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チームスポーツとテセウスのパラドクス

はじめに

僕は以前noteにも書いたように新日本プロレスを観戦するのも趣味の1つです。
本日、1月4日に行われた東京ドーム興行の2夜明け会見が行われました。

ここでは、IWGPヘビー級という新日本プロレスで1番価値のあるベルトのチャンピオンになった棚橋弘至選手の会見と、菅林会長から東京ドーム興行で負傷した飯伏幸太選手についての会見が行われました。
それと同時に飯塚選手の引退とKUSHIDA選手の退団が発表されて、KUSHIDA選手が会見をしました。

一時、KUSHIDA選手退団と飯塚選手の引退がTwitterのトレンドにも乗りました。
また、今年の新日本プロレスはスター選手のケニー・オメガ選手を始め、多くの選手の退団が決定しています。
もちろん残念ではあるし、お疲れ様、ありがとうございました。と声をかけたいところですが、ふと思ったことが2つあります。
1つは今後の新日本は大丈夫なのか?
もう1つは僕は何を応援しているのか?ということです。

今後の新日本は大丈夫なのか?

まずはじめにこちらですが、僕自身プロレスはビジネスの構造がいまいちピンときていません。
おそらく、選手をコンテンツとしたファンビジネスに近いはずなのでケニー・オメガやKUSHIDAの退団のダメージは大きいですが、大丈夫かなぁ感じています。
これについてはそのうち別にnoteでまとめたいと思います。

僕は何を応援しているのか?

ここで、題名のテセウスのパラドクスの話になります。(ようやく)

テセウスのパラドクスとはある物体の全ての構成要素が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、という問題である。(Wiki)

このパラドクスを新日本プロレスしかり、チームスポーツ、団体スポーツにおいて転用すると

新日本プロレスの構成要員が変わっていったときそれは新日本プロレスと言えるのか?
アーセナルのメンバーが全員変わってもそれはアーセナルと言えるのか?
AKBで1期生が全員いなくなったらそれはAKBであるのか?
人間の細胞は数年で入れ替わります。それでも自分は自分と言えるのか?

ということだと思います。つまりはアイデンティティとはなにかという話になります。

今年の箱根駅伝でシード校の権利を得た大学が来年の箱根駅伝に出るときに今のメンバーが1人もいなくてもシード校の権利は与えていいのでしょうか?

プロ野球が始まった途端巨人と阪神の選手が全部入れ替わってたら、ファンの皆さんはどちらを応援するのでしょうか?

僕の例

上記の話は哲学的な話になるので、考え方によって答えは変わってきます。
ここでは、僕の例をいくつかだして行こうと思います。

メンバー応援型

メンバー応援型とは、組織ではなく個人を応援したために個人が組織から抜けた瞬間興味関心が落ちてしまう状態です。
僕の場合で言えばSKE48での秦佐和子さんや酒井萌衣さんがその例でした。
圧倒的ファンビジネスですね。

組織アイデンティティ型

組織アイデンティティ型は組織を支持しているので、個人が抜けても多少のダメージは有りながらも個人が定義する組織のアイデンティティさえ残っていれば応援を続けられるというものです。
僕の場合で言えば、日本ハムファイターズ、鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホック、新日本プロレス、スウォンジー・シティ、テネシー・タイタンズとスポーツチームが多いです。
また、北海道(父の地元)、茨城(出身地)、水道橋(大学所在地)と個人と密接に関係する場所のチーム、団体がこの例に当てはまることが多いと感じました。

精神疲弊型

精神疲弊型とは組織アイデンティティ型であったものの、毎年組織要員が抜け続けることで、組織としてのアイデンティティを見いだせなくなって応援をするだけの元気がなくなって最悪の場合そのスポーツすら見なくなる現象です。
僕の例で言えばアーセナルがその例です。
プレミアファンの皆さんには説明する必要はないと思いますが、アーセナルは、僕が応援していた当時、華麗なサッカーをすることがアイデンティティだと感じていました。
しかし、財政的に困っているわけでもないのに毎年主力の放出、プレーのクオリティが下がる、タイトルが獲れない。
というループが続いてました。そのため疲弊して応援をやめてしまいました。

終わりに

みなさんは、みなさんが応援するスポーツを応援している理由は何でしょうか?
それを理解できたら何を応援しているんかが理解できて、より楽しい観戦人生を楽しめるのではないでしょうか?

もしよろしければTwitterもよろしくおねがいします

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