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長嶋茂雄と本田宗一郎に愛された「Jの空白地」〜宮崎フットボール紀行異聞〜

 私ども昭和世代が小学生の頃、社会科の授業でお世話になった、ぬり絵タイプの日本の白地図。あれは令和の時代も健在なのだろうか。もしお手元にあるなら「Jクラブがある都道府県」を、面積の広い順から塗りつぶしてみていただきたい。北海道、岩手県、福島県と始まって、10番目の鹿児島県まではすべてJクラブがあることに気付くはずだ。それ以降も、広島県、兵庫県、静岡県と続き、14番目にしてようやく色鉛筆の動きが止まる。

 宮崎県──。高知県(総面積18位)よりも、島根県(同19位)よりも、三重県(同25位)よりも広大な「Jの空白地」。九州各県が軒並みJクラブを持つようになった今、その白さはさらに際立ったものに感じられる。多くの同業者は、シーズン開幕前のキャンプ取材でもなければ、かの地を訪れることはないだろう。私自身、2011年に当時JFLだった松本山雅FCが、ホンダロックSCとのアウェイ戦に勝利してJ2昇格を決めた試合以降、宮崎でサッカーを観戦することはなかった。

 サッカーファンにとっては、あまり縁のない土地である宮崎。その一方でかの地が、長嶋茂雄と本田宗一郎という、昭和を代表するインフルエンサーたちに愛されていた事実は見逃せない。そしてその事実は、良くも悪くも宮崎が「Jの空白地」となっていることの遠因にもなっている。今回の宮崎フットボールを巡る旅の物語は、来月に宇都宮徹壱ウェブマガジンに掲載予定。その予告編としてOWL magazineでは、宮崎での旅の記録を写真で振り返ってみることにしたい。

「当機は間もなく、定刻どおり宮崎ブーゲンビリア空港に到着予定です。現地の天候はくもり、気温は……」。そんな機内アナウンスを耳にして、私は軽い脱力感を覚えた。『鳥取砂丘コナン空港』とか『おいしい山形空港』といった、ユニークな愛称を持つ空港はいくつかあるが、宮崎は「ブーゲンビリア」と来たか! ちなみに赤いブーゲンビリアの花言葉は「あなたしか見えない」だそうだ。

 ホテルのチェックインまで時間があるので、空港内をじっくりと見学。その土地が「何を売り物にしているのか」を効率よくリサーチするのに、空港はうってつけの場所である。お土産屋で目立っていたのは、マンゴーをはじめとする高級フルーツ、地頭鶏(じとっこ)、焼酎。そして書店に行くと、やたらと神話やパワースポット関連の書籍が目立つ。

 この日は宮崎からJリーグ入りを目指す、テゲバジャーロ宮崎の柳田和洋GM、そして倉石圭二監督にインタビュー。その後、柳田GMにこちらのお店に連れていってもらい、クラブエンブレムにも描かれている鶏をいただきながら、宮崎のサッカー事情についてあれこれお話を伺う。当地の鶏もも肉は、炭火焼きで外見は黒っぽく、とても歯ごたえがある。

 5月19日、宮崎市生目の杜運動公園陸上競技場にて、ホンダロックSCとテゲバジャーロ宮崎による宮崎ダービーを取材。前日から当地は雨が降っており、ピッチにはあちこちで水たまりができていた。ここの競技施設は「改修したばかり」と聞いていたのだが、ピッチの水はけは恐ろしく悪く、入り口の自動扉は手動でないと開かない。試合内容以外でも、何かと驚きと発見の多い宮崎ダービーであった。

 試合は1−1でタイムアップ。撮影を終えて撤収すると、今回のダービーのツアーを企画したロック総統が、テゲバの守護神である石井健太と談笑していた。石井はホンダロックOBで、カマタマーレ讃岐を経て、17年からテゲバに所属。一方の総統は、かれこれ20年にわたりホンダロックを応援しているだけあって、クラブ関係者は必ず挨拶をして握手をかわす。

 ダービー翌日の月曜日、総統によるホンダロック見学ツアーに参加。その前に、テゲバの新スタジアムが建設予定地である、宮崎県児湯郡新富町に立ち寄ってもらう。この新富町は、航空自衛隊の新田原基地があることで有名。最寄り駅となる日向新富駅には、T-33シューティングスター練習機が展示してある。スタジアム建設と航空自衛隊との関係については、いずれ稿を改めて。

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