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東京のデルタを回る③

デルタ、三角州のことです。多くの人が社会の地理や理科の地学で「川が土砂を堆積して作った土地」と学んだのでしょう。
しかし、私たちの首都こと東京が、このデルタによって形成されたことはあまり知られてない!?

東京は川の町ですね。多くの川があるだけでなく、川とともに発展してきた町である歴史的背景を東京都民は知らなければなりません。そうでないと、選択を誤り、気づけば変な東京都議会議員や都知事や条例が成立し、私たちの生活が脅かされるかもしれません。
そんな筆者は東京都民ではなく、東京の植民地ベッドタウンである埼玉県民であるが。

川の町。はじめて東京こと江戸を開発した徳川家康がまず重視したのは川。
かつて江戸湾(東京湾)に流れていた利根川を銚子に移した利根川東遷事業、伊奈忠次ら伊奈家に家康は治水としての河川改修を行わせた。
だけでなく、飲み水としての上水の整備も家康は大久保藤五郎に神田上水の開発を命じた。
何より、船による物資運搬に注目した。それが江戸湾東部(今の千葉)の行徳塩田から生活に必要な塩を運ぶためにつくられた小名木川。
今の江東区は深川あたりに、小名木川を中心に多くの物資輸送用の水路がつくられ、これはやがて江戸に全国の荷物を集散させる要となっていく。

地形的にも、東京は川が作った形となっている。
東京の西の果て、八王子と甲府を分ける関東山地。そして、土砂が積もって伸びている武蔵野台地が、皇居(江戸城)まで伸びている。今の山手線が武蔵野台地の東端だ。
そこから東は、荒川から分離した隅田川を境に江東デルタに入る。
埼玉西北端から東京を潤してきた荒川が江東デルタの東端。ここまでが、いわゆる「下町」といわれている地域で、北は墨田区と南は江東区。荒川を越えると下総こと千葉に近い江戸川区。
かつて江戸は日本橋と北にある浅草が、関東大震災で壊滅の危機となるまで人口密集地帯であり下町はそういう商人や庶民が密集している地域であった。

現在の江東デルタは「東京の東端」というイメージだろう。
北はスカイツリーがそびえたち、両国国技館や亀戸天神などの名所があれば、深川の門前仲町に砂町を経て、さらに南は市場のある豊洲、国際展示場やビッグサイトのある有明、夢の島に新木場などの湾岸うめたて地帯が広がり、開発が進んでいる。これまでの「江東デルタ」の記事にて、隅田川を北上し、荒川を南下しながらその歴史を記述している。


今回の「江東デルタ」をめぐる旅、いよいよこれら新規開発が進んでいる湾岸うめたて地帯を描写して「東京のデルタを回る」記事の締めくくりにしていきたい。無い知性でもふりしぼって描けば、良識ある人々が何か東京の問題点を感じてくれるのではないか(自分の能力のなさによる責任放棄と他力本願!)。
では、みなさんご唱和ください!
「東京△(とうきょうさんかっけぇ)! ヤバイこのΔ(デルタ)!!」

埋め立て地帯に入ります!

銀座のある中央区、築地市場の跡地から埋め立て地に入ろうとします。
いや、ここも元は埋め立て地なんですけどね。家康入府より前は江戸城や日比谷まで海だったので。
家康は神田山(秋葉原あたり)の山を崩して江戸城まわりの海を埋め立てました。これが東京の土地開発の初めでしょうか。埋め立て地第一号です!
で、江戸時代は大まかにどこまで海だったかと言うと、今から築地より入る勝鬨橋より北の石川島と佃島が島で。
石川島は寛政年間に松平定信の政権下、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵によりつくられた人足寄場というホームレスや前科者の更正労働施設があり、社会の歪みに歪まれた人々を救済し一般人となるよう訓練する場所となった。のちに石川島監獄もつくられる。
さらに水戸藩が造船所もでき、のち「石川島播磨重工」(今のIHI)のもととなる。今でも企業と工場が並ぶ地域といえよう。
佃島は大阪方面の佃の漁師が入植した島で佃煮が有名。やがて旗本の石川重次が拝領することで石川島となり連結されるが。明治時代に築地に連なる「築島」から「月島」となったようで、今や「もんじゃ焼き」で有名になった場所ですね。
まとめると江戸時代までの江東区の海岸線は、東西線の門前仲町(富岡八幡宮)や木場(荒川で運ばれた木材を貯めた場所)あたりだったよう。

やがて、関東大震災の瓦礫を用い、豊洲や有明、東雲などの埋め立て地ができはじめます。
さあ、まず江東区ではありませんが、かつて魚市場で栄えた築地に行ってみましょう。豊洲市場に移転したあと、現在はどうなっているのでしょうか。
ご覧あれ!

解体され更地になった築地市場あと。
市場は解体されたため内市場は消滅しましたが、外市場はまだ栄えているようですね。
小池百合子・東京都知事の「築地は守る、豊洲は生かす」の言葉が生きているのでしょうか。
いや、築地というブランドがまだ活気を残す現地の人の努力でしょうか。
まだ内市場に行けたころ、僕が好きでたまに行った「小田保」さん、センリ軒さんが、この施設に残ってます。残念ながら小田保さんのフライは時間が早く閉店。ここのカニクリームコロッケやチャーシューエッグが食べたかった…(江頭2:50さまの「エガちゃんねる」のYouTubeチャンネルで見てまた食べたくなったのに)
センリ軒さんの半熟卵入りクリームシチューを食べれたのが幸せでした。
あと、茂助だんごの卵雑煮も大好きです!
築地の奥にある波除神社。
明暦の大火は深川など江東区の開発の大きな原因となりましたが、このときの埋め立て工事にて堤防を作るときの激波による困難を鎮めるためが縁起だとか(HPより)。
ちなみに、木場は明暦の大火の工事に必要な木材を貯めることから始まりました。

豊洲に着くのは15時~16時ぐらいで時間が早い市場である豊洲のお店もほぼ閉店でしょうから、築地でお腹を満たしたのはよかったです。
これから勝鬨橋を通って、月島と勝どきのある埋め立て地の島を通過し、晴海大橋を渡って豊洲を目指します(以下にパネルの地図あり)。
さあ、問題です。「勝鬨」ってどう読むのでしょうか?

答えは、「かちどき」。日露戦争で旅順要塞陥落の記念に、工場が建ち並ぶ石川島にむけて作られた可動式跳ね橋。「勝鬨」の「鬨(とき)」とは勝利の雄たけびです。
なんと、橋の真ん中が分かれ、開きます。船を通すためですね。
しかし、輸送の中心がトラックになるとやがて開かなくなりました。
漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」より。
勝どきは去年、職場があり通ってた懐かしい場所。十返舎一九の墓がありますね。
あの、自分の棺桶に花火を敷き詰め、葬式を花火大会にしちゃった東海道中膝栗毛の作者です。
1つ目の埋め立て地こと島を通過します、現在地です。
右が南の地図ですね。上(東)が豊洲、下(西)が築地です。
晴海客船ターミナル。いつか船旅ってのをしたいなぁ。
晴海大橋から。晴海運河が見えますね。
左手(北)がおそらく、隅田川の両国方面でしょう。
この記事の最後に、北の相生橋から見たこの反対側の夜景を見せますのでお楽しみに。
なお、そのさらに北(左手方面)に永代橋などで、以前の隅田川を北上した記事につながります。
晴海大橋を超えたあたり。
左手が豊洲という、東京の新興都市で人口爆発増加中、都市開発絶賛推進中で「ららぽーと」「キッザニア」がある方面ですね。右手が豊洲市場で、今から市場へ向かいます。
豊洲からお台場と新橋を結ぶ「ゆりかもめ」が見えますね。
右手(南)方面が、お台場(中央区南の港区の埋め立て地)、そしてレインボーブリッジを抜けて新橋方面に向かうところ。今日はここまで巡り、次回は台場から東の荒川河口までを目指します。

豊洲市場はどんなところ?

過去に東京に来たことある方々は、やはり東京の市場というと築地のブランドがまだ根強いと思います。
築地から牛丼チェーンの老舗「吉野家」がはじまり、築地から「すしざんまい」を千葉の関宿(チーバ君の鼻先)から生まれた鈴木貫太郎にならぶ有名人「木村清」がはじめ。まあ、東京の台所と言われ、おいしい海鮮が手に入る場所は築地というイメージ。

豊洲市場施設内の見学者用パネルにて。江戸時代は日本橋から、1935年に築地に移り、80年間の歴史を閉じた。

しかし建物の老朽化や設備の不十分さ、狭さなどから豊洲に移る計画が進んでいった。なんと、築地は吹きっさらしの屋根だけついて壁が無い建物で、イメージとしては路地に出店が並んでいる程度。冷暖房もなく風雨が中に入るほか建物もアスベスト建材がほとんどで、狭い中に店が密集しているため、1999年から4期の長期政権を築いた都知事・石原慎太郎のころから移転計画が進められていた。
しかし、2016年に移転が決定したときに小池百合子東京都知事により当然に延期が決定。専門家会議を結成し、土壌や水質の汚染問題を研究するも、結局は法的・化学的にも安全なことが証明された。
しかし、小池都知事はこの問題を自身のパフォーマンスに利用。「安全ではあるが安心ではない」などと迷走する言葉を掲げ、もはや豊洲には施設をつくっているのに棚ざらし状態。豊洲市場の施設維持管理費は1日数百万、年間100億近くの税金がドブに捨てられた状態だ。

当初より遅れ、やっと豊洲に移転され、冷暖房完備でアジア最大規模の最新設備を整えた。あの土地汚染などの問題は何だったのかというくらいに平常運転である。

入口。
入り口の周辺。

小池百合子都知事はテレビに多く出演したことにより知名度があがり選挙も再選。東京は良くも悪くも風を吹かせた人が人気を取りやすい。残念ながら東京にとって有益か不利益かでなく知名度で当選しやすいかもしれない。
あとはテレビがそれを扇動することもある。豊洲市場反対派は、豊洲ヘアピンカーブ地帯(ターレットと言う小型荷物輸送車が走っているときにカーブし損ない事故が多くなると言われた、豊洲移転反対派の議論)も大きな話題としてテレビで主張された。しかし実際は難なく無事かつ普通にカーブされていて。まったく事実に基づかない妄想が主張されているテレビの実態が浮き彫りになった。

ターレ―ことターレットトラック。昔は大八車のような荷車だったが、小回りが利くトラックで、ナンバープレートがあるため公道も走れる。

これら乱痴気騒ぎに、2021年東京オリンピック選手村のある晴海ら臨海部と虎ノ門など都心部を結ぶ環状二号線というショートカット道路という重大インフラの整備も遅れる(築地跡を通るため築地移転延期により工事が遅れる)。


にも関わらず、やっと2022年に全面開通するときに平気な顔してテープカットで笑顔を見せつけた小池都知事。都民の一部は静かに怒りを心に燃え滾らせてることでしょうが(ただ、都知事選には碌な人が立候補しない…)、そんな思いで豊洲のこれからの発展ぶりを見届けてくれればと思います。
市場はマグロの競りの場所に、その周りにいろんな解説のパネルのエリアを見学できます。(競りは早朝のためこの時間帯にはやってません)

市場の機能は、「集荷(たくさんの産地から荷物を集める)」「分荷(たとえば同じ魚などの種類別に区分けする)」「評価(値段をつける)」「決済(中間費用はすべて済ませている)」。
つまり、生産者と小売(店舗)を結ぶ懸け橋としての機能があり、果たして「産地直送があるから卸売は不要論」がまかり通るのかも、これからの議論に必要なことかもしれない。
手やり。覚えたけど使い道がないなあ。
築地ではなく豊洲の小田保さん、センリ軒さん。さらに中華ではやじ満さんなど行きたいお店は当然軒並み閉まってます。もう15時半ぐらいだし。
明治時代に下駄からゴム長靴の専門店となり、界隈でブランドとなる伊藤ウロコさん。

さて、外に出ると場外のお店も見られます。まあ、何度も言うようにたいがい早じまいですが。来年の2月あたりにオープンされる「千客万来施設」。本来豊洲市場開場に合わせるつもりでしたが、これも小池都知事のせいで遅れているようで。(二転三転する小池都政の方針に万葉倶楽部側が激怒したとか)

来年は千客万来がオープンし、東京の一大スポットとして発展するでしょう豊洲。まだまだその可能性を秘めているようにも思えます。
みんながたくさん来て、お魚と市場について勉強して、たくさん買い物をして経済を回せばいいよ!
ゆりかもめに乗り、お台場に向かいましょう。

お台場の今、ダイバーシティって何?

筆者は実は歯医者を予約していたため、この日は帰宅し、別日に再びお台場に訪れました。今度は築地(中央区)の南、新橋と浜松町の南、芝浦からレインボーブリッジでお台場入りします。

ゆりかもめの電車内にて。お台場駅方面から品川の東京湾岸方面をのぞむ。大井のコンテナ船埠頭のあたり。
同じくゆりかもめ車内にて北上し、お台場駅からからレインボーブリッジをのぞむ。
レインボーブリッジができたのが1993年。こういう橋がなかったころは、神奈川や東京、千葉の道路が混雑極まりなかったのだろう。これにより、埋め立て地域を経由することで、神奈川や千葉にショートカットできるのだろう。便利な開発により町は強靭となる!
別日にて再訪問、実は歩いて渡れるレインボーブリッジ。
お台場公園から第六台場まで見える、南の通り。
高所恐怖症のため渡れません。お台場から入口だけ見学しただけです、渡ってませんすいません。
北側。豊洲や晴海、竹芝あたりでしょうか。

お台場と言うと、フジテレビの独特な建物をイメージしそうだが、もとは1853年にペリー来航後、外国船の接近から江戸を守るためにつくられた砲台の設置場。江川太郎左衛門英龍により品川から深川洲崎にかけて数基つくる予定だったが6基完成された。

砲台あと。迫りくる外国からの脅威に備えていた時代だ。
砲台がある周囲の高台。その中の広いくぼ地に陣屋が設けられている。
フジテレビもロックオン!?
誤報ばかり垂れ流すテレビ局は撃ち落とすと良ろし♪
お台場海浜公園周囲。割と砂浜でサーフィンなどもできる。
レインボーブリッジから小さい湾内をぐるり。さっきの台場のあとが遠くに見える位置に。
ゆりかもめの「お台場駅」を目指す。

ってか、外国人がとても多い。っていうか、外国人だらけ。
以前逮捕された外国人YouTuberジョニーソマリ、そして先ほど日本の新幹線とホテルで無賃乗車と無銭飲食のオススメのやり方を紹介・実行していて多くの日本人の不快感を買っているフィディアスを知って。
さらに、以前から川口のクルド人問題や中国の日本の島(山口県の笠佐島)の買収や、中国人などの北海道の各地の水源林や東京の土地買収問題、イスラム教徒などの日本の神社の破壊問題、日本人の常識やモラルが通じないのに、まったくそれに対するシステムを作ろうともしない政府に脅威を感じている僕としては、外国人のこういう静かな侵略(サイレントインベーション)をずっと発信し続けていたい。歴史を知り各地の郷土と民俗を愛していきたいので、多くの人に知ってほしい重大な問題だと思う。
(川口市からは多くの日本人が転居し人口流出が進んでいるとも聞く)
(フィディアスは何度か駅員に拘束されるも病人のふりをして逃亡し、バスの無賃乗車の分は警察に支払わせていた。なぜか外国人は逮捕されるも検挙できずに無罪放免が多いのも変な法体系だ)
日本政府は、ただただ「外国人差別をやめ寛容な日本人になろう!」「外国人を受け入れる多民族国家を目指そう!」「少子高齢化に対して安い労働力として外国人を受け入れよう!」と無造作に受け入れ、何の対策もしていないのが問題なのだ。
このお台場で、日本を守ってくれるように神に祈るしかないのだが…

なぜ自由の女神像か。1889年設置されたフランスパリの白鳥島につくられた自由の女神像を、1998年~99年の「日本におけるフランス年」を記念し、このお台場に移築した。
さらに、フジテレビと臨海副都心まちづくり協議会がオリジナルの自由の女神像をつくろうと1999年にパリの許可を得てつくったらしい。

セントラル広場に向かう途中。商業施設のダイバーシティ東京を目指す。
ダイバーシティは、最近のカタカナ用語に弱い僕は、ダイビングする人用の町づくりという観光業の一環だと勘違いしてました。「東京湾でダイビング? 浅くね??」って思ってましたが、あとで調べたら「ダイバーシティ=多様性」のことらしい。
たしかに多様性に寛容であるべきだと思うし、衆道文化があり(僧は寺に、武士は戦場で「男子しかいない」ため。江戸時代まで結婚は親が決めることが多かったため、恋愛と言えば一時の逢瀬、それは男女または男と男というのが一般的でした。)、かつ外国に対しても寛容(織田信長は黒人奴隷に弥助と名をつけ士分に取り立てている、または多くのキリシタン大名が貿易の利益とはいえ外国文化に興味関心が高かった)な日本の歴史であった。
けど、今の自民党政府の野放図なLGBT理解推進法。むしろ同性愛やトランスジェンダーの方々からも批判が出ているほどの無茶苦茶な設定。
祖国や国益、郷土と家族を大事にしたい、つまり「変えるところは変えるべきだがまずは慎重にあるべき」という保守的な僕は、今の極端にハンドルを切って事故がおきかねない極端な多様性に大きな疑問を持つ。

て、ダイバーシティ東京に入るも、普通の商業施設のようで、また機会あれば勉強するとして、今は「今からもっと臨海部うめたて地帯を散策するため何時間歩くんだろう」と思っている僕としては、はなまるうどんで食事をする程度。天ぷらうまぁい。
エコに対するアピールがところどころ見られるのと、半分外国人ぐらいがニコニコと東京を楽しんでいる平和な様子を眺めていた。みんなが日本を好きに楽しんで、日本を尊重し、大事にしてくれれば良いのだが。
目当ては、ただこれ。ガンダムです!

ユニコーンガンダム。ガンダムはそんなに知らないけど、これまでずっと脳内にヘビロテ状態の「ガンダム・水星の魔女」のop、YOASOBIの「祝福」。
そのライブがあったこの広場に来るのも目的でした。
って、ガンダムは子供の頃はよく見たけど、ほとんど忘れている。
コロコロコミックにてSDガンダムのカードダスや武者ガンダム、ナイトガンダムはよくプラモデル買って遊んでた。それ以来、最近になって「水星の魔女」にハマってしまいました。
ガンダムにスポットを当ててるためピンボケ「水星の魔女」ミオリネのアクキー。
違うシリーズのガンダムですが。

最後に、新木場を目指す。

ゆりかもめ「お台場」駅から「東京ビッグサイト」駅に降りる。
先日豊洲市場にてゆりかもめから新橋に去って行った、横断の続きを歩こうとする。
ただ、豊洲市場駅からちょっとワープしているところは許してください!
東雲~新木場を経て、若洲に至るとだいたい埋め立て地帯を回ったことになるかな。若洲の先にある海の森公園と令和島には、東京ゲートブリッジを渡らないといけないけど、レインボーブリッジすら高所恐怖症で渡れなかった僕です。あと時間的にも5時は超えて真っ暗になりそう。

南西の方に、品川と、その先の埋め立て地に羽田空港があります。
国際展示場とビッグサイトから、東京ゲートブリッジが見えますね。
ビッグサイトを超え徒歩で新木場を目指します。長い旅を覚悟。
夜になって怖くならないかな、お腹痛くならないかな、などなどの不安。
徒歩で2時間くらいか。17時くらいに到着、ってことはちょっと暗くなる…?
若洲はちょっと怖いイメージがあるからなぁ。
豊洲とその北にある深川方面。江東デルタですね。ずっと北にある墨田区のスカイツリーが見えます。ここも江東区ですけども、深川や清澄白河とかと違うなぁ。
りんかい線で新宿から新木場までひとっ飛びですね。
工場が建ち並ぶため、自販機もスッキリさせる缶コーヒーの需要が多そうです。
隣のもう1機にはカルピスソーダとかもありましたが。
鉄鋼団地と言う地名も工業地帯ぶりを示します。

またも、難読地名です。「東雲」ってどう読むでしょうか。

答えは、「しののめ」です。明け方とかそういう意味らしい。新しい埋め立て地という意味でもあるのでしょうか。東=日が昇る方=春という意味もあるし。

ただのひたすらの、輸送用のコンテナが並ぶ港ですね。

新木場駅に着きました。ふだんは、浦安などの千葉方面と、京葉線の東京駅と乗り継ぎをするため乗り降りするだけ、なかなか駅の外(以前第五福竜丸事件の博物館を見に行ったぐらい)に出ないところですが。
木の町といっても、もとはもっと北の深川方面にある東西線木場駅が本来の木場(荒川から運ばれた木材を貯める場所)で、新木場は新興の埋め立て地ですが、近くに(まだ訪問してませんが)「木材・合板博物館」があり、木の町を全面的に推し進めています。
まあ、後述しますが、新木場一帯に広がる「夢の島」は「東京ゴミ戦争」に発展した「ゴミの島」となったわけですが…

実は、若洲を1時間もかけて何キロも歩くのが億劫でしたが、行き方をグーグルマップで検索すると、「新木場からバスが出ている」のが分かり。
「渡りに船」ならぬバスで、若洲は工場しかない閑散地域のため帰りのバスが不安ですが、とても有難い展開でした。ラッキー!

ちなみに、若洲に行く理由は、もちろんこの若洲の東が「葛西臨海公園」であり、江東デルタの東端の荒川の河口で、デルタを回る旅の最後にふさわしいのはあります。

しかしながら、もう1つ見ていきたいのが、あの平成はじめに日本を震撼させた事件。「女子高生コンクリート詰め事件」の女子高生がコンクリで詰められたドラム缶が発見された場所でもあります。

胸糞悪い話なので、どうぞ飛ばしてください。
しかし「語り継ごう」という勇気ある方はお読みください。
場所は埼玉県の三郷市。加害者は足立区綾瀬の高校中退で不良行為を続けていた4人。目的は性欲を満たすため。
八潮南高校3年生の少女を見つけ、拉致を行う。そして、顔の形が変わるほどの暴行、火傷、慮辱、それら理不尽な行いを憂さ晴らしの度に何度も行う。想像も絶する慮辱、監禁、一例をあえて言うなら、失禁した少女に激高し顔が腫れるまで殴る。「でけえ顔になった!」と喜ぶ不良少年たち、さらにライターと揮発油で引火して楽しむ。その後精神の限界を超えたのか、少女はわざとステレオにぶつかり痙攣をはじめる。
不良少年たちは何日も繰り返し、朦朧とする少女の「もう殺してください」の哀願を茶化し、殴る蹴る、鉄球をたたきつける、引火するなどを夜8時から10時まで繰り返した結果、10時ごろに少女は息を引き取る。
少女の異変に気付いた男どもは、翌日にドラム缶を用意し、コンクリートで敷き詰め黒いゴミ袋に入れガムテープでしばり、当時埋め立て地で有刺鉄線に囲まれた荒れ地で家電製品などの不法投棄も多かった若洲に遺棄した。

不法投棄のゴミの中、発見は遅れ、3か月後の3月末に、工事現場でドラム缶は発見される。

バス停のシャシー整理場前を降り、横断歩道を渡る。
この少女の遺体が見つかったとされる現場だ。
この辛い事件を忘れないようにするためか、せめて少女への安らぎか。
この工場地域に不自然に佇む菩薩像に、注目をせざるを得ない。
今でも、備えられる飲み物。小岩井カフェオレ、甘くて美味しいんだよ。女子高生の青春をまだ満喫し、これから人生を謳歌してほしかったのに。僕のものじゃないけど、飲んで笑顔になってくれるといいなぁ。
なぜにこんなに理不尽に人は消えていくものか。祈りながら泣きそうになる。
住宅地もほとんどない、工場と更地が広がる埋め立て地。
…次の目的地のゲートブリッジを目指します。
実は、次の東京散歩、人々に忘れてほしくない凶悪事件の現場を巡ることも考えているけど。
心挫けそうだ。宮崎勤やオウム真理教事件とか、世田谷一家事件に八王子スーパーナンペイ事件。凄惨な事件現場を描くのも何の意味もあるのかわからないが、検討中。
羽田空港が近いため、飛行機がたくさん飛んでます。

さあ、いよいよゲートブリッジと渡るつもりがない「海の森公園・令和島」です。

東京湾の西を眺めるということで、良い夕闇の空を見れるかと思ってましたが。何という絶景でしょうか。歩いた疲れが吹き飛ぶ思いです。

富士山ですね。
有明・豊洲・東雲などの夕日を浴びたシルエットが見れるのが、これまでの旅の良さや辛さをひっくるめた祝福を浴びている気がします!
鉄鋼団地とかあったけど、何の工場でしょうか。
ちなみに、東京湾はこれからも描いていく予定で、千葉の京葉工業地域を前の記事で描きましたが、現在川崎など京浜工業地帯を取材中です。
川崎も眺め見ようとしましたが、羽田空港の向こう側ですね。
向こうが羽田空港かな。
ゲートブリッジを渡ろうとするも、この昇降口が16時半をもって閉鎖されました。
高所恐怖症で渡れず、あと時間も遅く真っ暗になり遭難の可能性もあるし、渡った向こう側は歩いていけない(品川・羽田方面は自動車道だけの海底トンネル)ため、言い訳が成立しました!
バスで新木場に戻る道すがら、葛西臨海公園の観覧車が。ここが利根川の河口ですが、なかなか近づくことができませんでした。
工場群の帰宅ラッシュ時のせいか、17時代の新木場駅方面のバスはとても多く安心です。
歩くと1時間、数Kmか?

新木場駅からちょっと散歩。ゴミの島だった夢の島です。
そういえば、こないだ杉並区の高井戸にあるゴミ戦争の博物館に行ったので、シンパシーを感じます。

高井戸のゴミ戦争歴史みらい館にて。館内は撮影禁止のため、おおまかにいうと、夢の島の被害の分散地として高井戸の清掃工場が決まったことによる、都知事(美濃部)と住民たちが争ったとか。
wikIpediaの「夢の島」の記事は、もっとハエが付着した服などが見られます。
ハエの殲滅作戦の実行。
その夢の島に廃棄された、もと第五福竜丸。
1954年にアメリカの水爆実験にてビキニ環礁で被曝し、死者も現れたことで話題になりました。
第五福竜丸は遠洋漁業のマグロ漁船のため、とれたマグロは築地に出荷。
仲卸業者たちはどうすべきかわからず、築地に埋めたようです。

おまけ。新木場から越中島へ、佃島と石川島辺りの江東デルタに戻る。

都内の駅にしては、閑散としている駅として有名な越中島に行ってきました。
あと、ここも江東区。北は深川、南は月島で、旅の締めくくりに良いと思いました。

東京海洋大学のすぐ前のため、駅は栄えてません。
構内に重要文化財の船「明治丸」が展示されてます。
相生橋を渡り、月島へ向かいます。
右手に永代橋みたいなものが見えます。隅田川ですね。
こっちが晴海(右)と豊洲(左)方面でしょうか。
目の前の旧晴海鉄道橋の向こうに、最初に勝鬨橋を抜けて豊洲に入ろうとした晴海大橋があります。
明るいうちに埋め立て地帯を南から、暗くなって埋め立て地帯を北から。

海の森公園と令和島、あと有明の倉庫群とフェリー乗り場のある埋め立て地(ビッグサイトの向こう側)は行けなかったのですが、たぶんゲートブリッジを横断するには、一度生まれ変わらないといけないと思うのでご容赦ください。

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