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We belong to each other.

昨日、ニュースを見て震え上がった。

大学院時代を過ごしたピッツバーグで知り合ったパレスチナ人の友人が、少し前から、パレスチナに戻っていたからだ。

私は25年ほど前に彼と出会った。彼は、私より1つ年上で、兄弟と一緒にアメリカに移住していた。当時、お母さんを含むご家族はパレスチナに残っていた。

彼と出会い、いろいろな話をしながら、様々なことに驚いた。

それまでの私にとって、戦争、紛争は昔または遠くの国の話だった。でも、同じ世代の彼は日常の平穏もままならない環境で生まれた。そして、20代の若さで遠くにいる家族を支えながら異国で生活を営んでいた。片や、私は、親のすねをかじって、異国の大学院でのうのうと学生生活を送っていた。それなのに、優しいのはいつも彼の方で、異国の地での小さな悩みに翻弄される私の話を穏やかに聞いてくれていた。今でも、ときどきくれる連絡は、優しい心遣いいっぱいで、彼の文章を読むとホッとする。

そんな優しい人の祖国が、こんなに長い間、紛争の地であることが信じられない。いつも、ニュースや新聞で、イスラエル、パレスチナ、ガザ、中東の言葉を見聞きすると、心が騒ぐ。

昨日も、ニュースを見るや否や、彼に連絡をした。彼も家族も無事で、彼は、今、お子さんたちとラマラにいると知らされた。ラマラはパレスチナの事実上の首都で、ヨルダン川西岸にあり、今回の戦闘はガザ地区で起こっている。

為政者たちは、大義名分を掲げて戦いを始めるのかもしれない。そして、争いの火種は、おそらく私なんかの思いが及ばないほど複雑なのだと思う。

けれど、いつも、命を失ったり、争いに翻弄されなければならないのは、力を持たない、私たちと同じ小市民たちだ。そして、その人たちにも私たちと同じように、愛すべき、守るべき家族がいる。私たちと同じ人間であることを忘れないこと、そしてそれを伝えることが平和への第一歩だと思う。争いが大きくなればなるほど全く何の力にもならないようにみえるけれど、、、私はそう信じている。

異国の遠くの戦闘だけれど、私の大切な人たちがその近くにいることを子どもたちにも伝えたいと思っている。パレスチナの問題に詳しいわけではないけれど、知っていることを伝えられたらと思っている。

友を思い、平和を祈り、自分のできることをするー1人のできることは限られている。でもできることはあると信じて。

いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>