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【自信の正体と行方】_名古屋大学:合格体験記

令和5年2月25日
大学入学共通テスト 二次試験。

日本全国で多くの受験生が志望する大学に向かっています。
僕もその中の1人でした。
〝19歳の高校3年生〟が初めての大学受験に挑みます。

1年前の春、同級生と一緒に高校を卒業できなかった僕は
2度目の高校3年生を過ごしました。

全日制高校の普通科に入学した僕でしたが、
2度目の高校3年生は通信制高校を選んで、1年間、自宅で勉強しました。
だから、新しい友達はできず、
この日、一緒に受験に向かう友達はいません。
僕は1人で試験会場に向かいました。


しかし、1人だとは感じていませんでした。

お世話になった人のために、
感謝を伝えるために、

そのためだけに勉強をしてきた僕にとって、
今1人で大学に向かっていることは大したことではありませんでした。

試験会場に向かう足取りには不安は感じられず、
むしろ早く会場に到着したいと言わんばかりに歩幅が大きくなります。

かつて、学校でのクラス発表の時、
不安で泣き出してしまった僕の姿は、
今はその影すらありません。

試験場に着き、
受験表通りに着席すると
すぐに参考書を取り出し、
試験のためのウォーミングアップを始めました。


・・・・・・・・・・


この日から遡って、1年半ほど前の夏。

高校3年生だった彼は、
いよいよ受験期に突入しようとした頃に、
突然「もう勉強を辞めたい」と言って
部屋に篭り、学校に通うこともなくなりました。


高校3年生の6月時点で、
名古屋大学の志望校判定はC判定。
担任の先生が「このまま行けば大丈夫」と太鼓判を押していたにも関わらず、

彼は、
勉強も、学校も、友達も、
すべて手放してしまったのです。


彼とは、
エール代表の私の次男のことです。

彼が「いいよ」と言ってくれて、
彼自身も寄稿してくれましたので、
ふたりで1つの文章にして、ここに記すことにしました。


次男が中学2年生になる春。
私は「子育てをやり直したい」と思って、
学習支援塾エールを設立しました。
(この話もいつかお話しします)

次男は、
当時中学3年生だった長男と一緒にエールに入り、
原田メソッドの考え方を学び、
大学生の学習アドバイザーに支えられて勉強してきました。

そして、代表の息子として
「どんな塾にしたらいいか」を一緒に考えてきてくれました。


中学2年生の成績は偏差値40台後半〜50くらいでした。

しかし、真面目でコツコツ派の次男は
中学3年生で偏差値65くらいまで伸ばし、
さらに高校生になってからは学年1位を取るくらいまで成長しました。
 →こちらでも紹介しています。


こうして長らくエールに通い、
教室で自習したり、
後輩の中学生に勉強を教えたりしていた姿も、

静かに消えていました。



学校の先生からも連絡があります。
「どうしていますか?様子はどうですか?」

学校に足を運び、
学校で何かあったのかと確かめに行きました。
迎えてくれた先生方は、
意見するでも、アドバイスするでもなく、
ただ心配そうに家での様子を尋ねてくれました。

私は先生たちの物静かな姿から
校舎に息づく穏やかな優しさを感じ、
「学校でトラブルがあったのではない」と確信できました。

先生たちは、友達の様子も教えてくれました。

心配して連絡を取りたいと思っている子がいること。
でも連絡していいかどうか迷っていること。
陸上部の仲間が自分たちに何ができるか相談しにきたということ。

先生だけでなく、
友達にも恵まれていたことがわかりました。

帰り際、担任の先生と少しだけ雑談したときに
先生は「小学6年生の息子が〝算数がわからない〟と言っている」と話してくれました。
私は「次男も小学生のころは算数が苦手でしたよ」と笑い、「でも、息子さんの場合は、お父さんが数学の先生だから教えてもらえるのでいいですね」と言うと、

「彼にももっと数学を教えたかった」と小さくつぶやきました。


みなさんは「不在という存在感」を感じたことはありますか?

そこにいるはずの人がいない。という無の空間が
心のスペースを陣取っていく……。
そんな感じです。

私は、学校を後にしながら、
クラスのみんなの中に
姿を見せない次男の「無」が存在していることを感じ、
ありがたい気持ちで帰宅しました。




アイツがいない…。

欠席が続いているだけだと思っていた
エールの学習アドバイザーたちも
次第に異変を感じ始めます。


私は、次男を大切に指導してくれた
プロ講師の澤田先生に高校で感じたことを話しました。

先生はいい人たちだった。
クラスの友達にも陸上部の仲間にも愛されていたことがわかって、よかった。

私がそう話すと、澤田先生は、
「それは、彼が相手を大切にしてきたからですよ」
「すべて彼自身が培ってきたものですよ」と言ってくれました。


大学生の学習アドバイザーが
「アイツはどうしちゃったんですか?」
「この先、どうなるんですか?」と尋ねてきたときも、
副代表のまきこ先生はいつもこう言っていました。

「大丈夫。彼は必ず戻ってくる」
「それがいつになるかわからないだけで、必ず戻ってくるから」と。

本当かな?という表情をする私たちに
まきこ先生は続けました。

「彼は〝楽しい〟という感覚を知っている。
 家族も、勉強も、スポーツも、友達もすべてにおいて、
 〝楽しい〟ということを知っている子は、ちゃんと戻ってくるよ」と信じ続けてくれました。




次男の具合が悪くなってから、
彼の心身を案じる人たちはたくさんいるけれど
彼を否定する人は、一人もいない。

学校に行かず、
昼夜逆転して、部屋に引き篭もる次男を心配する親心は身を切り裂くほどに痛く、
「私がエールを作らなければ、彼はがんばらなかったかもしれない」と初めてエールを設立したことに自信を無くしました。

しかし、
まわりの人たちからの言葉で、
次男が築き上げてきた「人の豊かさ」を感じることができました。
それがエールをはじめとした、彼のコミュニティの中にあったこともわかりました。


みんなは思っていました。

がんばってきた彼にとって、
今は「自分はどうしたい?」を自問自答しながらじっくり考える時期なのだろうと。



自分には何もないかのように思う時。
でも体は知っている。
体が動き出せば、
自分が知っている自分は、ほんの少しだけだった。
自分の手はたくさんの価値を握っている。と気付かせてくれる。


学校の先生も友達も
エールの先生たちも

何もできない自分たちに歯痒さを感じながらも、ずっと待っていました。



そうして3ヶ月くらいが過ぎた11月ごろ。
欠席が続いていたことから彼が高校を卒業できないことが決定しました。

〝もう1年ある〟

彼が卒業できないことを悲観的に思う人はいませんでした。
むしろ、みんなは「彼が自分自身に向き合う時間が増えた」と、少し安堵してたように思います。

そして、
2度目の高校3年生がスタートした春。

何事もなかったかのように
彼はエールの教室に戻ってきました。


全日制普通科高校から通信制高校に転校した彼は、
高校卒業単位履修のカリキュラムをこなしながら、
朝から夜までエールで受験勉強を続けました。

それを学習アドバイザーのみんなが見ていました。

授業後に「お前の気持ちわかるよ」と
23時ごろまでファミレスで話を聞いたり、
模試の結果を見て「俺の現役時代よりいいじゃん!」と励ましたり・・・。

最後の1年。
私たちはほとんど勉強を教えることはありませんでした。

中学2年生にエールに入塾してから
ずっとがんばってきた。


「もう十分に合格できる実力を持っている」


だから
彼は、その手で
自分の力をぎゅっと握って
培ってきた重みを感じてほしい。


私たちが彼にできたことは
きっと戻ってくると信じることと、
戻ってきた彼を見守ること。

それだけだったけれど、
一度、自分自身を手放しかけ、
再び戻ってきた彼に
「自分のチカラ」を掴ませることが大切でした。


・・・・・・・・・・


僕が、試験会場で席に着くと、

「頑張れ」 

誰かの声が聞こえてきました。

「いつも通りやればできる」
どこからか声がしました。

これまで関わってもらったすべての人達の声が
それらの言葉に馴染んでいきます。


僕はもう一度、鉛筆を持つ手に力を入れました。
何千時間も握ってきた鉛筆は
いつものようにスッと手におさまっています。

大学に合格する実力が自分にあるかどうか、
僕には自信がありませんでした。
今までやってきた自分を信じることは、
僕にはとても難しいことでした。

しかし、
聞こえてきた言葉を信じることは容易かったです。


今の自分と今までの自分を信じるより、
それらの言葉を信じる方が楽に感じたのです。


僕は信じていました。
僕は、たとえ自分に自信が持てなくても、
そんな僕に自信を持たせてくれる人がいる。

僕は、その人たちを信じていました。
ただそれだけのことでした。

〝ただそれだけのこと〟

それに気づくのは簡単なことではなく、
むしろとても難しいことでした。

だから少し遠回りをしたけれど、

答えはシンプルでした。
僕が学んだことは、
シンプルだから気がつきにくく、でもとても大切なものでした。



名古屋大学 理学部 合格
(名城大学理工学部合格・南山大学理工学部合格)

愛知県立松蔭高等学校
N高校 卒業
エール歴6年


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