1999年度慶應義塾大学法学部小論文模範解答

問題は東進過去問データベースにて入手できます。

生徒が学校から出されていたお題で悩んでいたので、一緒に書いて小論文です。戦争責任、日韓関係についての問題です。なかなか考えさせられました。慶応志望者以外にも一読して欲しい内容です。

模範解答

 戦時中の非人道的な行為に対する責任とその償いをどう果たし、「過去の克服」にどう取り組むか。戦後類似した歩みを辿ってきた日本とドイツだが、この問題に対する両者の間の落差はあまりに大きい。戦争犯罪について約九万人のナチス党員を自国で裁判にかけたドイツに対して、日本は極東国際軍事裁判とBC級裁判という他者からの制裁に限られる。また戦後補償について見ていくと、ドイツが早い時期からあらゆる方面に多額の補償を行ってきたのに対して、日本では自民族中心主義が貫かれ、アジア諸国への加害責任について思いをめぐらすことはまれであった。「加害の論理」を欠き「被害者意識」のなかにまどろんできた日本において、問題が政治的に決着されることはありえても、被害者の理解と納得を得るような謝罪と補償の道は安易に切り開かれない。
 以上が筆者の戦争責任に対する見解である。これに対し私は概ね賛成の立場だ。しかし、筆者の指摘する「加害の論理を欠いた」とは、具体的に何を意味するのだろうか。
 日本は全く戦争責任を償ってきていないわけではない。アジア諸国への補償も行ってきた。しかし、同じ戦争責任を償ってきたドイツとの決定的な違いは、戦争責任の取り方の自律性と理念の有無だ。本文中にもあったように、ドイツは戦後一貫して自国主導でナチスを厳しく糾弾し、それはどんな例外も認めずに裁いてきた。それに対し日本は他国の制裁が中心だ。そして何より日本に欠如しているのは、自らが行ってきた戦争に対して自らがどう責任を取るのか、その理念が見えないところにある。日本の戦後補償をみると侵略した国との関係修復の意味合いが強い。しかし真に問われているのは、日本という国家がかつての戦争の責任を一貫してどう果たそうとしているか、その理念と気概であろう。戦後一貫して自律的にナチスを裁いてきたドイツと日本の大きな落差は、まさにここにある。
 戦時中の従軍慰安婦問題に関わる「日韓合意」の扱いで、現在日韓関係が冷え込んでいる。韓国側の姿勢に対して日本国内で批判があるが、問題の本質はもっと根深いところにあるはずだ。問われるべきはどうすれば韓国が納得するか(させるか)、どう当面の日韓関係の修復を図るかではない。日本が一国家として戦争責任をどう果たすのか、その明確なメッセージと姿勢が問われている。

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