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文章は「書く」のではなく「描く」のだ #day20
最近、このようなnoteを書いた。
どちらも、わたしが見た情景を文章にしたもの。目に映った風景、空気やにおいなど、感覚でキャッチしたものを言葉に変換し、さらに子どもたちとの会話を織り交ぜて、その場を再現してみた。
実は、このような記事を書くのはめずらしい(と、自分では思っている)
というのも、わたしは「心の内側」を書くことが多くて。見たもの聞いたものをそのまま書くことはあまりなかったなーって。
瞬間瞬間を思い出しながら書く。
いや、「描く」といったほうがしっくりくるかもしれない。
そのときに見た風景、光、音、におい、会話、表情を、記憶の中で手繰り寄せながら、それらを文章にして「描く」のだ。
「書く」ではなく、「描く」
わたしは美術館やアートイベントに行くのが好きだ。でも、造詣が深いわけではない。小洒落た感想も言えない。
印象派がなんたるものか、現代アートがなんたるものかも知らず、わたしがいったい何を求めているのかもわからないまま、ただただ美術館へ赴いている自分のことが、とても不思議だった。
その謎が、なんとなく解けた気がする。文章も絵画も「描く」もの。だから、好きなのだ。
書くこともアートの一つ。
そのことがストンと腑に落ちた。
![](https://assets.st-note.com/img/1721034310323-kkaXNz84Mr.jpg?width=1200)
絵の場合、「自由に描いてみましょう」と、よく言われる。目に見える太陽は赤色ではないけれど、赤いクレヨンで描かれることが多々ある。ならば、赤いリンゴを青く塗ったっていいし、一頭身の生命体がいたって、グニャグニャ曲がった高層ビルがあったっていいのだ。
つまり、文章ももっと自由に「描いて」いいんじゃないか。
起承転結が大事とか、いや結論を先に述べるべきだとか、もうどーでもええ。オチがなくても、くそくらえだ。自由にやろうよ。
自分でもよくわからなくなってしまったら、最後に
って、つけといたらええんやから。
あれこれ、体裁を考えて書かない(発表しない)より、書いたほうが絶対にいい!
自分で書いた記事に、そう教えられたのでした。
ではでは、また明日!
【最後に】
コニシ木の子さんによる「#なんのはなしですか」
本当にありがたいハッシュタグを作ってくださったよね。たくさんの迷える子羊noteを救ってる。あらためて、感謝です。
▼コニシ木の子さんの想いが伝わる、「なんのはなしですか」の歩み
![](https://assets.st-note.com/img/1720837689610-a4aCYGB74v.png?width=1200)
明日も自由に「描こう」と思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! いただいたサポートでコメダ珈琲へ行き、執筆をがんばります! (なぜか、コメダってめちゃくちゃ集中できる)