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文章は「書く」のではなく「描く」のだ #day20

最近、このようなnoteを書いた。

どちらも、わたしが見た情景を文章にしたもの。目に映った風景、空気やにおいなど、感覚でキャッチしたものを言葉に変換し、さらに子どもたちとの会話を織り交ぜて、その場を再現してみた。

実は、このような記事を書くのはめずらしい(と、自分では思っている)

というのも、わたしは「心の内側」を書くことが多くて。見たもの聞いたものをそのまま書くことはあまりなかったなーって。

瞬間瞬間を思い出しながら書く。
いや、「く」といったほうがしっくりくるかもしれない。

そのときに見た風景、光、音、におい、会話、表情を、記憶の中で手繰り寄せながら、それらを文章にして「描く」のだ。


「書く」ではなく、「描く」


わたしは美術館やアートイベントに行くのが好きだ。でも、造詣が深いわけではない。小洒落た感想も言えない。

印象派がなんたるものか、現代アートがなんたるものかも知らず、わたしがいったい何を求めているのかもわからないまま、ただただ美術館へ赴いている自分のことが、とても不思議だった。

その謎が、なんとなく解けた気がする。文章も絵画も「描く」もの。だから、好きなのだ。

書くこともアートの一つ

そのことがストンと腑に落ちた。

画:猪熊弦一郎



絵の場合、「自由に描いてみましょう」と、よく言われる。目に見える太陽は赤色ではないけれど、赤いクレヨンで描かれることが多々ある。ならば、赤いリンゴを青く塗ったっていいし、一頭身の生命体がいたって、グニャグニャ曲がった高層ビルがあったっていいのだ。

つまり、文章ももっと自由に「描いて」いいんじゃないか。

起承転結が大事とか、いや結論を先に述べるべきだとか、もうどーでもええ。オチがなくても、くそくらえだ。自由にやろうよ。

自分でもよくわからなくなってしまったら、最後に

#なんのはなしですか

by コニシ木の子さん

って、つけといたらええんやから。

あれこれ、体裁を考えて書かない(発表しない)より、書いたほうが絶対にいい!

自分で書いた記事に、そう教えられたのでした。







#なんのはなしですか

ではでは、また明日!

【最後に】
コニシ木の子さんによる「#なんのはなしですか」
本当にありがたいハッシュタグを作ってくださったよね。たくさんの迷える子羊noteを救ってる。あらためて、感謝です。


▼コニシ木の子さんの想いが伝わる、「なんのはなしですか」の歩み


#66日ライラン
#day20


20日目、おつかれさまです!
明日も自由に「描こう」と思います。

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