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鎌倉に戻ることになった目的は、ビジネスを成長させること|台風19号(ハギビス)から1年経って見えてきたこと

1年前(2019年)の10月12日、台風19号が日本に上陸しました。

その出来事を経て、僕の人生の舵が大きく切られました。

しかも、年末年始に意図していた阿蘇への移住は先送りとなり、生まれ故郷の鎌倉に留まることになっています。

それから1年経った2020年の10月12日は、鎌倉に留まるということになった意味が見えた。奇しくも、そんな日になりました。

当初は不本意だった

ハギビスがもたらしたインパクトは、人それぞれだと思いますが、僕にとっては、あの出来事が、その年の夏頃から薄々と感じていた「そろそろ奥多摩を離れるべきだ」という流れが確信に変わった出来事でした。

年明けて3月に奥多摩を退去。

その辺りの流れは、コチラの記事に書きました。

奥多摩からの退去を決めた時点では、春先には阿蘇に移住することを意図していました。ところが、再婚、コロナ騒動など、まさかの出来事が重なり、短期的な滞在地として位置付けていた生まれ故郷の北鎌倉にいる期間が、当初の想定より長いものになりつつあります。

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北鎌倉を拠点にすることは不本意に感じていました。

しかし、その後、僕の中で起きてきている変化を俯瞰してみると、鎌倉に長くいることになった意味づけができるようになりました。

自分のビジネスを成長・確立させる期間

見えてきた意味。

自分のビジネスを確立するための期間にするというものです。

コロナ騒動が落ち着きを見せ始めるに従って、僕の中で、コーチングを軸に自分のビジネスをしっかり育てようという意図が育ち始めました。
もちろん、今までもありましたが、今にして思うと、それは非常にユルいものでしかありませんでした。

鎌倉に留まるのは、そのための時間として用意されたのかもしれない。

客観的に見ても、いくらオンラインで仕事ができるとはいえ、地方にいるよりも東京近郊にいるほうがビジネスを育てやすいのは間違いないこと。

鎌倉近辺に住む仲間も多く、彼らと改めて繋がりたい。

今日は、そのことに気づかされる1日になりました。

鎌倉との関係を癒す

同時に、鎌倉との関係を癒す、というものも感じています。

僕にとって、鎌倉の地はは生まれてから約30年間を過ごした街です。

多感な時代を過ごしたということもあり、幼い頃、若い頃の悲喜交々が鎌倉の地と複雑に結びついています。

この数年の僕の生き方の変化を通じて、そろそろ、この辺りを癒すことができるのではないか。それができるチャンスとして、このタイミングがあるのだろうと。

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最後に

2019年の台風19号から人生の流れが変わって、大好きだった奥多摩を離れ、生まれ故郷の鎌倉に戻ってくることになりました。

その台風からちょうど1年経ったその日、鎌倉に再び住むことになった意味が見えてきたということについて書きました。

こういう意味づけは、何重にも折り重なっていますから、他にも大小あるかもしれませんね。

僕だから提供できるものがあります。それが、必要とされている方に、より良い形で届けられるように。

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