「子供が集めた千円」と「金持ちの1千万」、災害時に大事なのはどっち?
類を見ない「大雨」による被災
2018年7月
西日本全域が、前例のない大雨に見舞われた。
7月11日午後3時半現在で死者188人、心配停止2人、行方不明38人に上るという。
災害大国と言われる日本、阪神大震災、東日本大震災と、未曽有の大地震に襲われ、いまだその傷はいえていない。
2018年6月には、大阪北部を、震度6弱の地震が襲った。
この地震では、水道管の劣化が明らかになり、建築基準に満たないブロック塀の倒壊により、幼い女の子の命が奪われる事態となった。
実は、筆者は、この3月に、東京から、大阪の豊中市に転居してきたばかりだ。元々、南河内地域に住んでいた筆者だが、豊中市をはじめ、大阪の北摂地域の印象は、文字通り「町の老朽化」だった。
車を走らせると、目につくのは、錆びついた歩道橋や、古いブロック塀だ。
「古いなぁ、町が。大丈夫か、大阪。」
妻と顔を見合わせた。
そんな中、突然起きたのが、大阪北部地震だった。
いよいよ、南海トラフ地震が近づいてる、と実感した。
そして、今回の豪雨災害。
広島、岡山、愛媛を中心に、中国、四国、近畿、九州地方と、広範囲で被害が発生しており、前述したとおり、多くの避難者、そして死亡者がでてしまった。
TVの報道で、”バックウォーター現象”という、少し前にも、耳にしたような現象の名前を耳にする。
普段は水の流れが緩やかな下流にある細い川が、上流の放流量に耐えられず、溢れてしまう、という事象だ。
東日本大震災のように、「想定外」の現象が起きてしまったのだろうか。
実は、そうではないらしい。
大雨による「河川決壊」は想定外だったのか
読売新聞によると、一番被害の大きかった岡山県の「真備町(まびちょう)」の高梁川は、1970年以降、5回の大規模浸水を起こしている。
「高梁川と小田川の合流点を現在より4・6キロ下流に変更し、洪水時の小田川の水位を低下させる河川改修を計画。今秋に着工し、2029年頃をめどに完成させる予定だった。」だそうだ。
確かに今回の大雨は、過去に類をみないほどの大雨だったのかもしれない。被害も、以前に比べ、大きかったと推測する。
しかし、本当にここまでの被害の増大を、防げなかったのか、少なくとも、被害をもう少し抑えることはできたのではないか、そんな疑問がのこる。
「大雨」の降雨量自体は、過去に類をみないほど大規模だったが、対策自体はできたはずではないのだろうか。
東日本大震災の、福島第一原発の事故も、「想定外」とされており、行政の責任は問われていない。
ほんとうにそうなのか。
少し時計の針を戻して、検証してみたい。
福島第一原発の全電源崩壊は「想定外」だったのか
以下の動画を見てほしい。共産党:吉井英勝議員の、質問をまとめたものだ。
原子力発電所において、外部電源が崩壊した場合に、核燃料の「自然崩壊熱」を冷却できないことを想定して、どう対策しているのか、という質問です。
もし冷却系が働くなった場合、「メルトダウン」が起きてしまう。
どのように対策をしているのか、という質問を繰り返し繰り返しされている。
内部電源の喪失は、海外では実際に起こっている事例だ、と。頭の体操ではなく、実際に起こりうる対策をする必要がある、と繰り返し主張しています。
官僚の回答は、動画にあるとおり、そのようなことは起こらない構造なっている、というような回答だ。
次に、リテラの記事を見てほしい。
http://lite-ra.com/2015/03/post-934.html
詳しくは、この記事内を参照してほしいのだが、原子力発電所の「全電源喪失」については、第一次安倍政権時(2006年)、すでに指摘されていたのである。
ただし、「日本の原発ではそのような自体は考えられない」という答弁書を提出している。
東日本大震災後、この責任を、サンデー毎日に指摘された安倍首相は、質問は、「地震による送電鉄塔の倒壊や折損事故による「全電源崩壊」」だったので、「「津波による」「全電源崩壊」ではない」と、フェイスブック上で反論した。
これは、上西充子法政大学教授が発案した「ご飯論法」そのものではないか。
→ご飯論法
以下は、加藤厚生労働省大臣の国会答弁を例にあげ、「ご飯論法」をわかりやすく説明した、上西充子教授のツイートだ。
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Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」
そんなやりとり。加藤大臣は。
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「ご飯論法」とは、このように、質問の主語(ご飯=食事の意味)を意図的にミスリードして(ご飯=白米)、ご飯(=白米)は食べていません。(パンは食べたけど))というように、自分たちに不都合な回答を避ける論法です。
福島第一原発事故の核心である、「全電源崩壊」についての対策は、第一次安倍政権時に、何度も質問されていたにも関わらず、「今回の全電源崩壊は、津波によるものだ。送電塔の倒壊による全電源崩壊ではないため、その指摘はあたらない!(大意)」と反論したのである。(フェイスブックにて反論、現在は削除されている。)
もう一度言うが、今回の件で、大事な主語は、「全電源崩壊」である。どのような理由であれ、電源が供給されなくなってしまえば、核燃料による自然崩壊熱により、メルトダウンが発生してしまい、大量の放射性物質が、大気中に放たれてしまう。
こういった問題があったにも関わらず、安倍政権の政治責任は深く追求されないまま、全国で原発は再稼働されていっている。
今もなお、地震大国日本において、「全電源崩壊」の危険を残したまま、原子力発電所は稼働を続けている。
災害大国日本、と言われながら、今回の治水対策が十分だったのか、その計画に問題はなかったのか、国家をあげての検証を求めたい。
今回の豪雨災害、安倍政権のとんでもない対応
今回の西日本を襲った大雨災害における、安倍政権、および、与党:自民党の対応は、どうも考えてもおかしい。
7/5 14時、気象庁は異例の会見を行い、最大限の警戒を呼び掛けた。
にもかかわらず、同日、自民党は「赤坂自民亭」なる懇親会を開催しており、そこには、安倍総理大臣が出席していた。
9月に行われる自民党総裁選を見越してのことだろう。
この懇親会の様子は、こともあろうか、自民党の西村康稔議員(官房副長官)、片山さつき議員がツイートしており、Twitterにて「炎上」、批判が殺到している。
以下のnoteに詳しく記載されているので参照いただきたい。
https://note.mu/jun21101016/n/na37e1fa2f191
政府により、非常災害対策本部が設置されたのは、気象庁の発表から
「66時間」たってからのことだった。
その後、安倍総理大臣は、初動が遅かったことを質問されても、「一丸となて取り組んでいる」との一点張り、である。
これだけの災害でありながら、「66時間後」に非常災害対策本部が設置された、しかも気象庁の呼びかけ時には、宴会、そして、7日安倍総理は、官邸ではなく、自宅で過ごしていたのだ。
また、別の記事でこれについては述べたいと思っているのだけれど、宴会の翌日、6日には、オウム真理教の教祖、松本智津夫死刑囚を含む、7名の死刑が執行された。この「死刑執行」の様子はマスコミでセンセーショナルに報じられた。
死刑執行後に報じられることが慣例だそうだが、今回は、写真パネルに、「執行済」のシールが随時貼られていくという、死刑を一種の「ショー」のように報じるマスメディアにも、批判が集まった。
死刑執行前夜にも関わらず、上川洋子法務大臣が音頭を取り、バンザイで会を締めくくったというのだ。
これだけ非常識な人たちが、日本の行政のトップにいることに驚愕したのは、筆者だけではないはずだ。
twitterなど、このような安倍政権の批判は相次いでおり、新聞、TVメディアもそれを追うように、批判を開始した。(批判と言っても、「批判の声が上がっている」というような「中立的な!」状況報告にとどまっているのだが)
「子供が集めた1000円」「金持ちの1千万円」どっちに価値がある?
安倍政権に対する批判、または、擁護が渦巻く中、あるツイートを見かけた。
<抜粋>
「もう「小学生が一生懸命集めた千円の募金より、金持ちが売名のためにポンと出した1千万円は多くの人を救います。世のため人のために医者になった三流の医師より、高い収入のために医者になった優秀な医師の方が多くの命を救います。価値を持つのは心ではなく結果です」って道徳の教科書に書いとけ。」(原文ママ)
みなさんは、このツイートの内容を見て、どう思われましたか?
おそらく悩みながらも、「そうだよな、、金持ちに善意があろうが、なかろうが、そいつが出す1000万円のほうが、「実行的」で、価値があるよな」と思ったのではないでしょうか。
確かに、現状の日本で、「短期的に」見れば、「金持ちの1000万円」が高い実効性をもつのでしょう。しかしそれは、「一部の金持ちしか、1000万円をストックしていない」という問題の言い換えでしかないと思います。
上記で紹介したツイートでは、「道徳の教科書に書いとけ」と書いてありましたが、「道徳」ではなく「経済学」の観点から、この問題を考えてみたいと思います。
金持ちの1000万円は、誰かの1000円
現在、日本は「デフレ」と言われています。
その原因は、様々あるでしょうが、現状でいうと、「低賃金による市民の消費力の低下」があげられるでしょう。
要は、一般市民は、「1000円しか」、集められないのです。
日本の実質賃金は、下がり続けています。
租税の対象が、会社から個人に
政府がやっていることを列挙してみると
・法人税の引き下げ
・消費税率のアップ
・年金支給年引上げ
法人税を引き下げているため、当然ながら、企業は利益は上げやすくなるのだが、同時に消費税があがっているため、実質、租税の対象が、会社から個人消費者に移った形となる。
個人消費が経済の6割を占めるといわれている中、これでは会社側の利益はあがりません。
法人税を減税しているが、組織維持のためか、企業の内部留保は過去最高額となっています。
しかし、個人消費を締め付けているため、デフレのまま、企業収益は、上がりません。いわゆる、「デフレスパイラル」です。
デフレ状態の脱却のためには、公共投資をやる→個人消費を増やしていくこ→企業収益を増やす→賃金が増加する→さらに個人消費が増えるというようなスパイラルを回すことが必要なのです。
しかし、政府がやっているのは、個人消費が冷え込み、企業収益が減少した部分を、さらに「貧困化政策」を進めることで、個人の収益を減らし、会社の利益に、挿げ替えているのです。
政府のデフレ解決策「貧困化政策」 高度プロフェッショナル制度
「働き改革法案」として、今国会で成立した「高度プロフェッショナル制度」です。
1075万円を超える年収の場合、残業代を無しにできるという法案です。
残業代なし、というか、そもそも、一日8時間、1週間で40時間という所定労働時間の概念がなくなります。
詳しくは弁護士の佐々木亮先生の記事をご覧ください。
→https://news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180330-00083362/
1075万円だから関係ないか、とお思いですか?佐々木先生も記事の中でおっしゃっていますが、適応される年収の額は必ず下がります。
「経団連は年収400万円(残業代込み)を超えれば対象にしたいと考えているのですからね・・。」
こうして、働かせるコストを下げること、さらに、今までより合法的に長く働かせることで、企業収益の減少分を補おうということなのでしょう。
「会社」だけではない、国家に巣くう「利権」という悪魔
国政ではかつて廃止された「地方議会議員年金」を復活させようという動きが始まっています。
また、森友学園、加計学園と、安倍政権による「ネポティズム(縁故主義)」による政治が、取りざたされています。
このように、本来は、国民に使われるための予算が、利権のために、使われているのです。
簡単に言えば、会社、国家という「組織」、ひいては、その「組織」が存続することで利益を得られる「既得権益者」のため、個人に使われるべき税金を、どんどん自分たちのために使っている、という状況なのです。
「金持ちの1000万円」が標榜するもの
ここまで、字数を割いて説明してきましたが、現在の日本では、「金持ちの1000万円」は、「個人(消費者)※が1000円しか集められないこと」に支えられているのです。
※ツイートでは「子供」の1000円と表現されていますが、そもそも、子供を経済主体として、比較対象すること自体があほらしいので、個人(消費者)にしています。
「道徳の教科書に乗せとけ」とツイートされていますが、被災地支援は、そもそも「道徳」なのでしょうか。
道徳とは、「モラル」とも言えますが、社会における「善・悪」の判断という意味でしょう。
また、道徳の「教科書」とあります。本来、道徳=善悪は教化的に教えるものではありません、社会の中で、大人たちを見て、学んでいくものです。
それを「金持ちの1000万のほうが「善」なんだ、善悪の判断として覚えておけ」というのは、ご都合主義もいいところではないでしょうか。
このように、金持ち(会社経営者、政府関係者等)や、その擁護者は、「お金」が至上価値だ、と喧伝します。
しかし、本来「お金」に価値はないのです。「お金」はあくまでも「交換手段」であり、交換対象がないと、意味をなしません。
これまで述べてきたように、町はどんどん老朽化しています。災害対策は迅速に行われていません。我々の税金は、政府要人のお友達に流れてしまいます。
「金持ちの1000万円」は、我々の税金が実は適正に使われていない、また、それが市場経済の流動性を反故にすることで集められていることを指し示しているし、そのことを指摘しなければならないのです。
「木を見て森を見ず」になってはいけない
日本では、年々、人口が減少しています。
人口が大幅に減少していくと予想されているのは、先進国の中で、日本だけです。
なぜか?
経済が循環せず、多くの国民がフィードバックを得られないからです。
そして、どんどん貧困化しています。減った税収や、企業収益を、「国民の貧困化」という手段で解決しているからです。
我々がやるべきことは、循環しない「お金」など、なんの意味もないことを認識しなおすことです。
そして、政治なんていらない、とアナーキズムに陥るのではなく、今、機能不全に陥っている政治を、「再起動」し、経済の循環を促すことです。
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