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わたしのレッスンノート*学ぶ*

・今回のおはなし

わたしの中心から~
今ここを活きる。

アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。


わたしはアレクサンダーテクニークを
学ぶのにナゼ、こんなに多くの
時間とお金が必要なんだろう。。。

と疑問に思ったときもあります。

こんなにいいものなのに
多くの時間とお金が必要なことで
トクベツなことになっているのでは?と。


でも、今は思いは変わっていて
自ら、能動的に学ぶ姿勢がないと
なかなか分からないものだからです。

アレクサンダー・テクニークは
施術でも治療でもありません。

自ら「自分の使い方」を学習するものです。

決して、受け身で
分かるものではありません。

先生と生徒は、立場(立ち位置)が
異なるだけで、対等な関係です。

先生の“手とことば”のお手伝いで

能動と受動は同時に起こります。

共鳴、呼応といってもいいか。


どちらか一方的ではなくて、
役割も分からなくなるような。

なので
生徒だからといって
受け身なのでもなく、

先生だからといって、
一方的に教える訳ではありません。

合掌のように
右と左の手のひらが
合わさることで、

何かが立ち上がるように

触れ合うことで、何かが起こる。

気づきも起こる。

これが学びの姿勢なんじゃなかろうか。


このことが
からだを通して分かったとき
大きな変化がありました。

それまでは、
自分が受け身だったことも
あまり自覚になくて、

知らずしらずに学ぶことに
受け身になっていたようです。

先生の手が触れたときに
それを感じようとして、幾度も
自分に入りそうになっていました。

そうではなくて、
先生の手に応えるように
からだから手に触れ合ったときに

ああ、なるほど〜

とからだが識る感じです。

学ぶたのしさがわかった瞬間でもあります。


2022/10/1/mayumi@kyoto

ひつようなひとにもとどきますように :)

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