聖書すら悪書に成り得る

お前は何を言ってるんだ…?とか思われそうですけども、ね…。

けども事実、ソレは聖書にしろクルアーンにしろ仏典にしろ、ソレを独自解釈し、ソレを元にした“トンデモカルトテロリスト宗教”とかが無数に存在してる訳で、ね…。

更に、例えば“ジハード(聖戦)”の名の下にテロル、とか、“アーマゲドン(ハルマゲドン・アルマゲドン)”の名の下にテロル、とか、普通に起こってる訳ですわ。

で、こう言うと、大体の人はこう言います…。

“コレは個人が勝手に内容を曲解し、都合良く解釈し、捻じ曲げて、其処から悪意を勝手に汲み取り、産み出した”みたいに…。

うん、つまりソレは宗教と言うモンだけで無く“他の様々なフィクションなりポルノなり何なりと言った全てに言えますよね?”と言う答えにも成る訳ですよ…。

で、フィクションやらポルノやらで犯罪を犯したり何だり、と言う例が在る、故に規制せよ、と言うので在れば、其れ以上にテロ行為やマインドコントロール、何なら性的搾取や犯罪とかも大規模で起こす程の悪影響を与える大元凶と成った世界三代宗教に対しても、コレだけ深刻な悪影響を世間に与え続けるんで在れば、勿論、禁忌にし、禁教にすべきですよね?と言う事にも繋がって行く訳ですよ…。

人と言うモンは悪書から“コレはやってはいけない、コレは気分が悪い”と学び取り、其処で自らを戒め、コレはフィクションで良かった、と胸を撫で下ろしたり、何なら“学び取る”事も出来る訳ですよ。

ソレとは逆に、人は道徳書でも聖書でも何でも、良書と呼ばれるモンから“神はこう仰られてる、コレは正義なのだからコレは正当化される・神に許しを乞えば何をしても許される”だのの勝手な解釈や曲解をして、其処から悪意(本人はそう思って無かったり、と言う最悪なモンも含めて)を創り出し産み出す事すらも出来る、と言うか、実際、起きてる訳(カルト宗教とか良い例ですやんか)ですわな?と…。

人は良書を悪書にも出来るし、悪書を良書へと変える事も出来るのですよ…。

本を焼く者は人をも焼く、と言うのは、結局は“そう言う事”なんですよ…。

なので、批評の自由は在れども、然し表現の自由は奪っては成らぬ、と言うのは、とても大事な事なんです。

そして、良書からも悪書からも、何方からも悪意を汲み取る人間は居る、逆に何方からも戒めを見出す人間も居る、と言う時点で、表現が悪いのでは無く、人が悪いのだ、と言う事も解って頂けると思いますよ…。

ソレが解らぬ人間、つまり“フィクションとノンフィクションの区別の付かぬ人間”こそが、悪書よりも遥かに害悪なのだ、と言う事も解って頂けると思います…。

ま、ソレを現在、体現為さってる方々(ジンケンウンドウやらポリコレやらリベラルやら)も見受けられ、オイラ(ネトウヨ)の言うてる事が何れだけ正しいのか、と言う説得力を与えて下さってるので、オイラとしては寧ろ、其の手の方々には感謝しか無いんですけども、ね?と(ry www
#ポリコレ #フェミニズム #リベラル #カルト #焚書 #表現の自由 #弾圧者 #ディストピア #正義の暴走 #人権運動  

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