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映画独り言。(岐阜の昔の映画館)

これは昔ロケハンに行ったときに壁に貼ってあったメモを元に書き起こしたものである。
先日、米国・アカデミー賞で濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が「国際長編映画賞」を受賞された。その受賞コメントの中に、幼少期に過ごした岐阜、柳ケ瀬の劇場が原点だという記事を読み、私も幼少期から訪れていた映画館を思い出しながら書き起こすことにした。
※書いた方は不明で、一部曖昧な点があること、ご了承ください。

各劇場メモ

衆楽70ミリ

洋画封切。日本ヘラルド、ユナイト、ブエナビスタなど。岐阜で70ミリ上映が出来たのはここと丸越のみ。

ニュー衆楽

邦画二番館で3本立てだった。夏の「怪談大会」などは大盛況。日活、松竹、東宝の映画が多かった。後に洋画館に。

金華ロマン劇場

ここは後になって出来た劇場。おそらく柳ケ瀬で初めてのビルの上の方の階にある映画館。「日活」が「ロマンポルノ」の「にっかつ」になるのにともない、岐阜日活が閉館。その後、にっかつロマンポルノの封切館としてスタート。後に洋画の「ペルル」に。

豊富館

邦画三本立て二番館。東映映画が多く、やくざ映画をよくやっていた。

自由劇場

洋画封切。藤和配給映画が多く、ヨーロッパ映画の封切ならここ。欧州映画のメッカの雰囲気。

ヤナカン

西柳ケ瀬の西の端にあり、裏はストリップ劇場の真砂座(まさござ)。(真砂座は現在も営業中)洋邦とりまぜたアクション映画の二番館。やくざ映画、マカロニウエスタン、洋画アクションなど。

東映岐阜劇場

館内の広さは柳ケ瀬唯一だったが、その割にスクリーンは大きくなく、岐阜東宝、スカラ座、丸越の方が大きかったのでは。

岐阜東宝

東宝映画封切館。岐阜でスクリーンが一番大きかったのはここでは。二階席があった点も忘れ難い。二階席があったのはここと、日本劇場。

岐阜大映

大映映画封切館。「ガメラ」「眠狂四郎」「座頭市」はみんなここで観れたはず。大映と日活の経営が悪化し、大映、日活が各1本ずつ出し合って二本立て興行をする。「ダイニチ映配」が発足するにあたって閉館。ダイニチ映画は以後、岐阜日活で興行。その直後、不審火を出し、岐阜松竹と共に消失。これに岐阜日活を加えて3館まとめて解体し、跡地に「サンバード長崎屋」ができたが、これも現在閉店。並んだ岐阜大映、岐阜松竹、岐阜日活の中ではここが一番大きい劇場だった記憶がある。

岐阜小劇場

岐阜大映の下。洋画二番館。スクリーンの大きさが学校の黒板の二倍程度という、本当に小劇場。

岐阜松竹

松竹映画封切館。「男はつらいよ」シリーズの10作目前後くらまでの封切館はここ。岐阜大映とともに消失。その後岐阜松竹の名称は岐阜東宝地下の館に移る。

岐阜日活

日活映画の封切館。ダイニチ映配から日活ロマンポルノへの移行時まではあった。前方の座席群と後方の座席群の間に1メートルほどの段差の壁がある。特徴的な作りの劇場。

スカラ座

洋画封切。ここもスクリーンの大きな劇場。当時学校の校外学習で映画館の文部科学省推薦映画を学校そろって観に行くというような行事があったが、その時の劇場はここ。洋画の他、独立プロ系日本映画の上映などもやった。「戦争と人間」、「祇園祭」など。「人間の條件」全5部作一挙上映なんてプログラムもあった。解体された後、ビルになり、そこに現「ロイヤル劇場」が入った。

岐阜ピカデリー映画

ピンク映画館。現在ライブハウス「クラブG」があった場所と思われる。当時の柳ケ瀬のデパートに来た小中高生に興味津々の場所だった。1階はマクドナルド。シャッターにマクドナルドの文字を見た人もいるのでは。

丸越

洋画封切。MGMなど。衆楽70ミリと並んで70ミリ映画も上映可能で大きい劇場だった。現在は岐阜信用金庫の本店ビルになっている。あの敷地の東半分ぐらが丸越跡地。向いはストリップのセントラル劇場で、当時は岐阜にもストリップ劇場が2館あった。

日本劇場

洋画3本立て。二階席があった。広くて料金も安く、よく混んでいた。アランドロン3本立てやビートルズ3本立てなど。

百万弗劇場

こちらは長良北町。エロチック系邦画。黒板サイズのスクリーン。

メモは以上。
掲載されていない映画館もある。
劇場通り、映画とショッピングの街だった柳ケ瀬。
道路にレッドカーペットが敷いてある。
当たり前すぎて気付かなかった。
県外の映画好きの方は喜んで写真に撮る。

岐阜と映画は切り離せないのである。
紙で書いたメモはいずれ消えてしまうであろうと思いキーボード乱れ打ちしてみた。




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