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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 6: 魚屋よりも前に住んでいた人たち
魚類ヲ陳予テ販売セシニ初リ其後河岸通リニ納家(魚ヲ貯フル場所ヲ云フ)ヲ設ケ及ヒ納家前ニ庇シ板流シヲ作リ(河岸通リハ五尺ノ庇シヲ附ケ横通リハ三尺ノ庇シヲ設クルノ定規アリト云フ)本船町通リハ蔴苧船具等ヲ鬻ク商人居住セシカ追年魚商各自市場ニ居住ヲ占ムルニ至レリ
(板舟を設けて)魚を並べて販売するのに始まり、後に河岸の通りに納家(魚をたくわえておくところ)を設置し、その前にひさしをつけた(河岸通りは五尺、横通りは三尺という決まりがあったらしい)。本船町通りはもともと蔴苧(繊維?)や船具を売る商人が住んでいたが、魚屋が住む場所になっていった。
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Part 5で出てきた板舟にのせて魚を売っていましたが、さらにそこから魚を保管する場所を設けてその軒先にひさしを作り…と発展していったようです。日本橋魚市場が生まれた本船町には、もともと船具などを扱う商人が住んでいたんですね。
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