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マイストーリー④「40歳、まさかの理学療法士」

こんにちは。
スポーツコミュニケーションアドバイザー&コーチへ至るストーリー。
4話目です。
どんだけ長いの?って自分で書きながら驚いています。

<迷 走>

夫が亡くなってしばらくは、とにかく忙しい日々でした。
亡くなってからも色々とやるべきことが、たくさんあるんです。
経験した人ならわかると思いますが、悲しみにくれている暇もないほどです。
夫の仕事柄、葬儀が済んでも毎日のように弔問客がありましたし、色々なところへ挨拶回りをしたり、とにかく四十九日が過ぎるまでは休む間もないくらいでした。
夫の親戚が多く、みんなが手伝ってくれてとても助かりました。

ひと段落ついてから、私と息子は熊本に帰り、しばらく実家で暮らしていました。
疲れが一気に出たのか、とにかく体が重たくて重たくて、朝、なかなか起き上がれませんでした。

なんとか起き上がっても、一日中身体も頭も重くて、身体中に鉛をぶら下げているような感じでした。
2年間の看病疲れと、葬儀での疲れが出たのかな、とは思ったのですが、身体が重い上に気力が湧かない、そんな状態が数ヶ月続きました。

子供はまだ小さくて、父親が死んだことを理解できていませんでした。
無邪気に遊んでいる様子が、かえって助かりました。

ようやく体調が戻ってきたのは数ヶ月後。
そのうち、友達のブティックを手伝ったり、知人の紹介でエステティシャンの免許をとって自宅でサロン経営したり・・・といくつか仕事をしましたが、どれも中途半端でした。

誰かに勧められて始めたものばかりで、自分が心からやりたいと思った仕事ではありませんでした。面白いなと思うこともありましたが、いつもどこかに空虚な気持ちがありました。

そうこうしているうちに、あっという間に子供は中学生に。家から離れた中高一貫校の私立学校だったので、寮生活を始めました。
私は家に一人になり、ますます寂しさと空虚感が増していきました。
いわゆる「空の巣」症候群という症状です。

このままでいいのかな・・・
そんな思いが湧いてくるようになりました。
私・・・・何か忘れ物しているんじゃないかなあ・・・・

ざわざわした思いがだんだん大きくなっていきました。仕事にも身が入らず、売り上げが激減していきました。

私、ダメだなぁ・・・もう何にもないなあ・・・、

次第に自信を失っていきました。
そのうち、不眠症にもなってしまいました。
今思うと軽いうつ状態になっていたのだと思います。

また、体が鉛のように重たくなって、起き上がれないという状態に陥ってしまいました。
色々やるべきことがあっても、一つのタスクも完了できない。
買い物にもいけない。家事も満足にできない。
そんな自分がいやで自己嫌悪に陥る。
そうするとますます眠れない。
眠れない時は丸2日間一睡もできない時もありました。寝てもすぐ目が覚めて熟睡できない日々でした。
眠り方がわからない、という状態になっていました。
眠れないから疲れる・・・疲れるから体が思うように動かなくて、やるべきことができない。できない自分に自己嫌悪・・・
その悪循環でした。

<理学療法士を目指す>

そんな時ふと、どうせ眠れないんだったら、何か勉強して資格を取ろうと思い立ち、パソコンで検索をはじめました。
すると「理学療法士」という文字が目が飛び込んできました。

そして、思い出したんです。
私、なりたいと思ってたんだ、と。

実は、夫が病院に入院してる時に、リハビリをする様子を見ていて、こういう仕事したいなあと思ったんです。
夫が亡くなった後、一度理学療法士を目指そうかと考えたことがありました。でも、年齢は30歳を超えていましたし、今更3年も4年も、若い子たちと一緒に勉強するなんて・・・・と気が引けてしまったんです。何より子育てと両立できるか自信ありませんでした。

だけど、夫が亡くなってからも、病院の横を通るたびに、心がざわざわする自分がいました。
あんなに頑張ったのに夫を助けられなかった・・・という虚しさと悔しさがまだ心のどこかにあったんです。

私、何か、病院に忘れ物してるんじゃないか、何かやり残した宿題があるんじゃないか・・・って。
そんな気持ちになっていました。

だんだんその気持ちは月日がたつにつれて薄れてはいましたが、完全に消えてはいませんでした。
それが、「理学療法士」という文字を見た途端、また鮮明にその気持ちを思い出したのです。

私、この宿題やり終えないと、人生終われない。
そんな気持ちにさえなりました。

それからが猛勉強。医療専門学校に入るために必死で勉強しました。
社会人枠2名の募集に40名が受験していたのですが、なんとか合格することができました。
それが40歳の時です。

クラスのほとんどは高卒の若い子たちばかり。
最初は気が引けましたが、医療の勉強は面白かったし、親子ほど年が離れてるのに、みんな仲良くしてくれて、試験前には一緒に徹夜で勉強したり、キャンプしたり、合宿やったり、と学生みたいなことをまた味わうことができて、とても楽しく過ごしました。

今思い返しても、あの時、思い切って挑戦してよかったなと思います。
昔は病院が嫌いだったのに、夫の病気がきっかけで、医学書や医療雑誌を読むようになり、人体の不思議さに魅かれて医療の世界に進むことになったのでした。

人生って、どこにきっかけがあるかわからないですね。
40歳での挑戦。錆びついた頭で試験をクリアしていくのは大変でしたが、3年後、無事、国家試験にも合格し、理学療法士として病院に勤め始めることができました。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
マイストーリー⑤へと続きます。

スポーツコミュニケーションアドバイザー&コーチに辿りつくまであともう少し。


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