継続する力

 コツコツと続ける「だけ」のことができない方で社会は溢れているとオッサンになり感じる。
「継続は力なり」ってある程度までは真理だろうし、ただ続ければ自分なりの成長は必ずあるのに、みんな途中で投げ出しがちだよな。
ウォーキングとかジョギング、自宅で行うプチ筋トレ、日記や家計簿etc……。
自分で決めたことなのに何故か続けられないのだ。
続けることが苦痛なくらいに嫌なことなら最初からやらなければいいのにと思うのだけれど。
何で始めちゃうんだろうね。
不思議。

 仕事の力もプライベートで行う趣味も、近道をせずに面倒臭がらずに、コツコツと地道に経験を積み重ねていくしかない。
ただただ続けていれば、ある程度の強さは確実に手に入るんだから。
しかも周りのほぼ全ての人間は続けることすらできずに勝手に脱落していくのだ。
やり得だよな。
一足飛びに何かを得ることができない平々凡々なぼくたちパンピーに唯一許され与えられた力は、放り出さずに続けることなのではないか。
なんせ自分の意思だけでやり遂げることができるんだから。

 筋トレを開始してすぐに胸板も腕も厚くならないことは誰でも理解できるだろうに
「良い(善い)人間になろう」
みたいな精神的な目標はすぐに叶うと人は勘違いしがちだよな。
それも筋トレと同じことで、目標とする理想の善さを目指すのならば、ただただ常に善くあろうと自らを律し続けるしかない。
その状態が自然になるまでは淡々と意志の力で自分自身の内側のクソみたいな部分をねじ伏せて、善性を示す。
すぐになんてなれないぞ。
何年かかるかわからない。
それでも善さを目指すのなら続けるしかない。
絶対に途中でやめることなく、放り出すことなく、自らの意思で理想の姿に近づいていく。
その活動ってわりと人間にしかできない、この地球上で人間だけが示すことのできる美しさなのではないか。

 肉体的な怠惰さも精神的な怠惰さも人間を蝕む。
自堕落に自分を甘やかして過ごすと癖になる。
死ぬ瞬間までに自分自身をなるべく理想の姿に近づける。
そのために必要なことを日々積み重ねていく。
小さな親切、薄っぺらい博愛でいい。
意識してそれを行うことで、いつか自然で深い形で行われる幅広い博愛が身につくと信じている。
自分の内側のクソさとか、性格や能力の劣悪さは痛いほど理解しているけれど、いつか善い人間に至るまで、そのための行動だけは止めずに生きていたい。
例えそこに至ることはできなくても、善さを目指していたい。
そのために生きている。

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