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【ヒモ男シリーズ(最終話)】さすらいのヒモ男・前編

『コンパスヒモのヒモ的奉仕ライフ』

〈これまでのあらすじ〉
東京で "自立したヒモ生活" を謳歌するコンパスヒモ。地元の中学のクラスメイトで神社のひとり娘のユリが上京の折には家に泊め、楽しい時間を過ごすようになってから早1年。
ドSの姉がシングルマザーとなって実家に居座っているので帰省しても居場所がない中、互いの親からそろそろ身を固めるよう徐々に圧力がかかり……ヒモ男、どうなる!?

最終話「さすらいのヒモ男」前編

 おれはコンパスヒモ。今日は元相撲部屋の女将で寡婦の世話好きばあさんダブリュ子の下町の家に手打ち蕎麦を食いにやってきたぜ。いろいろと頼みごとを仰せつかって、バタバタとしていた間に、さっきまで夕日に赤く染まっていた庭のアジサイが、もう薄暗闇にのまれているぜ。

「さあ、できた。食べよ食べよ」

 カリカリの天ぷらを頬張り、蕎麦で口の中を洗い流している途中、俺のケータイが鳴ったぜ。斜向かいに座っているダブリュ子をちらと見やってから手に取ると、

「あ、母ちゃんだ」

「いいよ、出な」

 ダブリュ子に言われて通話ボタンを押したぜ。

「はい?……うん……えっ? マジか……うん、まあ、大丈夫……うん、分かった」

「何かあったのかい?」

「うん……親戚のおじさん……正しくはおおおじ、、、、かな? が入院してるから見舞いに行ってくれって」

「事故かい?」

「いや、ガンがいろいろ転移してて、手術も無理な状態って……」

「そうかい……どこの病院だい?」

「結構近く。東京こっちに住んでるからさ」

「そうかい。結婚してるのかい?」

「いや、独りもん。おじさんの姉ちゃんが面倒見てるよ」

「そうかい」

 ダブリュ子は立ち上がり、隣の部屋へ入って行ったぜ。こちらへ戻ってくると、俺に白いポチ袋を差し出しながら、

「これでなにか買っていきな」

「いいよ、いつももらってるし」

「いいんだよ、ほら、遠慮しないで」

 ダブリュ子はポチ袋を俺に押し付けたぜ。

「なにか乾き物がいいだろうね。でも本人は食べれないかもしれないからねえ、見えないところでご家族にね」

「……ありがと」

 2日後の昼下がり、ダブリュ子に言われたように焼き菓子を買い、バイクで病院へ向かったぜ。ナースステーションで部屋番号を聞き、扉をノックをすると、おじさんの姉のカワおばさんが出てきたぜ。母ちゃんから俺が今日来ることを聞き、待機してくれていたんだろうぜ。

「こんにちは」

「ヒモ男ちゃん、久しぶり。来てくれたのね、ありがとう。相変わらずいい男ねえ」

 どうやら個室らしいぜ。おばさん越しにベッドに仰向けになっているおじさんが見えるぜ。俺はおばさんに小声で、

「ウミおじさん、どう?」

と聞いたぜ。おばさんは顔を歪めて少し頷くだけだったぜ。

「あ……これ、よかったら」

 俺は菓子折りをおばさんに渡したぜ。

「あら、いいのに……ありがとね。さ、入って」

 俺が中に入ってベッドに近づくと、おじさんの重そうな瞼が上がり、俺を目で追ったぜ。元々痩せていたおじさんがさらに痩け、ごま塩の髪もまばらだぜ。ベッド脇の椅子に座ると、

「ヒモ男か……俺は情けないだろう」

と、おじさんがなんとか絞り出したような小さな声で言ったぜ。

「……おじさんはカッコいいよ」

 俺がそう答えると、おじさんは力なくにやりと笑ったぜ。

「ボロボロだな」

「そんなことないよ」

 おじさんは俺の両の目を交互に食い入るように見つめるぜ。去年の秋、地元での曾ばあちゃんの三十三回忌のあと、2人で飲んだときに俺を誘ってきたのと同じ目だぜ。おじさんがこうなると分かっていたら、あのときのおじさんの望みを受け入れることで、成仏させてあげられるんじゃないかなどと思ったぜ。俺がふと笑みをもらすと、おじさんが腹に置いていた左手を伸ばしてきたぜ。俺はその手を両手でがっしりと握りしめ、顔の前で祈るようにし、おじさんと見つめ合ったぜ。そのとき、扉をノックする音がし、カワ代おばさんが開けると、おばさんの孫のルリが入って来たぜ。1年の成長は見事だぜ。小学5年か6年ながら大人の色気を感じさせる美少女のルリは、俺を見て一瞬目を大きく開き、こちらへ近づいてきたぜ。俺はおじさんの手をゆっくりとまた腹の上に戻したぜ。ルリは俺の隣に立ち、

「おじさん、久しぶりだね」

と口角を上げて言ったぜ。

「ルリ……大きくなったな」

 次いでルリは椅子に座っている俺を見下げてきたぜ。おばさんの娘であるルリの母親も入ってきて、初対面だったのでいろいろと挨拶したぜ。

「半年前から主人がアメリカに転勤になって、ルリと私もあっちで一緒に住んでるの。ちょうど昨日帰ってきてね、ヒモ男くんが今日来るって聞いたから、会えてよかったわ」

 ルリと母親がおじさんを囲んだので、俺はカワ代おばさんにちょっと出てくると告げ部屋を出たぜ。廊下の斜め向かいの窓際に小さなロビーがあり、自動販売機で缶コーヒーを買い、ソファに座って飲んでいると、ルリがひとり部屋から出てきて、俺の顔を見た途端、急に顔が歪み、声なく泣き出したぜ。

「ルリちゃん、どうしたの?」

「分かんない」

 ルリは俺の隣に座り、両手で顔を覆い、体を震わせているぜ。俺はルリの肩に手を置き、少し引き寄せたぜ。ルリが落ち着くと、

「なにか飲む?」

と、ルリの好きな飲み物を買い与えたぜ。

「ありがとう」

 ルリはひと口飲むと、

「おじさんがあんな風になってるなんて思わなかった」

と辛そうに口にしたぜ。

「きっと急に悪下したきたんだな」

「ルリが日本こっちにいる間に退院できるかなあ……」

 本気でそう思っているのかどうか、子どもに接し慣れていない俺には測りかねるぜ。

「いつまでいるの?」

「あっちの学校が夏休みの間」

「そうだな、できるかもな」

 ルリと部屋に戻り、皆にまた近いうちに来ると告げてから帰ったぜ。

 1か月後、数日前の嵐でしまい忘れた簾がボロボロになったので替えてくれとダブリュ子から連絡があったので、夕方バイクで出向いたぜ。諸々の作業が終わり、縁側に座って、だいぶくたびれてきたアジサイを眺めながらぼうっとひと息ついていると、

「ほら、あんたの電話が鳴ってるよ」

と、台所からダブリュ子の声がするぜ。バタバタと向かい、テーブルの上のケータイを見ると、

「また母ちゃんだ」

 通話ボタンを押す前に、ダブリュ子と3秒ほと目を合わせたぜ。

「なに……えっ? うっそ……うん……うん……うん、出るよ……うん、いいよ、はい」

 俺の様子を近くで見ていたダブリュ子の表情が曇っているぜ。

「この前話したおじさんが今朝亡くなったって」

「……そうかい」

「俺、あの後また見舞いに行くって言って、結局行かなかった」

「でも、ひと目会えてよかったじゃないか」

「うん……5日後に母ちゃんと葬式に出るよ」

「そうかい」

 俺はため息をつきながらテーブルの椅子に腰掛けたぜ。

「喪服は? 持っているのかい?」

「あー、そっか……オールシーズン着れるのが実家にあるから、母ちゃんに持ってきてもらうよ」

「夏物でなきゃ暑いだろうね。作ってやるよ。一着は持ってた方がいいからね」

「いや、別にいらねえよ」

「いいんだよ、馴染みの腕のいいテーラーが近くにいるから、今聞いてみよ。息子に代替わりして隠居してるけどね、まあ暇だろうからね」

 ダブリュ子は蕎麦を切るのを中断し、居間にある電話台へ行ったぜ。

「あー、忘れた。ダメだね、歳だ」

と言いながら、目の前の壁に貼ってある住所録を指でなぞってからボタンを押したぜ。

「もしもし? 薄塩うすしお部屋だけどね、もしかしてあんた貞羅ていらさんかい? ああ、よかった、えっ? 電話番? ああ、そうかい、いやあね、ちょっと遠縁の子が夏物の喪服が急に入り用になってねえ……そう、男、男。5日後に着るんだけど、あんたに作ってもらえないかと思ってねえ……ああ、できる、うん、3日、ああ、今ちょうどうちにいるよ……あー、ありがたいね、うん、じゃ、頼むね、はい」

 電話を切ったダブリュ子がにやけながら、

「よかった、今来るよ」

と言って戻って来たぜ。
 30分ほどしてから、背の低い忠犬のような人当たりの良いじいさんがやって来たぜ。ダブリュ子が天ぷらを揚げている間、俺の体のいたるところにメジャーを当て、手際よく作業を終えたぜ。飯はまだと言うんで、一緒に食卓を囲み、じいさんは酒も出されてご機嫌で、ダブリュ子と亡き親方の思い出話などをして盛り上がっていたぜ。
 葬式の前々日、またダブリュ子の家に来て、貞羅のじいさんが持ってきた喪服を試着すると、これまで味わったことのないくらいに着心地が良いスーツだぜ。ネクタイまで全て身に付けると、

「おー、男っぷりが上がったね。貞羅さん、あんた腕上がったんじゃないかい?」

「いやあ、モデルがいいんですなあ」

 貞羅のじいさんは俺が脱いだものを丁寧にテーラーバッグにしまい、ワイシャツと一緒に紙袋にまとめたぜ。その後、ダブリュ子が頼んでくれたうな重を3人で平らげ、じいさんはまたほろ酔いで帰っていったぜ。

「ほら、これ」

 俺がバイクの横でヘルメットを装着すると、ダブリュ子が喪服の入った紙袋を渡してきたぜ。

「ありがとう。金渡さねえと」

「いいんだよ、年寄りからのプレゼント」

 俺は苦笑いしたぜ。

「明後日は早いんだろう? しっかり寝とくんだよ」

「うん……じゃあ」

 いつものようにダブリュ子に見守られながら発進させたぜ。
 家に着いて紙袋から喪服を出すと、深紫の袱紗ふくさも出てきて、黒い数珠と無記名の香典袋が揃い、中に1万入っていたぜ。
 次の日の夕方母ちゃんが来て、最寄り駅まで迎えに出たぜ。駅弁を買ったというのですぐに家に向かったぜ。道すがら、おじさんに最後に会ったときの様子などを詳しく聞かせたぜ。

「あんた、こんないい部屋に住んでるの。テレビ大っきいね」

 母ちゃんがひとり暮らしの俺の部屋に来て泊まるのは初めてだぜ。

「何やってんだか知らないけど、借金はしてないだろうね?」

「当たり前じゃん」

 腹が減ったというのですぐに夕食にしたぜ。

「時々ユリちゃん来てるんだろ?」

 俺は黙って食べ続けたぜ。

「うちが構わないんだったら婿に入って神社継いでくれないかってユリちゃんのお母さんに遠回しに言われてるんだよ」

「…………」

「あんた、どうせお父さんと同じようなことして稼いでるんだろ?」

 俺は一瞬手を止めたぜ。

「稼ぐって言葉を使っていいのかどうか分からないけどね。こんな生活いつまで続くか分からないんだしね、もしうちに帰ってきたとしても、あんたナワ美に使われるだけだよ」

 母ちゃんは姉ちゃんのよき理解者だぜ。年明けに生まれた姉ちゃんの子のイト子の子守りで、母ちゃんもバテ気味なんだぜ。

「ユリちゃんは器量も気立てもいいんだから、くっついたらあんた幸せだよ。あんたさえその気になりゃあ、一気に片付くんだけどねえ……」

「……考えとくよ」

 次の日、貞羅のじいさんの喪服を身に付けると、

「なに、どうしたの、こんないい物」

と母ちゃんが目を見開いたが、面倒なのでその場を離れ深入りさせないようにしたぜ。
 葬儀場には、わずかな近しい親戚だけが集まってきたぜ。ルリの姿がないので気になっていると、ルリとその母親ははやり病にかかって来れないのだと、おばさんが母ちゃんに言ったのが聞こえたぜ。俺は落胆したぜ。見舞いのときはたまたま会えたとは言え、もうおじさんもいないし、単にまたルリに会うためにここに足を運んだのかもしれないとまで思ったぜ。
 棺桶の中のおじさんに花を捧げたときは、皆と一緒にさすがに泣けたぜ。燃やして骨になったら何の面影もなくて、寂しいもんだななんて思ったぜ。

後編へ続く


ダブリュ子が出てくる話
第11話「ヒモ男のとある1日」
第12話「ヒモ男パーティー」

おじさんが出てくる話
第17話「ヒモ男の帰省、秋」

前話「ジゴ郎の試練」

第1話「ヒモ男のラブラブラブホテル」

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