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異文化理解と他者理解 Part 2

ご覧いただき、有難うございます✨

前回記事の続きになりますので、以下もご覧ください!

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前回書いた「常識」についてですが、「自分が普段気づかない常識」について考える方はそう多くないでしょう。

わかりやすくいうと「シチュー」です。

なにそれ?って思われるでしょうが、日本人にとってシチューほど無意識に固定化され、他の存在に気づかないものは無いと私は思います。

…イマノトコロワ。(※2021年12月現在)

シチューを食べるときに、皆さんはどのように食べますか?



30人ほどの子供に、シチューの食べ方について聞くと大きく2つの食べ方に分かれました。



1つはシチューを「パンで食べる派」。もう1つはシチューを「ご飯にかけて食べる派」です。

今でも鮮明に覚えているのですが、その質問をなげ、回答した子供たちは他の食べ方を聞いて「エーッ!!!」と絶叫に近い声をあげ驚いていました。

エーッ!!!!を分かり易い言葉に翻訳すれば、

「生まれてきて今まで“これ(常識)”だったし、“それ(非常識)”はちょっと自分には受け入れ難く無理なんですけど〜」…って感じでしょうか。

私はそれ以外の、こんな言葉に驚きました。





「無理無理無理〜!気持ち悪い!あり得ない!」




子供らしく、素直な感想です。無邪気。悪気はないのでしょうが、一方では“否定”とも取れる感想です。

ここで、言いたいのは、「シチューの食べ方に正解はないよね?」ってこと。

シチューは、“西洋”の文化なので“パン”で食べる。

という考え方もあるでしょうが、

日本人は“米食”!!パンだって日本人好みに「あんこ」を入れたアンパンだってあるんだから、「シチュー」をご飯で食べるのも当たり前じゃーーーー!!

って考え方もあるでしょう。

実は、自分の常識や「一般的に…」「普通は…」って無意識的に口に出しているとき、それは「自分の考え方が正しい」って主張しているときだと私は今までの経験を通して思います。

前回の記事で紹介したとおり、インドにいた頃の私は自分を正当化しようと、自分が正しいと、異なる意見と争っていたことに気がついたんです。


毎日のように出会う「非常識」なことに、「あ、このままではキリがないな…」と気付いたからです。

「むしろ、この世界は“自分以外”の方が圧倒的多い!!」という、当然すぎる事実にやっと気付けました。

続けて「知ろう!」と思うまでに時間は掛かりませんでした。

学ぼう。

「真似しよう!」とチャレンジしてみるまでに時間は掛かりませんでした。


そして、気づけば、


インド人になってました。笑

見た目も、心も、

すっかりインド人。

こってりインド人になってしまったのです。

お隣のネパールに行ったときなんか、

ヒンディー語で話しかけると(ネパール🇳🇵語とヒンディー語はとてもよく似ていて、ネパール人はヒンディー語が分かる方が多いのです)

店員さん「あなた、ネパール人でしょう🇳🇵?」

私「イイエ。I'm from Japan🇯🇵. I'm ジャパニーズ。」と答えたのですが、店員さんはこう返答しました。

店員さん「えぇ。…確かにあなたは日本人ね!あなたが主張する限りでは。ふふ。…でも、きっとあなたの両親はネパール人よ!」

私は5秒ほど思考停止して、「何言ってんだこのひ…」とは思わずに、「おいおいおい〜!ちょっとちょっと〜!もう〜!」と一気に距離が縮まった経験をしました。


そう。もはや、自分のナショナリティーを超えて私は存在していたのです。


「溶け込む」は他者理解の“究極のカタチ”ですが、そこまでいかなくてもいいでしょう。(むしろ、それはそれで支障があるかも。)



話をシチューに戻すと、「自分はご飯と食べるけど、パンで食べている人もいるのね」でいいと思います。



そしたら、「パンで食べるのも美味しそうだね!」

さらに、「ご飯で食べるのも良いけど、パンで食べるのも美味しいね!」と段階が少しずつ見えてくるように思うんです。


「パンで食べるのは無理。」


と“拒否”してしまった先には、何もないんです。

なので、前述した「え、無理無理無理無理ー」と拒否・拒絶してしまった子たちが本当に心配でなりません。
大人なら尚更に心配です。

その先には、ネガティブなスパイラルが続くように思います。


だから、「へぇ、あなたはそうなのね!」からまず始めてみませんか?


“理解”という言葉は、時に難しく
どうしても受け入れ難いことの方が
多いでしょう。


しかし、他者ではなく、
自分に意識を向けたとき、

それは、プラスへと転換し、
経験となり、自分をさらに成長させてくれる、

とても貴重なものに変わるでしょう。


世の中が、「自分とは異なるもの」や「存在」を認め、承認し続ければ、


その先には世界平和があるんじゃないかと、

体験を通して思いました。

まだまだ日本は“鎖国”の状態。

まずは、自分以外のお隣さんのシチューを知ることから始めてみませんか?


明日は今よりもっと明るいはずです!


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