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自分を放棄してないかい?


変な日本語で意味深なタイトルに
なってしまったことをご了承頂きたい。

サラリーマンは、自分放棄である。
サラリーマンの世界に
勝利というものはそもそも存在しない。

誰かに評価され、誰かと比べられ、
数字を求められ、役職をつけられ、
常に戦わないといけない環境でもあったりする。

果たして、その戦いで勝った者は
勝者であるのか。
そもそも、その働き方に勝利は必要なのか。

立ち止まって考える人はどれくらいいて
実は感じながら生きている人、
全くそうは感じずに生きている人、

どれくらいいるのだろうか。

僕は、サラリーマンという職業に
ゴールは存在しないものだと考える。
ありそうで結局ないという言い方がベター。

今日、私は他の会社の人事異動の話を聞いた。
誰々さんが課長になったんだってさ。と。

上司たちからしたら
かなりビックニュースであったらしい。。

僕は、へえ。と。

昇進欲なんて、一ミリもない。ことに気づいた。
(既に気がついていた。)
昇進したいと思って生きている人って
何がその人にとって幸せなんだろう。

僕には会社員を一年間やってみて感じた、
結局、何も残らないんじゃないかと

サラリーマンは、日々の業務に追われ、
自分という存在を放棄しすぎている。
そして自分というものを放棄するのは
あんがい楽であったりする。

自分が本来やらなければいけない仕事なのか?
自分じゃなきゃ変えの効かない存在なのか?
自分の将来に必要なことなのか?今か?

おそらく違う人も多いのではないだろうか。

僕には、その行為は
自分を放棄しているように見える。

もちろん、給料をもらうというのは、

会社のために働き利益を
出さなければいけないわけだ。
それを否定するのであれば
会社員をやめれば済む話でもあったりする。


だったら、お前が好きに会社を辞めろよ。
これが世間から僕にかけられる言葉の
一つであることも間違いはない。

自分を放棄すること、
それは簡単なのだろうか。
苦しむ自分がいる人も
中にはいるのかもしれない。

僕は、自分を放棄するのが難しい。
それは時に非常に苦しいと感じる時さえある。

サラリーマンという職業は
歳をとる事が非常に怖いものだと思う。

過度な責任が乗ったり
多忙な毎日になったり…

そんなことよりも
歳を取るにつれて自分という存在を
放棄して生きることを当たり前に
生きられる体質になってしまう点だ。

自分を放棄すること、
それは簡単なことである分、
簡単にしてはいけない行為でもあるのだと思う。

書いてみて、「自分放棄」という言葉、
あんがい悪くはない響きであるなと感じる。



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