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V字回復人 『テルミ姉さん』

初めましての方も、そうじゃない方もご覧いただきありがとうございます。

1人で頑張っている起業迷子さんを全力で伴走サポートしている
テルミ姉さんこと田中昭美です。

ありがたいことに、リアルでの新たな出会いやSNSを通して私を知ってくださった方に、「何をしている人ですか?」「どんなことをしてきた人ですか?」と聞かれることが増えてきました。

ここでは少し深く、これまで活動してきたこと、そして想いをお伝えし、私といういう人間の人となりを知っていただけたらと思います。


革命家として生きる

私にとって起業とは「革命」。
この想いを持って起業活動をしています。

死を選ぼうとしたり、諦めている人に、「あなたが必要なんだよ」と挑戦への切符を渡して、サポートすることを仕事にしたこと。これが起業という革命。そして、諦めた人を見た時に、どうしても手を差しのべてしまう「衝動」それが私の原点です。

V字回復人 誕生

もともとは大手車販売会社で営業として働いていましたが、父の経営する会社(同じく車販売業界)が倒産危機に。迷いもありましたが、「大変なことも多いだろうけど、必要としてくれている人がいる。その人たちの力になりたい」と再入社を決めました。

入社して最初にしたことは、社員・パート関係なく全員を必要とし、役割をわたし、チームとして1つになること。私の信念として、どんな人でも必要とされると絶対に光りだすという想いがありました。

結果として、それぞれが自分の場所で得意を活かして活躍し、業績を「V字回復」していくことができたのです。

この経験は「人は必要とされると輝く」という私が大切にしている考え方、そして活動の方向性など、たくさんの場所で今も活きています。

余談として、父の会社がV字回復していく道のりを見ていた周りの人たちが
私を『V字回復人』と呼ぶようになりました(笑)

ママになっても幸せを感じて欲しい

長きにわたり車業界で営業やマネジメント、営業研修インストラクターとして仕事をこなしてきましたが、出産を機に育休を取得、はじめて専業主婦を経験します。私にとって、専業主婦の世界は今まで経験したことがないものでした。

集まれば、夫の愚痴や子どものことに終始する会話。「これって面白いんかな?」と思うと同時に、「ママたちが悪いわけではなく、ママたちが楽しめずに過ごしてしまうこの環境があかんな」と感じていました。

そして、ママ友の産後鬱による自死をきっかけに、「ママになっても幸せを感じて欲しい、心豊かに過ごしてほしい、それが叶う環境をつくる」ことをミッションにした活動をスタートしました。

まず負のパワーをいい方向に使うため、2014年にママ友と8人で立ち上げたのが「bizmomnagaokakyo」というママサークルです。誰にでも気軽に取り組みやすいフリーマーケットを選び、その中で『少し良いものを』をキーワードに得意なことを持ち寄って販売したり、売上の一部を教育機関に寄付したりと差別化を図っていきました。

役割を得て人は輝く

先ほどもお伝えしましたが、
私のモットーは「人は必要とされると輝く」です。

実際にママサークルでの活動を通して、ハンドメイド作家になったり、幼稚園の役員に奮闘したりと、それぞれの場所で輝く姿が。役割を得て輝いていく姿、積極的に動く姿を見て、改めて「輝ける環境を整える大切さ」を実感しました。

私自身は、ママだけではなくお店を巻き込んだイベントをやっていたことなどが実績に。駅前で企画されていた大きなイベントの実行委員として声がかかり、当初より企画・運営に参画。「ママキッズまるごとマルシェ」と名付け、2017~2019年に年3回開催、合計で約2万1千人動員しました。

イベントを通して、自然と「企画力がある」「人を呼べる人」というイメージが付き、行政や大きな企業から声がかかるようにも。これを機に、さらに活動の幅を広げていくため、2018年にOTOKUNIレザミというママサークルよりももう少し社会的に動くチームを立ち上げたのです。

裏話として、「ママサークルは子どもの成長とともに2~3年で終わる」と言われたことがすごく悔しくて、絶対に続けよう!と思ったことも続けられた理由の一つです(笑)

思考ベースは「三方良し」

駅前でのマルシェでは毎回テーマを決めて、お店にはそのテーマに沿った商品を作り出展をしてもらうため、「こうしたら売れるんじゃないか」などのアドバイスをして一緒に形にしていくことが多くありました。

実際に「これは絶対に売れる」という直感や、「こうしたら売れるんじゃないか」と浮かんだアイデアが次々にヒット。気が付いたら「なかなか集客できず悩んでいたパン屋さんがイベントに出展して人気店に」という風に、1店舗1店舗をコンサルして結果につなげる、という流れができていました。

周りから「困ったことがあれば相談できる人」「V字回復人としてコンサルの活動していったほうがいい」と言われていましたが、この時の私は会社員として会社からお給料をもらっているし、街の広報隊長的な役割で動いていたので、起業する気は全くなく。お店にもイベント出展料だけいただいて、私自身は無償で活動していました。

当初はボランティアに近い形でしたが、相手も喜んでくれて、周りも喜んでくれて、自分も嬉しい。「三方良し」が考え方のベースなので、「自己犠牲」ではなく「役立っているならいいか」という思いだったんですよね。

今思えば、何年にもわたって信頼作り、実績作り、起業初期に必要な大量行動をしていたな、と思います。

そして起業家へ

アドバイスをした人たちが次々と上手くいく姿を見て、コンサルとしての力に自信がついてきた半面、無償だからとアドバイスを流されたり、雑に扱われたりすることも。ギバー(ギブをする人)としてギブはするけど、切なくなることも増えてきて「これじゃいけないな」という思いが芽生えました。

その頃には、周りの人たちから「ちゃんとお金をもらって、コンサルした方がいいんじゃないか」と言われることも増えており、父の会社も安定していたので、覚悟を決めて2020年に退社し、起業家として活動をスタートしました。

いまは、「子育て中の女性でも地域で活躍できる場所が作れる」ことをSNSで発信しながら、リアル・オンライン両方で講座などを展開しています。

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講座生の声


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