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戦争がいけないことの理由

こんばんは。戦争はいけません。
改めて言うまでもありませんが。

戦争はいけません。やってよい理由がありません。
いけないものはいけないのです。

それでもロシアははじめてしまった。
プーチン大統領が指示を出したのだろう。
僕がメディアを通じて知っている情報で文字を起こすのならば、そういうこと。
全世界中からロシアへの、プーチンへの批判が巻き起こっている。

最近の報道を見ると、プーチンさんの個人の状態についての言及が増えている気がする。パーキンソン病の疑いであるとか、彼は変わってしまった、であるとか。あたかも、手に負えない老人がその性をあけすけに晒しているかのような。
ネオナチという言葉もみつけた。この言葉のインパクトを考えると、
どうやら、プーチンさんのことを、ナチスドイツのヒットラーのような独裁者としたい意図が透けてくる。きっと無意識なんだろうけど。
そして僕がプーチンと呼び捨てにせず、さん、を敬称をつけているのは、意識的に失礼な自分で在りたくないと思っているから。
私はあなたを知らない、その知らないあなたを呼び捨てにできるほど、私は尊大でも高尚でもない。
あくまで一人の人間であると、思っていたいわけである。

個人の権利と権限において、これだけの命が失われ、また、悲しみや寂しさがそこかしこから噴出するだろうか。
いや、しないであろう。
個人のできることはたかが知れている。にもかかわらず、プーチン大統領のコメント、動画、それらが全面に出ており、プーチンさえ改心すればことは収まるという流れにもっていきたい、見えざる神の意志を感じている。
プーチンさん、ひとりで、全部やってますか?
やっていないでしょう。
その周囲の人々、プーチンさんの指示を末端まで知らせている人、何人もいるでしょう。
その情報系統において、必ず、某さんがいて、その某さんは、きっと、(希望的観測ですが)いやいや大統領それはいけないでしょ、って思っているはず。
それでもその情報系統、指示系統が成立してしまっているところが、恐ろしや。そもそも、指示を守らないと、銃殺、とかあるのだろうか。ブラックボックス。わからない。わかっていそうで、わからないことが多すぎる。

ここまで書いてきて、気づいた。本当は、どの国も、プーチンさんの本意がわかっていないのではないか。戦争が終わる見通しを立てられていないのではないか。(すごくおそろしい想像をしている)
プーチンさんは、ウクライナを無くしたいはず、きっと。これは僕の感触。直感。なんの根拠も無い気がするけど、根拠はある。それはソ連。ソ連崩壊からロシアは存在感を示せていなかったような気がする。
社会主義って実はすごく考えられていたシステムだったような。でも、資本主義との相性が悪くて、民主主義の、多数決の原理により、自然淘汰の形でないがしろにされて、崩壊していったような印象。
すみません、社会学者の方からしたらとても乱暴に論じています。論じているかも疑わしい。書き連ねているだけですのでご容赦。

社会主義の印象は、個人よりも集団。つまり、集団の大きな集合体である、国を強化していこう、進化させていこう、って印象を持つ。
共産主義は、みんなでがんばっていこうよ的な印象があるから、社会主義ほど没個性ではない印象。あくまで印象。個人的雑感です。
これだけ世界がグローバルにつながると、社会主義や共産主義は難しくなってくると思います。他の国の様子をスマホで知れてしまうから。民主主義と言われている国における、自由を謳歌していると思わしき情報をスマホから手に入れると、憧れる、の、かもしれない。

それでも、過去の歴史を振り返って、どうしても振り落とせない時間がある。栄華を極めた誇り高き時代、強いロシア、強いソビエト、強い大統領、強い国土、強い意志。
強さへの飽くなきあこがれ、飽くなき追求、終わりのない強さの証明。
核爆弾の用意があるって、ちらつかせること、それ自体が、威圧であり、振りかざしであり、見下しであり、差別の象徴であるにも関わらず、平気で言えてしまう心理、僕にはわからない。わからないけど、わかる気もしてしまう。
弱いって思われなくないよね、自分を見ていてほしいよね、優位に立ちたいよね。

はるか昔僕らの祖先は、木の上で生活していたとされている。
僕の知らないところで、たゆまぬ努力が緻密に積み重なり、そういった進化の歴史は少しずつ少しずつ明るくなってきている。
ずっと木の上で暮らしていれば、安泰、平和であった、はず。そのまま、繰り返していけば、天敵から逃げ延びるすべもわかっているし、食料の場所もわかるし、生命のバトンをつないでいく方法も安定的に継続できた。
それでも、ある時、確率が高いってだけの話かもしれないけれど、(立ち会った人はいないから)木から降りて大地を踏みしめ違う暮らしを求めた祖先がいた。
どうやらその祖先のおかげで僕はこうしてタイピングができているらしい。
はるか昔の祖先に感謝。よくぞ木から降りてくださった。

強引かもしれないけど、書く。
核爆弾をちらつかせ、戦争の正当化を並べ立てることは、木から降りることとは違う。
それは、人類のこれから先の進化に寄与するものではない。
木から降りて、二足歩行になり、脳が肥大化し、両手が育ち、集団の規模を拡大し、協力を養い、長い年月をかけて、火を操り、農耕を手に入れ、反映していった人類。仲間が増えるに連れ、言葉も増え、知恵も増え、知識も増え、集合と離散を繰り返しながら、互いに影響を与え合い、失敗と成功を何度も何度も上塗りして、ここまできた人類。法で律する国家を形成し、集団の中に階級を考案し、権力の育成も担ってきた人類。
木から降りた祖先は、この戦争を見て何を思うだろうか。

これまでもきっと人類は歴史書にも記載されていないであろう争いを星の数ほど繰り返している、はず。(すべてに立ち会っていないのでわかりません)
何年も先の教科書には、ウクライナ戦争という言葉があるはず。
失敗です。
人類はそれでも止められない。止められなかった。
ロシアの侵攻を。ウクライナの荒廃を。
明日からその先も続くはずであった命のバトンが途切れることを。

どうなっていくのだろう。
プーチンさんの側近は今頃何をしているだろう。プーチンさんのお友達を今頃何をしているだろう。
プーチンさんはキエフに行くだろうか。
自分の権力というか、自分の脳内のイメージと現実の姿を比べて、納得してしまうのだろうか。
消し去った命がロシアという国の国民の幸せにつながっていると確信してしまうのだろうか。
そうでないといい。
戦慄して、心の底から驚愕して、後悔してほしい。
プーチンさんは宗教をもっているだろうか。神を信じているのだろうか。
僕は神を信じている。宗教は好きだ。拠り所があると人間は安心できる。
神様が人間を創り殖えよと言ったならば、神様に救いを求めることには一定の担保があるように思う。
プーチンさんに見えている神に誓って、この侵攻が正義であると言い切れるのだろうか。

すでに亡くなっている方もおられるようだ。

本当に戦争が終わって欲しい。
日々の営みを淡々と繰り返すだけでよいではないか。
これ以上にのぞむものはなんだというのか。
地球からは出ていけない。この世界は、按分して暮らさないと、すでに狭いのだ。

この世界はどうなって、しまうのか。

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