敬遠の根っこにあるもの
御縁に感謝です。
「生まれ変わったらなりたいもの」について綴ってみたいと思います。
☆“思い”からはじまる
日本の平均寿命で計算してみれば“人生の3Q(クオーター)”の位置にいる僕ですが、「生まれ変わったら〜」ということで、しばらく考えてみました。
そして、“なりたいもの(職業)”が、「ない」のでもなく、「ある」のでもないような気がしました。
むしろ、「何にでもなってみたい」という結論に到りました。
僕がこれまで、さまざまな物事に関わり、観たり、聴いたり、経験してきたことには、意味があったと思います。
関わってこなかった物事、関わろうとも思わなかった物事は山ほどありますが、“自分の人生に、かすらなかった物事”に思いを向ければ、あれこれと感じることがあります。
「理数系の努力をしていたら、科学者や医者を目指していたかもしれない」
「政治に関心を持ち、勉強をしていたら、世の中を改善する戦力になれたかもしれない」
「楽器の腕を磨いていたら、ミュージシャンになって、人の心に感動を与えていたかもしれない」
「身体を鍛えていたら、プロスポーツ選手になって、人に勇気と感動を与えていたかもしれない」
・・・「その道を目指していたら・・・」ということは、いくらでも出てきます。
そして、「その道のことを思い、足を踏み入れていれば、人生も大きく変わっていただろうなぁ」と気づいたのです。
要するに、これまでは“あまり思わなかった”だけで、「思いさえ持っていれば、可能性は拡がっていた」ことを悟ったのでした。
☆もう一度“Q(クオーター)”
先日、こんな記事を綴ったことを思い出しました。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
話は、「120歳」にまで及びました。
さらには・・・・・
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目指すべきは250歳!
やりたいことの照準を決めて、「やってみよう!」と思えば、生命力も増強されて、120歳まで“青春”でいられるのです。
そう考えば、「人生の3Qであっても、まだまだ遅くない」と思えてくるのです。
「4Qが終わっても、また1Qから始めればいいんだ!」と、気持ちも大きく解き放たれていきます。
☆“天敵”と向き合う
話は、「生まれ変わったら・・・」ということに戻ります。
以前、こういう記事を綴りました。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
この記事の後半で・・・
・・・と呟きました。
W杯バスケで、日本が五輪への切符を手にできて、ほんとうによかったです。
ところが、僕にとって、“バスケ”という競技は、人生最大の“天敵”のようなものだったのです。
もともと、致命的なくらい運動音痴だった僕は、どうやら幼少時にトラウマができたようです。
それが小学時代のドッジボールにあったのかは定かではありませんが、ガチガチに硬い球が飛んでくると、戦慄を感じるようになったのです。
他にも、バスケを天敵扱いした理由は、数えきれないくらいあります。
それをずっと引きずっていたようです。
(だから、前掲の記事でも、“バスケ”という名詞を出していないですね)
だけど、ある時に、気づいたのです。
「“嫌い”なのではない!」
「ほんとうの“天敵”じゃない!」
潜在的には、そこに“憧れ”があったのかもしれません。
ただ、その“憧れ”と“現実”のギャップが大きすぎて、表面的に“苦手”とか、“嫌悪”とかいう思いが湧いてきたのかもしれません。
それを口にするのも大人げないから、“敬遠”という言葉で美化していたのかもしれません。
あるいは、上手い人やバスケそのものに対して、“嫉妬”もあったのかもしれません。
あるいは、前世でも「生まれ変わったら・・・」というお題をいただいて、「バスケと仲良くする」という誓いを立ててきたのに、幼少期につまずいて、誓いを忘れていたのかもしれません。
☆乗り越える
このことに気づいた時、今までグッと伸し掛かっていた心の重みが、信じられないくらい軽くなりました。
天敵はいますか?
嫌いなものはありますか?
敬遠しているものはありますか?
それは、ほんとうに自分を害するものですか?
自分の心が、対象を遮っていませんか?
その対象と向かい合い、
心を開いて、自分の心と向き合い、
すべてを素直に受け止めてみるのです。
和解の道は、開かれています。
まずは、自分の心を調えること。
見方、思いを白紙に戻すこと。
思いが調えば、現実を変えていきます。
そして、対象を受け入れてみること。
対象を、思いきり抱き締めること。
これは、人生を向上させるために大切なこと。
☆とりあえず“和解”だけを・・・
前掲の記事にも綴ったように・・・
・・・というのが、僕の本音です。
この記事の前半で「思いが可能性を大きく拡げてくれる」という、今朝の作品につながった話をしましたが、バスケに関しては、「和解はしても、今の時点ではやってみたいとは思わない」ですね。
今さらチャレンジすると、ケガが絶えないでしょうし(中年以降のケガは、治りが遅いですからね)、心臓に負担がかかってしまいますから。
ただ、これまでの人生で一度も成し遂げられなかった「輪に球を入れる」ことが、一生を終えるまでに、一度は果たせたらいいですが・・・。
とりあえず、画面を通して、五輪での日本の活躍を、素直に応援します。
☆それでも“人生の轍”が最適だった
今回は、ふだんより長文になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
「生まれ変わったら・・・」ということで、自分を振り返ってみました。
ただ、僕がたどり着いた結論は、「これまでの人生を否定して、徒に新しいことにチャレンジする」というものではありません。
「これまでの人生を糧として、限界の壁を超えて、新しいことにチャレンジする」ということでしょうか。
かなわなかったことは、たくさんある。
為しえなかったことは、たくさんある。
だけど、
現実に自分が歩んできた道程にも意味がある。
この人生の轍を受け止めておこう。
失敗も、挫折も、
すべては必要だった過程。
この歩み、そこから得られた教訓が、
人生の宝物になる。
そして、未来を拓くための素材になる。
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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまの心に、キラッとしたものをお届けできれば幸いです。
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