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小さな街にもたらされた国体のレガシー〜フットボールの白地図【第24回】山形県

<山形県>
・総面積
 約9325平方km
・総人口 約106万人
・都道府県庁所在地 山形市
・隣接する都道府県 宮城県、秋田県、福島県、新潟県
・主なサッカークラブ モンテディオ山形
・主な出身サッカー選手 佐々木則夫、渡部博文、土居聖真、神谷優太、半田陸

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「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は「おんせん県」として知られる大分県を取り上げた。今回フォーカスするのは、さくらんぼと将棋の駒が思い浮かぶ山形県。このシリーズも第24回ということで、47都道府県のちょうど折り返し地点となる。まだまだ先は長いが、それでも少なからぬ達成感を覚える次第だ。

 さて、山形県である。モンテディオ山形の取材で、この県には何度かお邪魔しているのだが、他の東北5県に比べて「やや印象が薄い」というのが個人的な感想。岩手県の「宮沢賢治」、あるいは青森の「ねぶた」や秋田の「なまはげ」といったインパクトのあるアイコンに乏しい。加えて(幸いにも)東日本大震災の被害が少なかったこともあり、宮城県や福島県のような震災にまつわる「物語」もない。

 山形といえば、伝説的なNHKの朝ドラ『おしん』やスタジオジブリ制作のアニメ『おもひでぽろぽろ』の舞台として知られているが、県をあげて「地域おこし」に活用している形跡も見られない。蔵王とか山寺とか銀山温泉とか、それなりに観光資源には恵まれているものの、そういえば山形で観光したことは一度もなかった。もしかすると、スタジアムの立地に関係しているのではないだろうか。

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 モンテディオ山形の前身であるNEC山形サッカー部は、1984年に同好会として創部。当初の本拠地は山形市ではなく、実は鶴岡市であった。90年に東北リーグに昇格すると、翌91年に山形市に移転。92年に地元で開催される「べにばな」国体に向けて強化されることとなる。93年、東北のクラブとして初めて旧JFL(ジャパンフットボールリーグ)に昇格。96年に将来のJリーグ入りを目指して、現在の「モンテディオ山形」となった。

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 モンテディオのホームスタジアム、NDソフトスタジアム山形がある天童市は、人口約6万2000人。隣接する山形市(人口約25万5000人)と比べると随分と小ぢんまりとした印象を受ける。べにばな国体のメイン会場誘致の際、山形市に競り勝ったため、山形県総合運動公園陸上競技場は天童市に建設された。県内唯一のJクラブのスタジアムが、最初から県庁所在地以外に置かれた例は、それほど多くはない。徳島県と香川県、そして長崎県と宮崎県くらいか。

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 NDスタジアムがある山形県総合運動公園は、べにばな国体のレガシーとして、今も県内随一のスポーツコンプレックスであり続けている。陸上競技場の他に、野球場や総合体育館、さらにはテニスコートや屋内プールも完備。ちなみに陸上競技場のこけら落としは、91年6月2日に開催されたキリンカップの日本vsタイで、記念すべき初ゴールは柱谷哲二によるPKだった。人口が10万人に満たない地方都市での代表戦開催は、今となっては夢のような話である。

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 さて、1999年に開幕したJ2のオリジナルメンバーとして、晴れてJクラブとなったモンテディオ。クラブに待望のマスコットが誕生したのは、2006年のことであった。驚くべきことに2体。しかも血縁関係のない、同性同士の凸凹コンビである。このうち、巨漢タイプで出羽三山出身のモンテスは、どう立体化するのかと思っていたら、エア遊具として子供たちの人気者になっていた。

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 そしてこちらが小兵タイプのディーオ。「山形県の県獣であるカモシカの姿を借りた軍神」という設定で、大きく涼しげな瞳と3本角が特徴。機動性に乏しい相棒の代わりに、アクティブな動きでファンサービスに従事しており、他サポからの人気も高い。クラブマスコットがなぜ2体になったのか、その経緯についてはここでは深堀りしないが、結果として上手く役割分担ができていることは評価したい。

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 国体が開催された当時、天童市で定期的にJリーグの試合が行われることなど、県民の誰もが想像できなかったことだろう。その3年後には、将来のJリーグ開催を想定して芝生席を座席椅子に改め、さらには照明設備や電光掲示板も段階的に設置された。とはいえ、屋根なし陸上トラックありの国体スタジアムは、いかにも時代に取り残された感は否めない。いずれ山形市に新スタジアムが作られ、モンテディオが天童から離れるという噂もあったが、やがて立ち消えとなった。

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 NDスタジアムで取材がある時は、ほぼ間違いなく天童駅にほど近いビジネスホテルに投宿する。夜の8時くらいになると周囲は真っ暗。チェーン居酒屋以外で、食事ができる場所も限られるため、明かりを求めて夜道を歩くことになる。天童は将棋の駒の産地として有名だが、人気スポットといえば温泉くらい。結局、どこも観光することなく、翌日は天童駅から新幹線で帰京することとなる。次に山形県を訪れる時は、天童以外の土地にも足を伸ばしてみたいものだ。

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 山形名物といえば、芋煮や玉こんにゃくがまず思い浮かぶが、実はラーメンの県民ひとりあたりの消費量は全国トップ。山形の人に言わせると、地元にはラーメンで客人をもてなす文化もあるそうだ。そんな中、天童で宿泊する時に必ず立ち寄るのは『水車そば』というお店。「元祖鳥中華」に人気があるが、個人的には「板そば」がお勧め。挽きぐるみ100%のそば粉を用いて、本来の風味にこだわった伝統的なそばを提供している。

<第25回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。


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