徒然なき自己表現
こんにちは。伊藤です。
つくばでのイベント開催や学生との接点の拡大など、少しずつ0が1へと変化していく嬉しさと変化へのワクワクと、でもまだ何も成していない不甲斐なさとどうすればうまくいくのかわからない不安と。
最近、というよりもずっといろんな感情に振り回されています。
そんな伊藤の感情を素直に綴ろうと考えるにあたった本がこれです。
書くだけ。されど書くことの、表現することの大切さを学びました。
自分らしく書こう。
少しだけお付き合いください。
自分はどこにいるのだろう?
僕は文章を書くのが苦手。もっと言えば表現することが苦手。
「他の人に変に思われたらどうしよう。」
「この言葉が誰かを傷つけていたら...。」
なんて頭の中に住み着く想像上の誰かに対して恐怖を感じ、何もしないという選択肢を選ぶことがほとんど。
そのくせ認められたい欲求は強いので、変なところで変にでしゃばる。
自分でもまーよくわからないものをもっている。
だから、こうやって文章を書いていても、大体取り繕った体裁の良さげな文章を書くのが基本で、内容が伴っていないと後からもやもやする始末。
「この文章の中に自分はどこにいるんだろう...。」
そうやって自分というものが分からないものを残し続けて、そんな自分を隠して逃げ続けてきたのがこれまで。自分ださいなぁ。かっこ悪いなぁ。
そんな自分を変えていく。そのためにこれを書いている。
ないことに気づくと何かあることがわかる
普段の僕は常に何か新しい刺激を求めている。
熱しやすく冷めやすい僕は、心の赴くままにおもしろいと直感したことにアタックして、新たなおもしろそうなものを見たらそっちへ飛びつく。
退屈な日常がなんだか我慢ならないので、とりあえず何かやっている。
だからなのか、何もないなぁと感じたら何もやる気は起きないし、絶対に手を付けない。おもしろくないなと感じたら確実に嫌悪感を示してしまう。
文章を書いたり、何かを伝えるときは
「これは誰かの刺激になっているのだろうか。学びになっているのか。」
という部分にばかり意識が行く。完璧主義なのだろう。
だから、自分の多くの文章が書いては消されてを繰り返し
「あ、これ必要ないわ。」「つまらない文章だなぁ。」
なんて感じてしまうことで、この世で日の目を見ることはなくなる。
今考えればもったいないことで、
その瞬間に考えていたことはその瞬間にしか表現できない。
のだから、もっと残してあげればよかったなと大後悔。
つまらないとかおもしろいとか、全ての物事に感じる心は自分次第で、人生をおもしろく、楽しく生きていきたいのであれば、刺激を感じるアンテナを多方面に、受け入れる度量を広く保っていることが大切なんだと思う。
ありふれた毎日に大切な人がいること。
毎日当たり前のように食べているご飯が美味しいこと。
仕事があってそれに必死に取り組めていること。
1つ1つが何でもない、特別でもない、どこにでもあるようなこと。
ありふれた日常の中の何もないと感じられる時間の中で、その「何もない」ということを自覚して日常を見れば、きっと「何かある」ことに気付ける。
幸福度が高い人は、多分こういう人なんだと思う。
僕もこんな人に近づけるのかな?
自分を書こう
僕は今、自宅のデスク、パソコンの前にいる。
菅田将暉さん主演の「アルキメデスの大戦」をBGMにこれを書いている。
普段ならこんなことを書かないけど、紹介した本とを読んだこととこれまで書いてきたことが自分となっていて、ありのままを書くということを意識している。隠す必要は全くなく、ただひたすらありのままを書いている。
本音をさらすこと。自分を表現すること。書いて伝えること。
他人に自分を出すことが怖い自分にとっては、こうやってものを書いて、本音っぽいものをさらし続けられているだけでほぼ奇跡に近い。
これができていること、それを感じていること。そんな自分をほめたい。
緩やかにでもこれを続けて、いつか胸を張って
「しっかり自分を表現できている何か」
を残せるようにしていきたいなと思う。
そして、僕と同じような気持ちを抱える誰かにとって、
自分の変化が勇気を与えるものになることを願う。
一緒に、少しずつ変わろう。
では。
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