役・李厳に託した言葉)。 つまり、「どうあるか(How I am)」です。もし、たとえ小さい悪事でも、それを続ければ必ず後悔する日が訪れます。「どうあるか」こそが、悔いの無い人生をもたらしてくれることでしょう。

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