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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 14: 生類憐みの令に江戸の魚屋はどう向き合ったのか?

今回は週末ということもあり、少し脱線します。

貞享四年(1687年)、生類憐みの令により、食料のために魚鳥、亀、貝類などを蓄養して売ることが禁じられました。元禄十三年(1700年)には鰻やどじょうの売買も禁じられています。

そもそも生類憐みの令は、天和二年(1682年)に将軍綱吉がお世継ぎを亡くした頃から散発的な形で始まっていき、元禄期を通じて綱吉治世27年も続きました。

将軍の側近に奉公するものは魚貝類一切を門の内にいれず、他所でも食べないと誓紙を書いたものまでいたそうです。このような状況の中、魚(特に活鯛など)を扱う商人はどうやって乗り切っていたのでしょうか。

漁師の漁は許容され、一般市民はそれを買うことが許されたとの説もあるそうなのですが、日本橋魚市場の歴史(岡本信男, 木戸憲成 著) では「この辺の事がわかると、市場史はさらにふくらみを持つことになるが、わかる事は何ひとつない」と結論づけています。実際どうしていたのでしょう?

納入先の幕府が禁令を出したのだから(貞享二年には、江戸城において鳥・貝・えびを料理に使うことが禁止されていたようです(根崎光男「綱吉政権初期の鷹政策」))、本来は営業を続けられるはずもありません。

個人的には、落語で出てくるようなトンチを効かせて当時の商人は賢く乗り切っていたんじゃないかなぁと想像してしまいます。アニマルライツの議論などもある今のご時世、当時の状況についてより知りたくなってしまいますね。

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