ハード・ロックの「そこ」と「ここ」の大切さ。
見出し画像 岡俊彦さん
ハード・ロックってのは「そこやねん!それやねん!」が大事で。勿論他のカテゴリーでも同じやろうけど他の音楽知らんので。
写真 津田郁子さん
その「そこ」ってどこやねん?
やけど、それって「ここやねん!」なんですよ。
マーシャルが並んでたらええってもんやなくて、横にどんなドラムセットが置かれてるか?まで俺にとっては重要やったりします。
って位に生粋のハード・ロックが好きなんです。
わざわざシンバルが横に置かれてて、なんでなん?と聴かれたら
「ん?コージー・パウエルがそうやから」ってのが燃えるんです。
で、コージーになんでなん?って聴いたら
「ん?良く見えるように」的な。
でも実際は手を伸ばした位置がそこ。とかやったりするかも知れへん。
ってくらいに実は繊細。
そのセットを見て「コージーですか?」的なのがアホみたいな子供の会話みたいなもんやけどそれが燃える訳でスパークさせるんです。
写真 津田郁子さん
同じくクライベイビーは左足で踏まんとあかんのです。
なんでかって言うとマイケル・シェンカーがそうだから。
そして恐らくそれを真似たであろう中間さんも左足やから。
となると俺は左足で踏むしか選択の余地が無いんですよ。
これは運命。
写真 津田郁子さん
ハード・ロックってのは原子レベルでそういうもん。
それを皆で共有して共鳴させる。
「ワウってどっちの足で踏むんですか?」
と聴かれたら
「ワウではありません。クライベイビーです。左足です。シェンカーが左足やから。それだけ」
これ位のアホで丁度いいと思う。
俺はほんまにそう思う。
これを「好き」と言います。
好きは盲目なんです。
上手い下手の理屈なんかへの突っ張りにもならん。
そういうのが無くなったと思うから、俺が感じないから俺は新しいハード・ロック、メタルを全く聴かなくなった。俺は不感症なんです🙂
変わってしまったら本物を分かる奴が絶対に離れるんです。
どの世界でも同じやと思う。
本物に近付く、本物になるしかハード・ロックには残りの道が無い。
本物って何?
となると現実的に言うたもん勝ちやと俺は思う。
死ぬまでわからんで、それって。
たがら皆がそう思ってやればいいんです。
自分で勝手の思うのは簡単なんです。
思えばいいから。
人にそう感じさせるのが至難の業。
でも自分をそう思ってくれる人だけを相手にやってりゃいいんです。
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