📖折口信夫『死者の書』を読む

読書会にて折口信夫『死者の書』を読んだ。魅力あふれる作品だった。会の内容を踏まえつつ、私見を述べていきたい。

本作は全20節の文章から構成されている。最初に小説の概要を説明し、次に全20節の要約を示す。

大津皇子の逸話

このうち、一～五は幽霊（滋賀津彦しがつひこ／大津皇子おおつのみこ）に関する話である。政争に敗れた大津皇子は、24歳で自害してしまう。儚い死であった。それゆえに後世の人々は大津皇子を偲び、逸話を語り継いできた。

ももづたふ　磐余いわれの池に　鳴く鴨を　今日のみ見てや　雲隠りなむ
――大津皇子

大津皇子の辞世の句である。自邸のある磐余いわれの地で自害を遂げた。磐余は奈良盆地の南側。東大寺や法隆寺の奥にある。

当麻曼荼羅伝説

六以降では、主に中将姫ちゅうじょうひめの当麻たいま曼荼羅まんだら伝説の話が描かれる。中将姫が蓮糸を用いて編んだタペストリーには、曼荼羅が宿っていた。奈良県の當麻寺たいまでらに語り継がれる伝説である。作中では、郎女イラツメが中将姫にあたる。

当麻曼荼羅伝説といえば、能『当麻たえま』が有名であろうか。とはいえ、私は全く能を鑑賞したことがない。この能の存在は、小林秀雄の「当麻」という評論を読んだときに初めて知った。評論「当麻」は『モオツァルト・無常ということ』（新潮文庫）に収録されている。

そして十五では、この二つの物語が月食のように重なり、幽玄な一つの交響曲になっていく。これ以降、幽霊となった大津皇子を鎮めるために、中将姫は蓮の糸からタペストリーを編む。編んだタペストリーには、曼荼羅が秘められていた。……という所で大団円を迎える。

全20節の簡単なあらすじ

　一：幽霊（滋賀津彦しがつひこ／大津皇子おおつのみこ）が目覚める。
　二：塚から聴こえる幽霊の声。間違った方法で鎮められた魂。
　三：老女が幽霊の噂を、郎女イラツメ（中将姫）に語る。
　四：幽霊が郎女を自分の妻だと勘違いしていることを、老女が語る。
　五：幽霊の視点。夜明け。そして、新しい物語の幕開け。
　六：物語の切替。写経に取り組む郎女、俤びとを見る。
　七：郎女の神隠し。女人禁制の當麻寺たいまでらにうっかりと入ってしまう。
　八：奈良の不穏な雰囲気。政争の予感。（視点は大伴家持おおとものやかもち。）
　九：大伴家持、神隠しに遭った郎女の家に迷い込む。
　十：敬虔な才女である郎女。
十一：”法華経”と鳴いている鶯の声。蓮の糸。
十二：郎女の物忌みと贖いを求める當麻寺側の話。
十三：郎女、阿弥陀あみだ如来にょらいの夢を見る。
十四：やまと心と漢意からごころ。唐の模倣ばかりが続く政治の中で。
十五：二つの物語の接点。幽霊と郎女、夢での邂逅。
十六：蓮糸の収穫。
十七：機織りに夢中になる郎女。
十八：安らかな気持で機織りを続ける郎女。
十九：白昼夢を見る郎女。何か物足りない織物。
二十：幽霊を弔うための織物が完成する。曼荼羅模様のタペストリー。

本作の魅力

『死者の書』には色んな魅力がある。古代の人々の心情を隈なく映し出す懐かしい文体。混沌とした物語をまとめていくオノマトペ行。やまと心から漢意へのダイナミックな転換を表現したストーリー。エロスと仏教とが結びついていく意外性。……本作の魅力は語り尽せない。

しかし、記事として整理する必要がある。そこで本作の魅力を３点に纏めて語ってみたい。

①　物語を結晶化させるオノマトペ行
②　やまと心から漢意からごころへの転換
③　色恋と仏教との結びつき

①　物語を結晶化させるオノマトペ行

した　した　した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。
――『死者の書』青空文庫「一」

「した　した　した。」、これは水滴の垂れる音である。『死者の書』では、度々オノマトペの行が挿入される。オノマトペ行が挿入されるにしたがって、文章はリズムをまとい、時系列の乱れていた物語が段々と整理されていく。最終的に物語は、一つの結晶、一つの曼荼羅になっていくのだ。オノマトペが局所的な表現としても秀逸でありながら、物語全体にも影響を与えている。これが面白い。

また、「こう　こう　こう。」という呼び声の表現も興味深い。この表現は、「乞う」という動詞を想起させる。いわば、この「こう　こう　こう。」の声は助けを求める声である。オノマトペの趣深い言葉遊びになっている。（先ほど挙げた「した　した。」もそうだ。「した」は「滴したたる」の「した」だろう。駄洒落がよく活きている。）

さらに面白いのが、鶯の鳴き声の部分だ。

　ほほき　ほほきい　ほほほきい――。
――『死者の書』青空文庫「十一」

この「ほほきい」は「法華経」のことらしい。前世で御経手写を果たせなかった魂が鶯になったようだ。こういう言葉遊びが、物語の背景として、物語そのものに絡まっていく。古典に親しんでいる折口の妙技である。

②　やまと心から漢意への転換

「やまと心」から「漢意からごころ」への大胆な思想の転換とそれに伴う哀愁とは、本作の重要なテーマである。特に、第十四節にはそれが色濃く示されている。少しばかり引用してみよう。

新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土もろこしの才ざえが、やまと心に入り替ったと謂いわれて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思いもうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。
――『死者の書』青空文庫「十四」

大伴家持おおとものやかもちと藤原仲麻呂ふじわらのなかまろが話している場面である。唐の政治制度を模倣していた仲麻呂が、意外にもやまと心に通じていた。思わぬ理解者を発見した家持はそれを喜んでいる。本線の物語（大津皇子の逸話／当麻曼荼羅伝説）から逸れているが、この部分は作品のテーマを示す重要な箇所だ。

さらに、物語の展開に従って、小説そのものの文体も変化している。『死者の書』の序盤は、登場人物の台詞によって物語が進む。また、やまとことばも多く用いられている。一方で、物語の終盤では、地の文の比率が増加し、台詞の比率が減少している。頻繁な漢語の使用もみられる。序盤では饒舌であった語り部の老婆も、ほとんど登場しなくなってしまう。

③　色恋と仏教との結びつき

【色恋と仏教が結びつく話である】というのも興味深い。普通、色恋と仏教とは水と油の関係にあるはずだ。女性の出家によって恋愛関係が破綻する説話は数多い。皆様も学生時代に、古典の試験でそのような文章をよくご覧になったことだろう。

だが『死者の書』では恋愛と仏教とがうまく結びついている。大津皇子と中将姫との情熱的な関係が、仏心に向かっていく。この逆説的な展開が読者に爽快感を与える。そういう構造が実に面白い。

余談

書きたいことはまだ沢山ある。が、ここで一旦筆をおくことにする。書く時期は未定だが、もう一度、本作を特集してみたい。あらすじを記すと文章が長くなるので、次の記事では”あらすじ無し”で。

謝辞

読書会に参加してくださったyuki氏、ジャブジャブ氏に感謝申し上げる。