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東京のデルタを回る②
前回は江東デルタの西側の境目、隅田川を北上&南下し、江東デルタこと下町(低地)の歴史(発展と悲劇)を描きました。
今回は江東デルタを東側の境目を歩きます。
その境目が、荒川です。
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埼玉の西、東京の東を縦断する荒川
荒川は、甲武信ヶ岳から秩父へ流れ、埼玉北部の山間部を東は熊谷まで横断したあと、南へ流れます。
埼玉の川口から東京の赤羽にある岩渕水門にて隅田川が分岐しますが、さらにやや東へ流れ、そこから南下する辺り。前回は隅田川を北上しここまで来ました。
さあ、これから江東デルタ、東側の荒川に沿って歩きますが。
その前に、荒川について、これまでいろいろ調べてきたので、語らせてください。
遡ると、荒川はここから来ました。埼玉の北西部、秩父。まず、秩父と、甲武信ヶ岳のふもとの大滝まで飛びましょう。
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荒川をいつかまとめて語りたいのですので、ここでも荒川の資料をたくさん載せたいのですが、ここで語るべきは江東デルタですので、以下8枚だけ。
まずは、かなり上流の荒川から。
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旧・大滝村での荒川、大滝歴史民俗資料館にて。
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熊谷から南下し、鴻巣で日本一の川幅を持つ荒川。
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さらに中流へ。埼玉の西側、大宮台地と武蔵野台地の合間を流れてきた荒川。
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そろそろ本題ですね。下流部、江東デルタに向かいますよ。Δ(デルタ)!
荒川はやがて、埼玉の浦和と朝霞と和光の境目あたりに彩湖を残し、戸田赤羽から江東デルタ北端の北千住を西→東へ横断し、東京の東部は下町低地を南下する。
その辺りに戻ります。はいどーん。
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ここから南に、隅田川と荒川の間に広がる、なかなかキレイな三角州ことデルタΔが見えますでしょうか。
墨田区と、北は葛飾区に南は江戸川区を分けますが、デルタ側である墨田区を南下していきます。
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さよならー。
江東デルタの東を荒川沿いに南下する
さあ、長い前置きからやっと、江東デルタの東側である荒川を南下する話になります!
すいません、モタモタと。
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荒川を越えて、総武線の小岩(江戸川区)に入る前。
両国、錦糸町、亀戸の先の平井から南下します。
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大島からさらに南、ここには荒川ロックゲートがあります!
この辺りに江戸時代、荒川の水運や千葉茨城方面から運ばれた荷物を、江戸の町・浅草などへ輸送する船を管理した「中川番所」がありました。
その手前、中川と荒川に行き来する船の交通と水流を調整する小松川閘門(1930年~)の後継。
これが荒川ロックゲートです。
いやはや、暗い。暗いよ…
見えにくさ、最悪ですね。
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で、浅草に荷物を運ぶ、つまり江戸の水運の大動脈として作られた運河「小名木川」の東端もここ中川番所です。
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小名木川は、もとは江戸へ行徳塩田の塩を運ぶため家康が作らせた運河。この下町は、やがて小名木川中心に竪川、横川、横十間川、仙台堀川などの運河が張り巡らす。
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この日は、これで帰りました。
さて、実はここまでは茶番です。
暗くて本当にすみません。
ちゃんと先日、明るいときに取材し直しました!
平井駅から、デルタ東を周り直します!
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ちなみに三河島は荒川区です。
そろそろ荒川の土手、もといスーパー堤防の縁を歩き始めます。
荒川との再会です!まだまだ明るい!!
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荒川を南下しつつ、周辺のようす。
亀戸、そして江東デルタの南東部である「砂町」です。
門前仲町や深川の東にあたりますね。
砂町も、南砂町、北砂町、東砂町、新砂町があり、もとは越前生まれで大阪の福島区の開拓を行っていた砂村新左衛門という農民かつ土木技術者が明暦の大火の後でここを開拓したのが由来。①でも深川が大阪(摂津)出身の深川八郎右衛門により開拓された話と同様ですね。
砂町の南は、今の東京湾岸エリア、埋め立て地の新木場駅のある夢の島。
ちなみに、砂町から荒川を越えると江戸川区の葛西、さらに江戸川を越えると千葉は浦安です。
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平井と亀戸の南、砂町の北の大島ですね。
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明るいから堂々と荒川岸に近づけます。
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改めて荒川ロックゲートです。
先ほどは暗闇の中、小松川閘門、中川番所、小名木川という重要スポットを示してすいませんでした。
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ロックゲートこと閘門。
つまり、荒川と中川(旧中川)の標高が違うため、船が水位の差で渡れない。
水門を片方閉ざし、片方開くことで、閘門内の水位を上げ下げし、船が通りやすくなる「船のエレベーター」というしくみで、このような閘門式運河は埼玉の見沼通船堀や名古屋の中川運河、遠くはアメリカ大陸のパナマ運河がある。
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目的を果たしたつもりで東大島から帰ろうとしました。
しかし、やはりふと、「江東デルタΔを周るのだろ!」と神様というか脳内に怒られそうなので、行けるとこまで歩きます。
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やはり、荒川の土手もといスーパー堤防の縁は、これら建物に対し高い目線。
デルタ内の地面は川より低い。
ここから、かつて学校教育で学んだ、木曽川など中部地方の「輪中」、さらには東京などの「ゼロメートル地帯」という言葉が脳内に響く。
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江戸川区葛西の空。
ちなみに連続2週間出勤が法に触れるとやらで、例外的に次の日お休みいただきまして。
なので、千葉駅あたりでホテルをとり、明日は千葉の国分寺とかを散策する予定。
夢の島、見えるかな?
いつかこの「江東デルタを回る」旅、最終回用に、これら湾岸埋め立て地エリアを歩かないとな。
さあ、やっと荒川の南端に着きますよ!
平井駅から荒川ロックゲートは近いのだが、この荒川南端までは、運動不足の中年妖怪チビデブハゲにとり、長かったです…
しかも、南端は行き止まりのようで、電車に乗るにはまた数10分くらい同じ道をUターンして戻るしかない。
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荒川が東京湾に注ぐ、南端にきました!
葛西臨海公園の観覧車が見えますね。
東京からディズニーランドに行ったことある人、手前のあの観覧車です。
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僕が千葉の奥地に行くと、なぜかいつも雨天なんです。
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で、実はすでに荒川の「もう片方の南端」は行ってました。
今年5月の葛西臨海公園です。ここの対岸ですね。飛びまーす!
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対岸の葛西臨海公園からの荒川をご覧ください。
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対岸から荒川を北上しています。江戸川区葛西です。
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近年、人口であの中国を抜き、国名も改名しようと勢いづくインド。
在日インド人の三割が都内に、そしてその四割が江東区と江戸川区。
埼玉の川口ではクルドの人々と日本人の衝突が問題視されているが、ここはそういうこともない。
ただ、江戸川区インド村を初めて調べるくらい見渡す限りのインド系の方々、とくに裸足で歩いていた人もいて、グローバル化の波と警戒心を持ってしまう。
この日は、葛西臨海公園から清砂大橋を渡り、東西線の南砂町駅から新宿の高田馬場駅に戻り帰りました。
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で、今日も同じく南砂町駅へ。ホテル予約した千葉に向かいます。
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小名木川と中川番所
都営新宿線「東大島」駅よりすぐ、中川番所資料館にて、荒川と隅田川を結び下町を繁栄させた、江戸の物流大動脈の「小名木川」を改めて描き直します。
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まず、江東区こと下町低地(東京低地)のデルタ地帯の歴史を再び。
浅間山や富士山などの火山灰が積もった土地であり、関東山地から土砂が崩れ積もった武蔵野台地。武蔵野台地については以前詳しく「崖線を行く」で描いたしこれからも描くだろう。
東京散歩の自然地質編である。
昔の荒川や利根川が流れ、土砂が海につもり、この低地が作られました。
もともとは、亀戸辺りに初めての集落ができたよう。
横十間川などの川筋はあれど、江戸時代にこれらは運河として開発されたよう。
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家康により行徳塩田の塩をショートカットで運ぶようつくられた小名木川だが、やがて荒川や中川や江戸川(利根川から分流)から北関東の、千葉や茨城から運ばれたもの、さらに利根川(銚子まで東遷)にて運び入れた東北の物産などを隅田川を経て浅草の蔵屋敷にて取引する、江戸に運ぶ物流の中心地となる。
小名木川と中川(荒川)が合流するところに、中川番所が置かれる。
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中川番所以外に、川の関所については、以前「くるくる、くるり」にも描いた「関宿」や「金町松戸」などもある。
「くるくる、くるり」では利根川の物流で栄え、伊能忠敬なども生んだ土地、小江戸の佐原も描いた。
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江戸時代の東京(江戸)湾。明治から、とくに戦後に湾岸部がどんどん埋められたのは、千葉市の工業地域の記事に浦安市のこともふくめて描いた。
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小名木川の、あたかも現代におけるトラックなど自動車のラッシュのごとき水運の様子。
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下町とくに江東デルタへの人口移動の始まりは、明暦の大火だ。
これも、あたかも関東大震災後さらには東京大空襲(太平洋戦争)後に、武蔵野台地方面(新宿や池袋や渋谷から西武と多摩にかけて)ドラスティックに人口が移動したことと似ているだろう。
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さて、ささやかだが、地元の産業。
漁業は、江戸前の魚や貝類の漁獲、海苔の養殖もはじまる。もとは家康が摂津(大阪)佃島の漁民をここに移したことから。
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江戸野菜は、小松菜、中川空豆、砂村丸茄子、亀戸大根など近郊農業が発達。
江戸野菜については、やっちゃ場の千住の青果を描いた「街道の町・埼玉」にて。
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明治になると物流を活かし、ここに工場が建てられる。鐘ヶ淵紡績(カネボウ)、浅野総一郎の浅野セメント、渋沢栄一の東京瓦斯(ガス)など。
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江東デルタの洪水
さて最後に、三角州ことデルタΔならではの自然災害、洪水の様子について。
赤羽にある荒川知水資料館「アモア」にて描いていく。
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南下してきた荒川が東へカーブするあたり、赤羽の岩渕水門近く。
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徳川とその配下の伊奈氏(忠次や忠治)による利根川の東遷(東京湾に流れていた利根川が東の銚子へ移し変えられる)事業は有名だが、実は荒川も利根川に合流しており、西遷の結果、今の流路へ。
関東を洪水に浸してきた、荒川である。
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元の荒川は墨田の名が付けられ隅田川となる。
江東デルタ、まわりの土地と高さを比べてみよう。
まず千葉の谷地などが広がる下総台地。ここも武蔵野台地と同じく、崖線(真間やハケともいう)が目立つ。
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次に、武蔵野台地。崖線は皇居や山手線の東端だ。皇居のふもとが日本橋、そして隅田川。
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江東デルタ、低いよね!
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断面図。地面が川より低いです。
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中流から、洪水の様子を見ていきます。
荒川については改めて記事をまとめます。去年もそう言ってましたが。
けど、中流から下流に入る赤羽にも、上流の埼玉県立川の博物館にも上里町にも、避難用の水塚(水屋)のあとなど、洪水資料も残っている。
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また再取材の必要もあるかもしれないから、まあ気長に待ってくれるとうれしいです(誰も期待してないかもですが)。
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鴻巣から川島町までのびる地域。川幅日本一。
水害に悩まされた結果か、住居も密集していない、田畑が広がる地域。
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赤羽の岩渕水門。
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明治時代の下町の水害。
さらに、亀戸、千住、今戸と浅草あたり。
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以上。
隅田川により発達した下町と震災と戦災を前回描きましたが今回は比較的、川や洪水について描けたかと思います。
みなさまも、浅草や両国、隅田川、門前仲町や深川など、またはスカイツリーを見たときに、その華やかさの裏側について考えてくれればと思います。
蛇足
P.S. 今日はおやすみ頂きました。
12連勤をオーバーしそうだということで。
なので、また千葉に行こうと、千葉市内の安宿を確保し、そのついでに、江東デルタを回ろうとしたわけです。定休の月曜日は好きな博物館巡り、ことごとく休館だし、以前歩いた荒川南下の写真、アリかなと見てみたらダメすぎたし。あの、暗闇の真っ暗の。
で、とりあえず火曜臨時に休むから、国分寺と国府をまとめる機会もあるだろうから(まだ武蔵と下総と相模と常陸しか調べてないが)、上総の国府と国分寺のある市原に行こうと企てていたのです。市原の博物館はなかなか良さげ(Googleマップのコメント読むだに)なんなら、また館山行くか印旛沼とか八千代とか、千葉には行きたい博物館が山ほどあり。もう埼玉とか東京とか全部見たし。
なので、メインは市原。できれば近くの袖ヶ浦や木更津の博物館を巡ろう、で、月曜日はしかたないから、あの暗闇の荒川南端のリベンジでもしようと。
…でね。
まさか、しゃあない荒川南端が今回のメインになろうとは。
千葉市にホテルをとり、火曜はまず千葉県立中央博物館に行ってみた。
千葉市郷土博物館は以前行ったものの、千葉氏て地元武士の紹介がメインなので、県立の方も覗こうと思ってた。
たぶん、千葉の歴史を総合的にとらえたんだろう、と。
しかし、調べたらチバニアンとか生物や自然系ばかりで。歴史の展示はあるが、そこだけ写真NGなのね。
けどせっかくなんで覗いてみた。
駅からかなり遠そうだし、入館料800円。
結果、わりと楽しめた。房総半島の成り立ち、漁業、農業のようす、町の変化。
僕の大好きな民俗方面の関心を刺激してくれ、結局11時半から13時まで見まくる。
で、メインの市原歴史博物館へ。
のんびり、本屋で漫画買ってました。「これ描いて死ね」好き。
で、15時に最寄り駅まで来て、下調べしてたら、Twitterがあったので覗いてみた。
「9月12日から31日まで、企画展準備のため休館。」
電話して聞いてみたら「はい、次は10月1日です。」
ゴフッぅう…
血を吐いたような思いでした。
バス来るまで30分待った矢先です。
急いで、近場の博物館を探す。15時半、袖ヶ浦は到着時刻16時55分。アクセス悪いし、ついても即閉まる。
木更津、これは行ける!16時半。あわてて、電車に乗り、電車で問い合わせた。
「来館は16時半までです。」
ギリ行ける? 駅から徒歩20分だし、走る、いやタクシーか!?
と思いきや、スマホ検索より一本前の電車に乗ったらしく16時に着くようで。
一応急ぎましたが、木更津のちょっとした山の上で、吐きそうな思いで見学は全うしました。
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明日から、12日連勤、がんばれそうです。
どうしよう、必要な準備はまだまだこれからだ…
なのに、駅から徒歩一時間の、市原の工場夜景を見に行ってしまった…
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