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平成のスポーツツーリズムを昭和から照射してみる〜5月の改元に寄せての考察〜

■平成は「スポーツツーリズムが一般化した時代」だった

 平成時代も残すところ、あと数日となった。今年の皇位継承に伴う10連休となり、改元の日はGWの中日に当たる。私はカミさんと関西旅行中で、5月1日は大阪にいる予定。NHKはこの直前に「ゆく時代くる時代」なる特番を組むそうだが、そうした喧騒から少し距離を置く意味でも、このタイミングで旅に出るのは正解だと思っている。

 その前に、このOWL Magazinの原稿を書き終えなければならない。いわば「平成最後のnote入稿」となるわけだが、ここに来て各メディアは「平成最後の〜」から「平成を振り返る」モードに切り替わっている。この流れに沿うのであれば、「平成の旅とサッカー」について振り返るのがしっくりくるところであろう。しかし本稿では、あえて平成という時代を逆方向から照射してみたいと思う。

 平成とはどんな時代であったのか? OWL Magazinのテーマに即して言えば「スポーツツーリズムが一般化した時代」となる。ワールドカップ初出場の瞬間を見届けるためにドーハやジョホールバルに駆けつけたり、マイクラブを応援するために縁もゆかりもなかった土地を訪れたり。それらはいずれも、平成時代に入ってから一般化して定着した。それでは、スポーツツーリズムが平成時代から始まったのは必然だったのか? それとも偶然だったのか? 

 それを検証するには、やはり昭和の時代にまで遡る必要がある。とはいえ私は歴史家ではない。あくまで「昭和に生を受けたサッカー界隈の人間」として、これまでの取材と経験の範疇から、この件についての論考を進めていくことにしよう。まずは大風呂敷を広げるために、サッカーとは関連性のなさそうな「島の話」から始めることにしたい。

■1972年のグアムで明らかになったこと

 4年前の2015年、アジア・フットボール批評の仕事で、グアムを取材する機会に恵まれた。現・東京ヴェルディ監督のギャリー・ホワイト率いるグアム代表は、ワールドカップ予選でインドやトルクメニスタンに勝利するなど、密かにホットな存在となっていたからだ。私にとっては初めてのグアムだったが、現地のサッカーと同じくらい関心があったのが、今も島に残る第二次世界大戦の爪痕。グアムには旧日本軍が作った、トーチカや防空壕をはじめとする戦争遺跡があちこちに点在している。

 実はグアムは、日本がアメリカとの戦争で唯一奪い取った有人領土であり、占領期間中の1941年から44年にかけては「大宮島」と呼ばれていた。その後、激しい戦闘の末にアメリカはグアムを奪還。その際に両軍兵士のみならず、多くの現地人と日本人が犠牲となっている。それから時が流れて1972年、元日本兵・横井庄一が、潜伏していたグアムの山中で28年ぶりに発見され、そのニュースは列島を駆け巡った。すでに「戦争を知らない世代」が国民の半分を超え、この年の日本人の海外渡航者は100万人の大台に達していた。当時の国民の驚きぶりは、いかばかりであったか。

 周知のとおり、64年の長きにわたる昭和の時代は、大きく「戦前」と「戦後」に分かれる。戦前の日本人の中で海外に渡航できた人間は、外交官や軍属、あるいは留学生や商社マンやジャーナリストといった、ごく一握りのエリートのみ。それ以外の庶民が海外に赴くとしたら、移民となるか戦争に駆り出されるかの二択しかなかった。どちらも生きて再び祖国の地を踏めるという保証はなく、その状況は戦後になってもしばらく変わることはなかった。

 もちろん兵士として、あるいは開拓民として、戦地や外地に送り出されることはなくなった(ブラジルなど南米への移民はその後も続いたが)。ただし、庶民が海外に行くことなど、夢のまた夢。海外旅行が自由化されたのは、東京五輪が開催された1964年だが、外貨持ち出しは500ドルまでと定められていた。この時代の海外旅行ツアーの料金は「ハワイ9日間」で36万4000円、「ヨーロッパ16日間」で67万5000円。現在の金額に換算すると、それぞれ400万円、700万円に相当する(参照)

 海外旅行がようやく一般化したのは、高度成長期が終わって「1億総中流社会」が実感できるようになった1970年代以降のこと。そして前述したとおり、海外に渡航する日本人が100万人に達した72年に、自らの意思とは関係なく「お国のために」海外に派兵された生存者が、リゾート地として人気があったグアムで28年ぶりに発見されたのである。それは「日本人と海外」との関係性が、わずか28年で激変したことを白日の下に晒したという意味においても、極めて象徴的な出来事であった。

■オリンピックおじさんと日本サッカー狂会

 かくして、わが国でも気軽に海外旅行できる時代が到来する。ただし、その行き先はグアムやハワイなど純然たるリゾートがほとんど。スポーツ観戦のために現地を訪れるという発想は、ほぼ皆無であった。そんな中、先駆的な存在となったのが、このほど92歳で死去した「オリンピックおじさん」こと山田直稔。私はこの人こそが「わが国におけるスポーツツーリズムのパイオニア」だと思っている。

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