Chinese White; 伝わらないこと
基本的に、ものごとや思いを正確に伝えるというのは相当高度な技術がいるものです。特に人間関係のそれについて言えば、それは言葉を正確に扱えるということよりも、適切なタイミングで、多少本来の意味から遠ざかろうとも適切な言葉を選び、環境状況360°を意識して球を投げることができるというのが、上手な人がすることです。
こんな前置きからお察しの通り、私にはそれができない。できないのレベルはさまざまだろうけれど、とにかく人生でありとあらゆる誤解を受けてきたし、そう他人に指摘されたことも一度ならずある。「空気を読む」「わきまえる」「ちょうどいいラインを知る」というセンサーが、状況や相手によってはまったく機能しなくなるのです。
突発的な感情を脇に置き、目の前のものごとを冷静にみる、ということだけがコミュニケーションを間違わない方法だというわけではない。そこに本来の自分の物差しがなければ、思いは相手に届かない。それ以前に、「相手の観点」を受け取れない。
Be yourself. と、いつだったか言われました。Just be yourself, that's the only thing you should care after all. と。 なにかにナーバスだった時のことでしょう。「ありのままの自分でいる」「ゼロでいる」ことは、いかに難しいことか。
一方が与えていると思うことと、一方が受け取っていると思うものの温度。
荷物を背負う一方にとっての、それを積む方にとっての重さ。
それはまったく違うものです。数字が同じでも。
つまり絶対的事実なんてこの世にはなく、捉え方がすべてなのだけども、そこのギャップを私たちはコミュニケーションでなんとか埋めようとしている。けれどもその時に自分の物差し・センサーを失っていたら、伝えられる数字がそもそも崩壊しているわけです。
人によって量は違うけど、伝わらないことは山ほどある。諦めたらそこまで。でもそこまでってだけで、諦めるのが悪いわけではない。どうしたって伝わりにくい相性はあるし、全ての人とうまくやる時間もない。
でも、本当に諦めてはいけない場合もあって、そこで私たちは擦りあい、心を傷める。
写真の見事なハクモクレン(伝わらない(!)かもしれませんが、相当の大きさなのです)を撮ったのは、東京の西のはずれ。中心部ではすっかり散ってしまっていたけれど、気温が違うのかまだ残っていました。
白木蓮の優しく真っ白な花びらは、そんなに薄くもないのに関わらず、風などで他の葉や花にこすれるとすぐに茶色く傷み、散ってしまいます。
伝えたいことが思うように伝わらなかったとき、それは人間関係で成り立つこの社会では非常に堪えることです。
でも倖い人間は、擦れて傷んでも散らずに夏を迎えることができます。傷口をじぶんで擦ってますます茶色くする必要はない。
また真っ白なじぶんに戻る方法を知っていることの方が、よほど重要なんだと思います。
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