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【小説】破格の女 第3章 救出(5)

 ズラブと別れたマリアは、空港内のショッピングモールをあてもなく散策したあと、スペースシップの離着陸が見渡せるデッキにあるカフェに入り、テラス席に座った。今回の遠足、、の目的……ズラブに会うという目的をすでに果たしたマリアにとって、目の前で繰り広げられる宇宙への船出は、きたるべき未来への想像力を大いにかき立てる。バオは倒壊するのか、そのときは地球を脱出するのか、ジノは本当に助けに来るのか、タケノコ星でタロウと会えるのか、ズラブは後から追いかけてくるのか、それとも一緒に行くのか……。
 タロウが推進派についてマリアに打ち明けたことが真実かどうか分からない。ジノも嘘を言っているようには思えなかった。一体何を信じて行動すれば良いのか……ズラブに会えば、もしかしたら何か分かるかもしれないと思ってこの空港行きを思いついたのだが、分かったことは、タロウの言っていた通り、ズラブは心優しく信頼に足る男だということだ。ジェットバカ、、、、、、だけれど、その単純さがまた可愛いと思ってしまうのは、マリアの方が年上だからだろうか。
 軽い食事をとり、食後のコーヒーを飲みながら、マリアはズラブから借りたタロウの本『故郷ふるさとの森』をバッグから取り出した。大分くたびれてはいるが、読むのには問題なさそうである。表紙の裏に書かれている発行年はちょうど30年前。マリアは数ページめくって序文を読み始めた。

「バオという言葉には、私の遠い先祖の言葉で包む、、とかという意味がある。袋には子宮から連想してという意味もある。人類の知識と情熱の粋を集めて作られたバオは、そこに住む者たちを育む母親でもあるのだ。   
 いずれは滅びゆく運命にある地球に作られたバオの森に咲いている無数の花々を、ここにしたためようと思う。ルートに生まれたものの地球を離れざるを得なかった身として、再びこの地を踏めた奇跡を噛みしめながらの作業なので、多少感傷的になってしまうことには目を瞑って欲しい。
 『書きとめし跡は消えせぬ形見』と二千年前の天才女流作家が歌ったように、自分がいなくなっても文字にしたものは残る。千年前の偉大なる文化人類学者は、芸術について述べた彼の著作を以下の言葉で締めくくった。『どこでもいい、人間の歴史から任意の千年、あるいは二千年を取り去っても、人間の本性に関する私たちの知識は減りもせず増えもしない。唯一失われるものがあるとすれば、それはこれらの千年、二千年が生みだした芸術作品だけである。なぜなら、彼らが生みだした作品によってのみ、人間というものは互いに異なっており、さらには存在さえしているのであるから。(…)作品だけが、時間の経過のなかで、人間たちのあいだに、何かがたしかに生起したことの証となってくれるのである。』
 バオが芽吹き、成長・繁茂し、枯れゆくことが、一度栄えた文明の歴史的必然と同じであるとすれば、バオに生まれ育まれた人間にしか書けないであろう拙作が、運命をともにする我々の、後世における存在証明のひとつとなることを願う。」

 タロウってああ見えてロマンチストなのね……若い頃に口説かれていたら恋に落ちていたかもしれないわ、とマリアは空想した。
 全体としては俳句紀行文のスタイルを取っている。天空の支配階級、バオの歴史、バオを支えるルートの女たちの生活様式と信仰、ステムの労働者たちの暮らしぶり、天空とステムでの子どもたちの境遇の違いなどが書かれてあり、開き跡が付いているページは俳句が載っている部分で、行間や余白には、子どもだった頃のズラブが書いたであろう文字の練習の跡をとどめ、いくつかは鏡文字になっているのが微笑ましい。
 タロウの俳句は、

  砂あたたか空の青さに海のあを

  潮騒にやどる太古の調べかな

  眼裏まなうらになおあまりある月あかり

  木洩れ日に笑みを絶やさぬステムの子

  揺るぎてもバオの根もとは花ざかり

などで、最後の「揺るぎても」は当時流布した有名な一句である。今は禁止されているバオの外への旅を想起させるものがいくつかあり、地球が否応なしに危機に向かっていることを認識させられる。
 幼い頃、寄宿学校で少し習ったことがあったが、マリアはほとんど覚えていなかった。自分の記憶力のなさに幻滅したところで、いざ本腰を入れて読み進めようと本文の先頭を開いたとき、

「マリアさん?」

と声をかけられた。振り返ると、マリアの住むバオの行きつけのレストラン「マホロバ」のボーイのレイが横に立っていた。

「レイ! 偶然ね」

 レイは頬を赤く染め、いつもの愛らしい笑顔を見せた。

「ご旅行ですか?」

「いいえ、違うの。気晴らしに来てみただけなの」

「ジノさんは?」

「今日は私ひとりよ」

 マリアとジノが一緒のところしか見たことがなかったので、もしかして何かあったのだろうかとレイは勘繰り、ジノの名前を出したのはまずかったかもしれないと後悔した。

「あなたこそ、どこかへ行くの?」

「あ、はい、僕は実家に帰るんです」

「ご実家はどちら?」

「スジカイ星です」

「あら、そうなの。遠いところね……帰るって、一時帰省?」

「いや、それが……もう地球ここには戻ってこないんです、きっと……」

「いやだ、本当?」

「はい、マホロバも辞めました」

「そんな……何かあったの?」

「家族が、地球はそろそろ危ないから帰って来いとうるさくて……どこまで本当か分からないんですが、父の病気も悪化しているからって急かされたんです」

「そうだったの……残念ね」

「最後におふたりにご挨拶できなかったのが心残りだったんです。でも今あなたに会えて良かったです!」

「ええ、私もよ。お元気でね、あなたのことは忘れないわ、レイ」

 マリアは握手を求めた。レイは恥ずかしそうにその手を握った。

「ありがとうございます。おふたりともお達者で」

「ありがとう」

 ゆっくりと手を離してからもお互いに名残惜しく、レイもその場を離れられないでいた。

「……ねえ、レイ、スジカイ星ってタケノコ星と近くだったかしら?」

「あ、はい、タケノコ星へ行くまでの中継地ですよ」

「あら、そうなの! 私、もしかしたら、いつかタケノコ星へ行くかもしれなくて……」

「そうなんですね! もしもスジカイ星で時間があったら、是非うちにお立ち寄りください。連絡先書いときますね」

「ええ、是非。ありがとう」

 レイはマリアの後ろの空席に備え付けのペンを取ってきて、ポケットに入っていたレシートの裏に書きつけた。

「どうぞ。タケノコ星にはお知り合いでもいらっしゃるのですか?」

「ええ、まあ、そんなところよ」

「そう言えば、さっきニュースで見ましたけど、タケノコ星から来たスパイが昨日、推進派に捕まったらしいですよ」

「え? スパイ?」

「ええ、何でも、元推進派で内部事情に詳しい男らしいです」

 マリアの胸に暗雲が立ち込めた。

「……そのスパイの名前は?」

「ええっと、何だっけな……」

 レイはパンツの後ろポケットから携帯電話を取り出して調べ始めた。

「ちょっと待ってくださいね……あ、ありました、タロウ•ルーという名前ですね」

〈参考文献〉
『新古今和歌集』哀傷歌817   紫式部
『みる きく よむ』クロード・レヴィ=ストロース著 竹内信夫訳 みすず書房

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