『推し、燃ゆ』
第146回芥川賞受賞作、『推し、燃ゆ』読みました📚
おそらく知的・精神的にハンディのある女子高生(作中で高校は中退)が、自分自身のことも世界のことわりもよく分からず、ただ推しという存在を通してだけ生きていることを実感している話。
彼女の推しは突然炎上してしまい、推しは活動停止、やがて芸能界引退へと進んで行きます。
推しの存在と共に、自分自身の存在意義も失っていくことになるのですが、主人公はそれすら消えゆく推しとの同化を感じて受け入れます。
しかし彼女の周囲は推しを通して生きている主人公の生き方を理解できないし、推し活ができる彼女が本当に知的・精神的にハンディがあるのか、好きなことだけして生きようとしているずるい人間なのではないかと疑ったりします。
正直救いがないので後味の悪い感じではありますね。
こういう極端な例は稀かもしれませんが、でも人間はその強弱はあれど、何か「推し」とも言える存在を生きる糧にしていることはよくあります。
それが人間であれ、何か他の物体であれ、生きがいというもので自分を構成しているのです。
その生きがいをふと失うということは、本当はこれくらい恐ろしいことなのかもしれません。
だって人間は自分だけではなく、他者との関係性を通して構築されていますからね。
本当は「何かを失う」ということは、「世界そのものを失う」ことにだって繋がっているのです。
自分が今繋がりを持っている一つ一つは、ある日突然失われる可能性のあるものと思って、大切にしたいものですね。
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