35mmフィルムと中判フィルムの比較
ライカM3とプラウベルマキナ67をぶら下げて歩いているのを見かけたら、高確率で僕です。
今回は、この2台で撮影した写真を見比べてみます。
35mmは、ライカM3+ズミクロン50mm+ネオパン 100ACROS
中判は、プラウベルマキナ67(ニッコール80mm F2.8)+フジカラーPRO160 NS
まあ比べようがないと言われればお終いですし、モノクロとカラーネガだったりとわけがわかりませんが、雰囲気をお楽しみください。
35mm
中判フィルム
レンズは35mm換算で50mmと44mmなのでほぼ同じ画角。
どちらもマニュアルでISOもほぼ同じなので、ほぼ『ほぼ同一条件』だとほぼ言えるでしょう。
まず違いといえば、フォーマット。
35mmは言わずと知れたいわゆるフルサイズで、縦横比1:1.5の24×36mm。
プラウベルマキナ67が6×7判のフォーマットで、縦横比1:1.25の6x7cm(実寸法は55.6x69mm)
なので、写真の縦横比がまず違いますね。
6×7はあまり見かけませんが、35mmよりワイドな感じがするので風景には最適です。
そして画質ですが、中判フィルムは35mmフィルムに比べて6x4.5で2.7倍、6x6で3.5倍、6x7で4.4倍にもなるフィルムサイズの差があります。
デジタルカメラでもセンサーサイズは正義なんて価格コム界隈ではいわれていますが、要するに画質的には大きいことは良いこと=真理です。
なぜならデジタルでもフィルムでも、取り込める情報量が物理的に大きいことは当然なので。
ということで、中判フィルムの写真は、細部まで緻密な描写なのにボケはとろ~りという贅沢な一枚に!
特に末端の枝までボケながらも潰れずに写っているところは、クラっときますね。
ですが35mmと4倍以上も違うかといわれると、僕の目にはそうは見えません。
35mmはしっかり写りますし、一本のフィルムで6×7判は10枚しか撮れませんが、35mmは36枚撮れますからね。
35mm
中判フィルム
この日は曇天で暗い森の中なので、思い切って開放で撮りました。
こう見ると、中判フィルムのボケは前も後ろもたまらんとろけ感ですね。
35mm
中判フィルム
横写真だと35mmが見慣れている感じが強いですね。
6×7の縦構図が嫌な人は6×9をおすすめします。縦横比同じですので。その代わり、120フィルム一本で8枚にしか撮れないというね(笑)
35mm
中判フィルム
う~ん、モノクロとカラーネガでは比較対象にならないなあ(笑)
今回はフォーマットの違いや、ボケ感なんかを参考にしてくだされば幸いです。
中判フィルムの方が写りが良いのは当たり前なんですが、写り過ぎるのが気になる方もいるでしょう。
35mmのフォーマットが好きだったり、少し砕けたくらいの画質の方がフィルムらしいなんて思う人もいることでしょう。
今回の無理矢理比較は、個人的嗜好の再確認であり、そしてフィルムカメラが欲しい人予備軍を沼に引きずり込むフィルムカメラの多様性の披露という企画でした。
M3とマキナ67について
かたや歴史的なレンジファインダーカメラの雄、かたやある意味歴史的な中判レンジファインダーカメラの裏ボス。
レンジファインダーカメラって、そもそも現在販売されているものは殆どないですよね。
レンジファインダーカメラの良いところは、写真となる撮影範囲外が見えるところ。とにかくここでしょう。
ミラーショックがないことよりも、撮影範囲外がファインダーを覗いたときにも見えるという点が特筆すべきポイントです。
そのために一眼レフカメラのような厳密な構図が撮れないというデメリットもありますが、それでも撮影範囲外の世界を見ながら撮影できるというのはレンジファインダーカメラならではのものです。
これは使ってみないとわからないですが、とにかく視界が広ければ広いほど撮影行為自体に打ち込むことができます。
一眼レフカメラの場合、見える範囲即ち結果です。ボケ感も把握しながら撮影ができます。ですが結果を見ながらの撮影ですので、結果がわかりきってしまんですね。
それこそ一眼レフカメラの良いところなんですが、レンジファインダーカメラを一度使うと過程→過程なんです。
シャッター切ってもファインダー内では何も起こらず、何もなかったかのように景色は連続しています。
フィルムカメラですら、一瞬結果が垣間見れる一眼レフカメラと違い、レンジファインダーカメラは常時撮影行為の過程が浮かんでいるような状態です。結果論ではなく、結果に囚われること無く、撮影自体を楽しむことができます。
手段と目的が入れ変わるという昨今のあらゆる場面で起きている構造が、機械的に起こり得ないんですね。
レンジファインダーカメラとは、あくまでも手段であり過程のまま撮影ができるカメラであり、「今ここで」撮影している自分が主役なカメラなんです。
そんなレンジファインダーカメラの名機ライカM3と迷機プラウベルマキナ67、両方とも開発秘話だけで本が書けるくらいストーリーを持っているカメラです。
M3は言うまでもなく歴史を変えるくらい画期的なカメラとして有名です。M3が無ければ、今のカメラは存在しなかったといっても過言ではないでしょう。最新のデジタルカメラにも、M3で初めて採用された技術が残されていますからね。
プラウベルマキナ67は逆に異端の存在です。カメラ好きのカメラ屋の富豪が、己の嗜好性をブチ込んで製品化した昭和の伝説。もちろん売れませんでした。
ですがその出自のおかげで、本体設計はコニカ、レンズはニコンという珍しいカメラになりました。見た目のインパクトで面食らいますが、意外に使いやすくて、アラーキーなんかも使ってました。
要するに何が言いたいかというと、僕はこういうストーリーを持っているモノが好きなんですね。
正直高かったです。同じ金を出せば、最新のデジタルカメラのまあまあのやつが買えました。
でも、最新のデジタルカメラって、歴史に残るような存在にはおそらくならないでしょう。
なんせ最近のデジタルカメラは、数年で新製品が出て、5年もすれば投げ売りされています。
ライカM3やプラウベルマキナ67は、発売されて何十年経ちますが、今でもけっこうな値段します。
中古価格が落ちないのが良いという意味ではなく、数十年前の製品に今でもそれだけ需要があるという点です。そこにはストーリーがあるからこそ、人々が欲しくなるわけです。
単純な撮影機能であれば、最新のカメラが良いのは当たり前。ですが、それは結局スペック競争化した現代の製品の消費構造に飲み込まれるだけな気がします。
それは大いに結構なんですが、僕のような天の邪鬼人間は、そこで得るものの刹那的な優位性だけでは満足できないんですよね。
結局、スペック競争だけの世界は、資本主義経済が続く限り終わりがないので。
ライカM3やプラウベルマキナ67は、資本主義経済の主流からはとっくの昔に弾き出されたモノであり、今やアンティーク的価値という側面が強いでしょう。
ですが、カメラはアンティークでも使えるんです。ここにストーリーと撮影行為が合致します。オールドカメラやレンズにはただのアンティークとしての消費ではなく、製品の品質がバラバラであったグローバル大量消費社会以前の「試行錯誤」を愛でるという嗜みがあります。
実際に使用できる、前時代の人間の熱い情熱なのです。
当時のカメラは、伸びしろが途方もなく広すぎて、群雄割拠の戦国時代です。なので、中には尖ったピーキー過ぎる製品もありました。
そういった尖った製品というのは、現代見当たりません。グローバル化は富をもたらしましたが、それ故に経済合理性重視の均質化した製品だらけになりました。※ずいぶんカメラメーカーが減ったのもその一環
消費=悪だとは思ってませんが、均質化した製品の打算的なスペック競争は、かつてのワクワク近未来感が感じることができません
逆説的に、機能が進化し尽くした先にあったのはカオスでなく、自然淘汰による中央値への集中だったのです。
結局、「カメラに何を求めるか」がその人の唯一の正解でしょう。
僕のような撮影行為自体が好きで、せっかく高い買い物だからストーリーも欲しいという業突く張りには、ライカM3とプラウベルマキナ67はベストチョイスだったと思います。
もちろん撮影結果なり、結果の写真プリントの出来不出来なり、まだまだ修練が必要ではありますが、何せ家から持ち出す準備をするだけでも楽しいカメラです。
撮影行為自体とその前後を含め、常にワクワクさせてくれる本質的な部分をくすぐる機械。
日々のルーチンワークの隙間を彩ってくれる存在であり、少しずつ生活に差異を生む装置であり、写真が撮れる機械。
結局、カメラとはなんぞやの個人的な答えがここにあるということです。
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