弱きは助けないが、強きは挫きたい


このキツネザル様の記事を引用させていただいたのは、記事内容が興味深いからであるのはもちろんですが、この記事にわたしが書いたコメントへのご返答の中にあった、キツネザル様の言葉をここにコピーしたかったからです。
 これです。

バイアスからは逃れられないですが、騒動全般で素人なのは自覚してるので『確信は持てない』という軸がブレないように意識したいところです。

 この一文からは、三つの態度が選び出せます。
バイアスからは逃れられない
ですが、騒動全般で素人なのは自覚してるので『確信は持てない』という軸がブレないように意識したいところです。

 箇条書きにすると、かうなります。

①バイアスからは逃れられない
②素人なのは自覚してる
③『確信は持てない』という軸がブレないように意識したい

 これらは、わたしがnoteを書く時に念頭に置いてゐる教条です。
 これまで明文化してなかったものが、キツネザル様の文章によって明確になりました。
 感謝します。
 
 わたしには、小説以外の文章を書く時には、①②➂の教条がある。
 そして、わたしが小説以外に何か書きたくなるのは、バイアスがかかってるのに、素人なのに、確信を持ってしまってゐるイデオロギーに触れるときです。
 その代表的なものが、民主主義、自由、人権、個人などといった、戦後の属国日本の観念です。戦前の天皇、国体、修身、伝統などといったイデオロギーと、時系列を軸にして、左右対称になってゐると思ひます。
 どちらも、確信に満ちてゐるという点で共通してゐます。

 平和も、愛も、わたしには、その自信満々の不遜が鼻につきます。

 「こどもたちの未来」とか「男女平等」とか言へば、誰もが膝をついて頭を下げるといった時代風潮もいやです。

 弱きを助け、強きを挫く
といふ短句がありますが、初めてこれを聞いたとき、強いからといって突っかかることないのに、と思ひました。
 「強き」といふのは、権力を笠に着て横暴を極める者たち、といふワルイ意味を込めてゐるのだと後になってわかりました。短句だからそんな説明は抜き、含意されてるってことなんですよね。
 
 わたしが、③『確信は持てない』という軸がブレないように意識したい、といふことを教条とし、戦後の属国日本に満ち渡る・確信に満ちた言動につっかかるのも、その確信が「権力を笠に着て横暴を極める」ものとなってゐると感じるからです。
 何を言ってゐるか、ひとつ例を挙げると、
いぢめは、いぢめるはうが悪い。百パーセント、わるい。いぢめられるはうにも原因がある(場合もある)などといふことを言ふ大人がゐるから、いぢめはなくならないのだ。
 いったやうな意見です。
 これに逆らふと、戸塚宏さんの仲間だと思はれる。

 民主主義とか弱者とか言へば、誰も逆らへない。
 それをいいことに、自分の思考のバイアスを自覚することも無い。とことん資料を集めて何年も考察したことでもないことについて、思ひついたことを、鼻歌でも歌う調子で、Xなどに垂れ流す。
 今ものを書く人たちは、どんなことを言へば、いいね!が付くか(無意識レベルで)知ってゐる。

 時代のイデオロギーを背後の用心棒にして語られる意見、さういふものを、わたしは、挫きたくなって、noteを書いてゐます。

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