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年始に思ったこと

人生100年時代...という病

今年53回目の人生を歩んでいる私には、90歳を少し超えた両親がいて、絵にかいたような老人像とは当てはまる項目が少なくて、それは「耳が遠くなる」であるとか「同じことを何回も質問する」であるとかは、この20年くらい見られる状況であるが、例えば「介護」や「援助」といった高齢者ビジネスに含まれる内容については、現状全く当てはまる事がなく、早朝に目が覚め、部屋の掃除をし、母は近くのスーパーへ買い物に行き、父はPCに向かい何やら大好きな野球チームのニュースなどを調べていたりする。本人たちにしてみれば、身体が年々自由が利かなくなってきたりしているのかと想像できるのだが、はたから見れば私の方が先に人生を終えるのではないだろうか?と冗談少なめに考えてしまうほどに私の両親は元気なのである。

小さなバラ園(六甲アイランド)


『これが人生100年というものなのか…』

まあ普通にそう感じるし、正直私自身は2人のように残り50年生きていく自信がないし、まず無理だろうと思うし、手前味噌ということになるが、仲が良い両親であるからこそ2人で元気に生きているんだろうな、と考えるまでもなく、という話である。

私はといえば、30歳のころに結婚してほどなく息子を授かり、10年たたぬ内にシングルファザーとなった。家族ですごした年数よりも息子との2人だけの時間が長く、それが私の標準的な日常であった。そんな時間もこの数年くらいで変化を見せ始め、息子が一人暮らしを始めると家を出て、私は一人となった。

静かになって、寂しくなるかなぁ…なんてボンヤリと考えてはいたけれど、そんなもんではなくて「あれ?自分の役割ってなんだろう?」こう感じてしまったのである。

単に子育てという役割が千穐楽を迎えた感情になっただけではあるが、自分でライフプランを考えるでもなく、脳内にイメージされていたものの中に、どうやら息子と別に暮らすというタグを忘れていたのである。この先、息子との2人暮らしをするということは、八割がた無いはずで、私はこれからの人生を一人で歩んでいくということになる。

「まぁなんとななるか!」と思ってはいるが
「一人でのんびり楽しく生きましょう!」というようなお気軽な気分になることもない。

ただただ『人生100年時代』が私にもあてはまるとして、残り後50年近くは一人で生きていくということになるわけで、もちろん離れてはいるが、家族もいるし親戚もいたりはするわけだから、天涯孤独という物語が始まるわけではないけれども、これはちょっとシンドイ案件だ。

そんなことを90すぎの両親の姿を眺めながら、ぼんやりと考えていたのだが、やはり目の前にいる2人のように、自分は生きていくことは不可能であるな、間違いなくせいぜい残り10年?15年くらいだよな…。心底そう断言できる。

決して悲観的な訳ではない。

ただただ、幸せの形を思い巡らしているだけで、こんな平和な人生で良かったな、と。ありがたいし、感謝しかないという話である。

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