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日本橋魚市場沿革紀要を原典で読む

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明治時代に書かれた史料「日本橋魚市場沿革紀要」を原典で読みつつ、江戸時代の水産物流通を調べてみました
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#魚屋

『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 4: 魚市場の創設

前回からの続きです。日本橋魚市場が誕生した経緯の部分に移ります。 当時、主に幕府に納めら…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 5: 日本橋魚市場の「板舟」

今回は、日本橋で市場が開かれた後商人たちがどのように魚を売っていたのかに関する部分を読み…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 6: 魚屋よりも前に住んでいた人たち

(板舟を設けて)魚を並べて販売するのに始まり、後に河岸の通りに納家(魚をたくわえておくとこ…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 7: 江戸時代に活鯛流通システムを創った…

前のパートまでで、日本橋魚市場の誕生と当時市場がどのような姿をしていたのかについて見てき…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 8: 「魚會所」の設立と魚市場の地理

前のパートでは、大和屋助五郎が設立した活鯛流通システムについて触れました。 今回は、その…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 9: 乱立する魚市場

前回は、日本橋に魚問屋が増えて更に市場が設立されていくとともに、本船町組、本小田原組、本…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 10: 市場の損失と幕府の救済

前回、日本橋で魚市場が乱立する場面が出てきました。当時、幕府への納魚(文字どおり、江戸幕府の膳所に魚を納めること)は魚問屋の誉れでしたが、市中価格に比べ大幅に安く買われることになり、経済的な負担となりました。それによってどのような対応が取られたのかが次に続く部分です。 宝永二年(1705年)、四組問屋及び新場の問屋は、(経済的負担に関する)救済のため幕府に請願した。その結果、四組問屋へは11箇所(岸島銀町・赤坂新町・神田旅籠町・南大工町・日本橋青物町・四谷傳馬町・永井町・赤

『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 11: 日本橋の魚屋・まげ・下駄

ここからしばらく元禄・享保の時代の話が続きますので、この時代の背景と、当時の魚屋たちが及…

鷹 輝政
1年前

『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 12: 浦賀奉行所と印鑑問屋

享保六辛(1721年)、お触れがあった。四組問屋・新場・本芝・芝金杉魚問屋の内(六十八とあるが)…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 13: 力を持った問屋たち

前回は、印鑑問屋として優位性を持ち始めた問屋たちについて見てきました。今回は、そのような…

鷹 輝政
1年前

『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 14: 生類憐みの令に江戸の魚屋はどう向き…

今回は週末ということもあり、少し脱線します。 貞享四年(1687年)、生類憐みの令により、食料…

鷹 輝政
1年前
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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 15: 日本橋魚市場創始者の墓?

週末なので引き続き脱線します。日本橋魚市場と佃島漁業を完成させた森孫右衛門は、寛文二年(1…

鷹 輝政
1年前
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