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2010年、2000年、1990年。それぞれの旅とフットボール〜2020年を迎えるにあたっての所感その壱

 2020年になった。今月は同業者の多くが、タイで開催されているAFC U-23選手権を取材中。私はいろいろ事情と思惑があり、元日に新国立で行われた天皇杯決勝を取材して以降は、ずっと東京にとどまっている。そんなわけで今月は、リアルタイムでの「旅とフットボール」のお話はお休み。その代わり私の昔話に、しばしお付き合いいただければと思う。

 西暦の末尾が「9」から「ゼロ」に切り替わる瞬間というのは、改元とはまた違ったワクワク感がある。昨年までが2010年代、そして今年から2020年代。「80年代」とか「90年代」と呼ばれたように、これからのディケイドは「20年代」と呼ばれることになる。前回の(19)20年代は、アメリカでは「狂乱の時代」のただ中にあり、ヨーロッパではファシズムが台頭し、日本では関東大震災と昭和の改元があった。21世紀の20年代は、果たしてどのような歴史的評価を受けるのだろう。

 もっとも、さすがに100年という単位ではスケールが大きすぎる。もう少しリアリティが感じられる10年単位で、なおかつOWL Magazineのテーマである「旅とフットボール」に寄り添いながら、西暦末尾が「ゼロ」に切り替わった年を振り返ることにしたい。まずは今から10年前、2010年から。私が43歳から44歳になる年であった。

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 2010年といえばワールドカップイヤー。岡田武史監督率いる日本代表は、南アフリカで開催された本大会でベスト16という見事な結果を残した。この年に関して個人的に印象深いのは、同じ南アフリカでもワールドカップ観戦ガイドブックの取材で、1月に現地を旅した時のことだ。メンバーは私と編集者、そしてドライバー兼コーディネーター兼通訳の女性。日本代表が試合を行うブルームフォンテン、ダーバン、ルステンブルクの他に、ヨハネスブルクやケープタウン、そして日本のキャンプ地であるジョージも訪れた。

 実は前年のコンフェデレーションズカップでも、私は南アフリカを訪れていたのだが、この時は文字通りの「おっかなびっくり」。特にヨハネスブルクは「普通に道を歩いていたら必ず強盗に遭う」とか「車で信号待ちをしていたら窓ガラスを割られて銃を突きつけられる」みたいな話を嫌になるほど聞かされていた。「何でそんな国でワールドカップを開催するんだよ!」と、何度FIFAの決定を恨めしく思ったかわからない。

 だが、ガイドブックの取材で再訪することで、南アフリカという国に対するイメージは180度変わった。大自然の圧倒的な美しさと奥深さ、人々の心根の優しさと表情の明るさ、さまざまな人種や文化や宗教が共存する社会の寛容さ、そして肉も魚介もワインも何でも美味い豊かな食文化。もちろん、アパルトヘイト(人種隔離政策)という暗い歴史もあったし、犯罪や格差や貧困といった問題は厳然と存在し続けていた。それでも、そうしたネガティブなイメージを覆い尽くさんばかりの魅力が、南アフリカには満ち溢れていたのである。

 この時の取材の成果は『2010 南アフリカ ワールドカップ体感マガジン』となって結実した。これほど豪華な観戦ガイドブックを出版できたのは、この南アフリカ大会が最後である。現地への渡航者が限られえていたため、残念ながら本の売れ行きはあまり良くなかったと聞いている。それでもたまに「宇都宮さんのガイドブックに勇気をもらって、南アフリカに行ってきました」という方にお会いすると、とてつもなく報われた気分になる。

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 この2010年は、ミズノスポーツライター賞を受賞した年であり、今にして思えば私のキャリアハイだったのかもしれない。では、10年前の2000年はどうしていたかというと、フリーになって4年目。33歳から34歳になる年で、まだまだ生活も仕事も不安定な時代であった。この年の一番の思い出は、1カ月以上にわたる東欧取材。ベルリン、ワルシャワ、キエフ、モスクワ、そしてトビリシを訪れた。今では想像もつかないが、モスクワ〜トビリシ間以外、すべて鉄道での移動だった。

 この時の取材のテーマは「ディナモ」。旧ソ連や東欧の「ディナモ」と名の付くクラブを、ひとつひとつ愚直に訪ね歩く旅であった。ディナモ・ベルリン、ディナモ・キエフ、ディナモ・モスクワ、ディナモ・トビリシ。翌2001年には、ディナモ・ブカレストとディナモ・ザグレブのホームゲームも取材している。こうしたマニアックな取材をもとに、2002年に『ディナモ・フットボール』という作品を上梓している。

 のちにワールドカップの取材で訪れたロシアは、海外からの旅行者に驚くほど優しかった。20年前のロシアは違う。当時はまだソ連崩壊後の混乱の途上にあり、スタジアム周辺は無骨な軍人たちで埋め尽くされ、警察官は外国人を常に犯罪者扱いしていた。そんなロシアにも独自のフットボールの歴史があり、それを知るために日本から訪れた旅人に語り部たちは優しかった。あの時代のロシアで取材できれば、どこの国でも通用するという確固たる自信を得られたのも収穫だった。

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