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夜間中学は、日本の学びの希望


城之内さんとの茶話会から考えたこと

ちょうど九州をめぐられるということで、はるばる岡山から自主!夜間中学の取組、香川県では、夜間中学と不登校特例校を合わせた全国唯一の取組など熱い思いをお聞きしました。
夜間中学をみなさんはご存じでしょうか。これまで「小学校しか卒業してないけれど、事業で成功して云々」みたいな記事をみたことがあったなと思いだします。そういう高齢の方が中学卒業をしていないために夜間中学というものがあるのかな、くらいの理解でした。
もちろんそのような方がいらっしゃるのは事実です。戦後義務教育が6年から9年に変更された際でも、すでに働いていた子どもは学校に行くことはなかったわけで、それがずっと心残りだという気持ちは理解できます。
しかし私のように高齢者の方の学び直しであれば、昼間でもいいわけで夜間の中学でなくてもいいですよね。
70年代80年代は中国残留孤児の問題がありました。私も子どもながらニュースでなんとなく覚えています。そういう方々もまた学び直しが必要です。また人権問題として習う同和地区の方々への学びと保障するという側面もあったといいます。
戦後から次々と開校していった夜間中学ですが1955年を境に国策として減らしていくことになります。あまり問題視されなかった登校拒否の子どもたちも実は夜間中学が受け皿となっていたということも衝撃を受けました。城之内さんは、言います。「今、夜間中学が全国で設立の動きが出てきています。それを地図にしてある人が教えてくれました。設立が早いところは、人権・同和問題に熱心に取り組んできているところを重なると。」人権問題は、具体的に夜間中学の設立ということにつながっているとは目から鱗です。

夜間中学だったら来れるかも、、という子どももいる

香川県の三豊市に全国で唯一の不登校特例校夜間中学が開校できました。中学校卒業のためには年間約1000時間ほどの授業が必要なのですが、不登校特例校は750時間ほどで弾力的に運用。
夜間中学校に現役の中学生が通えないのは、どうしても授業時数が700時間ほどしか取れないからなのだ。しかし50時間程度の差ということは、週1から2時間ほど増やせばクリアできる。やってやれないことはないと証明したのが三豊市の高瀬中学校。そこに何十kmも離れた岡山から城之内さんは通勤されて教えているのいうのだから頭が下がります。
不登校の子どもたちの生活リズムはいろいろな要因によって、朝不調の子が多く、夕方から夜にかけて元気になっていくことがよくあります。だとするならば、文部科学省は、不登校特例校夜間中学のやり方をもっともっと全国的に展開して、その時間なら元気に学べるという子の教育保障に動くべきではないでしょうか。そうならないのは、教育界や教育関係の政治家のみなさんがあまりに保守的で、いわゆる全日の学校に通うことを第一義的に考えている証拠でもあります。生き方、学び方はいろいろあっていいのです。もう少し踏み込むと、中学生の家庭の中には生活困窮家庭もたくさんあると思います。中学生でも新聞配達だけでなくもっと社会との接点をもたせて働く形をつくった方がいいのです。もちろん児童労働問題など不利益を被ったり、搾取されないように護られた仕組みをつくることが必要です。3日とか1週間程度の職業体験ではなくて、本当に働いて社会の一員として認めていくことも中学生の一部には必要なことです。学校にいたって自信や自尊感情は育たないのですから。

学びの未来の形は、少人数で縦の人間関係

夜間中学に学びに来ている人は、三豊市のケースだと現役中学生から高齢の方まで細く長い縦の人間関係。しかし人生の先輩であるご高齢の方々が真剣に中学の内容に取り組む、身につけようとしている。これを子どもたちが見て何も思わないはずがありません。
いくつになっても学んでいいんだ、年齢が上になっても簡単で分かるところから始めていいんだ、学んでわかった時は嬉しいって思っていいんだなどなど年齢の上の人の姿を見ることで改めて、学ぶ=自分の成長だと気づくことができます。それまでは勉強といって、上から目線でやらされるもの、やりたくないけどやらなければならないもの、つまらなくて嫌なもの、テストのためにするものだったのですから、学ぶという本質に触れることがなかったわけです。
今の学校では、学ぶことの大切さを本当に伝えきれていません。だから芸能人やスポーツ選手など勉強とは無縁の努力と才能と運で成功した人に憧れたりするわけです。勉強した人を尊敬するという風潮は皆無です。でも学んで自分を成長した人という視点に立てば、多くの大人を尊敬できるようにもなります。五教科ではないけれど、日々仕事の中で学んで昨日より今日、今日よりも明日はもっとよい仕事をしようと思っている大人はたくさんいます。身近に尊敬できる大人がもっともっと増えていくことが子どもの成長には必要なことです。それが目に見える形としてあるのが夜間中学です。今の学校では絶対にできないことだと思います。

何のための、誰のための学校なのか

今、本当に学校というものの存在そのものがゆらいでいます。そして学校を支える教員のみなさんは一生懸命日々取り組んでおられるのは知っていますが、制度や構造が歪んで古いままだとその努力も徒労に終わることが多いので病んでしまう先生も多くいます。
子どもも不登校になるし、先生も病んでいくような学校の存在って何なのでしょうか。
夜間中学は、今の時代に見直され、これからの学びの希望となっていく予感が十分にあります。フリースクールともかなり近いものを感じます。一緒に連携してこれからの子どもが中心の学びある社会の実現にもっともっと発展していってほしいと思います。