見出し画像

24周年を前に ③

高校留学時のアメリカンヒストリーのクラスで、第二次世界大戦の映像に真珠湾攻撃が映し出されたとき、

隣の男の子が

「見ろ、君の国が僕たちにしたことを!なんてことをしてくれたんだ!」

と、立ち上がって叫んだ。

私があっけにとられていると、反対隣りの男の子が

「僕たちの国だって彼女の国に、原爆を2つも落としたんだ、戦争だったんだ、彼女のせいじゃない」

というようなことを叫び返した。

これまた、私は、びっくりして眺めているだけだった。

その授業でのやりとりを両親への手紙にしたためたら、母は、日帰りで広島に行き、英語の資料を集められるだけ集めて、アメリカに送ってくれた。

そして、その資料を一式社会科の先生に渡すと、授業でもとりあげてもらい、議論が行われた。

私は相変わらず、クラスメートの意見を、感心しながら聞いているだけだったけれど、自分の意見を持ち、それをきちんと相手に伝えられることの大切さと意義を考える機会となった。

クラスメートは私より2つか3つ年下だった。アメリカの高校は4年制で、私は日本でいうところの高校2年生だったけれど、彼らは日本だったら中学3年生。14歳か15歳たちが、きちんと自分の意見を持って発言をするー先生は知識や情報を私たちに与えてくれたけれど、授業の最後に自分の意見を言うだけで、自分の意見も含め、誰かの意見が正しいかどうかは自分たちで考えることを促す授業だったのに、私は心地よさを感じた。

その後、ディベートのクラスでは、自分の意見と違う方の組に入り議論を進めることもあり、相手の出方を予想して準備をしたり、自分の意見をもう一度吟味したり、楽しい時間だった。

今、考えるとこの経験は本当に貴重だったと思う。

自分の意見をしっかり持ち、相手に伝える。そして、伝え方を考えるー

異文化コミュニケーションは、何も外国語学習を通してだけで学ぶものではない。

男女間も異文化コミュニケーションだし、同じ地域に住む友人だって、隣人だって異文化を持っている。

相手をきちんと尊重して、対等に交流をする。

その姿勢が、外国語だけではなく、様々なことに興味を持ち、学ぶとき大切だと思う。

寺子屋の子どもたちにも、そんなことを英語だけではなく、いろいろなことを学びながら身に着けていってほしいと思っている。

私が、英語塾だけれど、英語にこだわらず、何でも教えたいと思う理由の1つだ。


この記事が参加している募集

#仕事について話そう

109,816件

いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>