ふつうを増やす

俺は、
人が当たり前に出来ることを上手くできない、
みんながふつうに経験出来るような事が自分には難しい、出来ない

「でもこれが自分だ」
「出来ない」んじゃなくこれが自分の「ふつう」の状態だ
「人が一週間で覚える事を僕は3ヶ月かけて身につける」、でもこれは「出来ない」んじゃない、「3ヶ月かけて出来る人間」なんだ。
僕にとってはこれがニュートラル!
「お前は仕事が出来ないんだ」なんて他人の「ふつう」の尺度で計られる意味なんか無い


でも、以前までの自分は違った。
「みんなの様に出来る様になりたい」
「みんなと同じでいたい」
「今までみたいにみんなと仲良くしたい」
「おかしいな、何で出来ないんだろう?」
「何で失敗するんだろう?失敗すると怒られる。みんな僕を怒ったりいじめるのは当然なのかな?」

「ふつう」にこなせる様に、振る舞える様に、
たくさん工夫したよ。練習したよ。一生懸命話を聞き取ろうとしたよ。メモに残したりしたよ。でも100点はとれなかった。一つでも間違ったら馬鹿にされた。嫌な顔された。ハブられた。


「どうして“出来ない”ってレッテル貼られた僕が他人の“出来る”に合わせる為に人一倍努力しなきゃいけないんだ!苦しいよ!、、、、、でも出来る様にならなきゃ!頑張らなくちゃ!、、、、頑張ったよ!疲れるけど、苦しいけど、みんなと一緒に並んで笑顔でいたいから我慢して来たよ!」
「笑顔でお話ししたいよ!」
「みんなと一緒の思い出に残りたいよ!」


「でも、もうよくわかんなくなっちゃったよ」「みんなに合わせる癖がついちゃったけど、何が心地良いのか分かんなくなっちゃった」



あすかさんに助けられて
自分のニュートラルな価値観を知って、
背伸びして「出来る」を目指さなくてもいいんだと思えて
「わからなくなったら人を頼ればいい」
「出来ないことがあればお願いすればいい」


「そうか、自分は自分のままでいることがフツウでいいんだ」
「フツウ」のままで幸せになれるんだ
「良かったぁ 楽でいていいんだ^ ^ 心地よいなあ」


でも
他人の思う「ふつう」ではない僕の「フツウ」は
職場や親や親戚、一部の知り合いには受け入れてもらいにくい。
「ふつう」を要求されてる感じがまだまだ苦しい


ラブスタで環境の力を実感した
ここでは僕の「フツウ」も受け入れてくれる
もちろんみんなの「ふつう」も存在する
でもぶつからない。

ここでは “ふつう”に“フツウ”がプラスされて増えてる様に思える

これが「ふつうが増えた状態」なのかも^ ^
こんな環境がもっと広くなっていけば
「無理に頑張らなくても自分のニュートラルのまま幸せを歩ける」そんな世界になっていくんじゃないかな!

世の中にもっと普通を増やして、
もっと色んな普通を加えてみんな楽に生きていけるようにしていきたいなあ。

環境づくり、僕も仲間を増やして環境を広げる輪を作っていきたい。
今、狭苦しさを感じてる人、これから先そうなりそうな人、みんなを少しでも楽にしてあげて、同じ志を持つ人が増えたらいいな



これが、
「ふつうを増やす」
のキャッチフレーズなんだよね。

今回この話ができて、
今日初めて、
ここまでしっかり自分に潜りながら考えることができたよ。おかげでこんなふうに言葉で表現することができた。今回まりあんぬと話せて本当によかった。ありがとう。

やっと言語化出来た!
涙いっぱい出て来た。
やっぱり僕は、自分のままで受け入れてくれる社会を望んでるんだな、と思ったよ。

でもその中には
一般的な「ふつう」に合わせる努力を
僕が一方的に努力しなきゃいけないなんて理不尽だ!
っていう「不満」が含まれてる
それを自分でも少し醜いな、と思ったりもしてる

「僕は多くの人と違うフツウで生きてるけど、こういう人達は当たり前に存在してるんだよ」という感覚を世の中に広めたくてみんなの前に出て行きたいんだ^ ^

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