見出し画像

EU出たり入ったり

むせかえるようなポマードのにおいで目が覚めた。

ここはどこだろうと思ったのもつかの間。部屋に充満するポマードの香りといえば、アンダルシア田舎のピソでしかないのを思い出した。

下の階のルイスがつけているポマードの匂いが上の階まで漂ってくるのだ。どうしてそんなにも大量にポマードをつけるのかわからないから、一度聞いてみよう。そんなことを思いながら感傷に浸る。

そうか、今回の浦島期間は終わったのだ。

いろんなことがあった。
忘れないうちに、振り返って記しておきたいことばかりである。

しかし、その前にどうしても書かねばならないことが一つある。これを書かずしては、日常に戻れない気がするからだ。

それは、日本からスペインへ戻るときのことである。


思えばスペインから日本への移動も、これはこれで大変であった。搭乗の直前にゲートが数回変更になり、出発および到着は大幅に遅れ、乗り継ぎ先であるドイツの空港を全力疾走した。スーツケースは一週間ほど行方不明であった。

なかなかできない経験であったなと思っていたが、私はまだまだ世界を知らなかったのだと、今回の道中に思い知ることになる。


以下、長くなるが時系列で振り返ってみたい。

出発前日
翌日のフライトが朝早いため、成田空港近くにて前泊することになった。
ホテルからイオンモールまでのバスが出ていたので、何か簡単な夕食を買っていくことにした。今回の浦島旅では初めてのイオンモールに興奮した夫は、蕎麦、まぐろステーキ、クリームコロッケ5個、魚のフライ、ミニバナナ6本を手に取り、今日はいっぱい食べます!と言う。その他にもお惣菜をいくつか手に持っていたので、そんなに食べられるわけがないだろうと諭す。

空港までのバスで飲んだほうじ茶オレ


出発当日
ドイツ経由スペイン行きの便に乗った。機内では、まだまだ日本を感じられて嬉しい。そして、なんと今回は北極ルートであった!夫は興奮が最高潮に達したのか、映画を観るのをやめて写真を撮りまくっている。私たちの座席からはあまり見えないのが残念そうだったが、今までで一番東と西に来ましたと感動していた。

北極飛行


ピンク色のは日付変更線か。
journey to yesterdayと夫が興奮していた。

ドイツに到着した。
今回の乗り継ぎ時間は1時間ちょっと。早めに到着したので、少し時間的余裕がありそうだ。しかし、油断はならない。
まず、EUに入るための審査があった。ハンコは必要ないので押さないでください(スペインでのビザ更新時に毎回ややこしいため)と言うと、「え、押しちゃおっかなあ!」と、審査官のいたずら心を逆に刺激してしまったようだった。押すなと言われたら押したくなるなあ、それか、いっそパスポートの表紙に押してあげようか?などと言い始めたので、ドイツの審査官はこんなに明るいのかとびっくりした。同時に、急いでいるのだけれどなと思いながら、日本人であり関西人でもある私は、審査官の冗談にまあまあ長い時間つきあってしまった。

次はセキュリティチェックであった。夫は、手荷物にムヒを入れており、質問を受けていた。なぜわざわざ手荷物に入れたのだろうか。

出発ゲートに向かう。
よし、間に合った!
ゲート番号を再確認しようとしたところ、出発時間の変更に気が付いた。3時間遅れとなっている。そうすると、スペイン到着は夜中の1時過ぎになる。予約しているマドリードのホテルでは数時間寝るだけになるが、まあ仕方ない。

3時間という時間的余裕ができたので、調子に乗った私はサンドイッチなどを買い、椅子に座ってゆっくりすることにした。しばらくして、お手洗いにも行こうかなと立ったところで、周囲の異変に気付く。アナウンスなどは何もなかったが、フライトは実にさりげなくキャンセルになっていた

ゲートには担当者も誰もいない。あたりは、ざわめきはじめる乗客たちで騒がしくなってきた。いつも通り、手荷物が多すぎる私たちは、どちらかが荷物番をしないと動けない。その時は私が荷物番をしており、夫が情報を集めに行った。

わかったことは次の4つだった。
・飛行機はキャンセルになった
・この日、もう次の便はない
・翌日の振替便の案内はない
・空港は23時に閉まるようだ

これはどういう状況だろうかなと思っていると、イベリア航空のスタッフが1名やってきた。乗客100名以上に対して1名であった。皆、慌てて列を作る。私たちも荷物を抱えたまま列に並ぶ。たまたまカウンター前にいたため、前から3番目ぐらいの位置をキープできた。

スタッフの女性(仮にアナとする)が前列の乗客に説明している。

振替便について、そのうちメールで連絡が来るだろう。またはネットか電話で自分で予約してくれ。今のところ、3日後に次のフライトがあるようだ。ホテルの宿泊券が出るかどうか、それは上の決定が出ていないから私からは何とも言えない。とりあえず、自腹でどこかに泊まってくれ。ただ、もし宿泊券が出ても、1日分だけだろうから、それ以降は自分でどうにかしてほしい。私ができることはない。

頭が追いつかない。
また、追いついたところで、皆、はいそうですかとなるわけがない。

アナは、列に並んでいる乗客の質問に順番に対応しようとした。しかし、列に並ばずに、いきなりカウンターにやってくる人もたくさんいるため、無理やり聖徳太子にならざるを得ないような状況になっていた。それぞれが「私のチケット取ってくれ」、「誰がホテル代を払うのだ」、「ネットはよくわからないから、私のスマホを使って予約してくれ」、「明日から仕事なのにどうしてくれるんだ!」など、いろんなことを言い出す。

列に並んでいるうちに親しくなった、出張でドイツに来ていた女性が皆に言った。
「皆同じ状況です。だから、列に並んで順番を待っているんです。あなたたちも同じようにするべきです。お願いですから並んでください!」

しかし、横入りする人たちは、「いや、ちょっと一瞬聞くだけだから」、「私はチケットがまだないのよ!」と言ったり、聞こえないふりをしたりと、カウンター前はめちゃくちゃであった。
私も出張中の女性に加勢してはみたが、そもそも列に並ばない人が、私ごときの話を聞いているわけがなかった。周りがパニックになればなるほど妙に冷静になってしまうところのある私は、こういう大変なときこそ、その人の本当の姿が出るのだろうか…などとぼんやり思いながら、その場の状況をどこか人事のように眺めていた。

この間、次の振替便の案内がメールで届いた人が何人かいたようだ。しかし、振替られた時間が合わない人、数日後のフライトなんて遅すぎるという人などいろいろで、ゲート周りは引き続き大変な状況であった。

私たちにいたっては、スマホにメールが届くことはなかった。ちなみに、飛行機がキャンセルになったという連絡は後ほど届いたが、今日までそれ以外の連絡はない。

自分の番になったので、こんにちは、アナ、と彼女の名前を呼びながら、話しかけた。

あなたが今大変な状況にあることはじゅうぶん理解している、しかし少しだけ話を聞いてもらえないか。

私が話し終えると、ドイツ語で全部かえってきた。おそらくこの頃には、アナは既にかなりのストレス下に置かれていたのだと思われる。

しかし、我々が数少ない日本からの乗客(他はドイツから乗る人やヨーロッパ間の移動客が多かったようだ)であることに気付いたらしく、十数時間の移動後にこの状況は大変すぎるからと、ホテルの宿泊券のようなものを印刷してくれた。

上からの了承はとっていないから、使えるかわからないわよ!と言いながら。

その後も乗客の質問は途切れず、最終的にアナは何度か半泣きになり、そのたびにスペイン人乗客が「大丈夫よ、アナ」と彼女をいたわる場面もあり、もはや誰が何の役割を担っているのかすらわからなくなってしまっていた。

そのうち、そのアナは帰ることにしたらしい。

私は今日は朝の3時から働いている。もう疲れた。ここで待ってても何も解決しません。各自ネットで振替便を予約してください。ここでできることは何もありません。この場を離れてください。

そのような言葉とともに。

実に潔かった。

残された我々は、運よく翌日朝の便が取れた人、数日後の便しか取れない人、何の便も取れない人の3種類に分かれた。私たちは、何の便も取れない人のグループに属した。

イベリア航空に電話をする。

状況はわかりました。しかし、これはJALで購入したチケットですから、JALが何とかするべきなのです。チケットを手配するのは、私たちではないのです。

としか返ってこない。
電話のスピーカー越しには、何度聞いても、I understand your situation, butから続く音が繰り返し聞こえてくるだけであった。珍しく夫が夫にしては割と強めに意見を言っていたのに少し驚いたのを覚えている。

JALにも電話をしたが、この時ドイツは夜である。日本もヨーロッパオフィスも当たり前だが営業時間外であった。24時間通じるところはない。アメリカオフィスなら開いているか!と思ったが、皆考えることは同じなのか電話が込み合っていてつながらない。1時間かけ続けた後に諦めた。

その後、他の乗客との会話で、飛行機が飛ばないのはJALの問題ではなく、イベリアのストライキが理由であることが明らかになった。振替便が数日後にしかないのも納得である。
しかし、その数日のドイツ滞在費用は誰が負担するのだろうか。
私たちは、この日マドリードのホテルを予約しており、100%のキャンセル料を払うことになった。翌日のレンタカー予約は、ぎりぎりキャンセル料なしで日程変更ができた。皆いろいろな事情があるに違いない。また、マドリード経由でどこかに行こうとしている乗客もいるであろうことを考えると胸が痛んだ。

この少し前、一人の日本人に話しかけられた。スペイン在住30年の男性で、私たちと同様マドリードまで行くようだ。仮にパコさんとする。この30年でこんな目にあったのはこれが初めてだと言う。

夜も11時前、この日はドイツどまりになることが確定したので、宿泊券に書いてあったホテルに向かうことにした。

最初から最後まで何のアナウンスもなかった。ゲートまわりは、こわいぐらいに静かであった。

さて、荷物はどこにあるのだろうか。

下の階に降りると、イベリア航空のチェックインカウンターにはたくさんの乗客が列をなしていた。近くにいた人たちと、状況を確認しあう。ホテルの宿泊券をもらいにいったが、20人分しか用意されておらず、もう全員に配り終えたから残念ですね、もっと早かったらあったんですけどねと言われ怒り狂う人、チリに行く予定だったが、数日後の振替便なんて間に合わないからと飛行機をキャンセルした人、どうにもこうにもならないので空港で夜を明かす人、ホテルに行ってみる人、どうしたらいいかわからず叫ぶ人、家族に状況を電話で説明している人など、いろいろな人があった。

そんなとき、近くに立っていたスペイン人がぼそっと言った。

「日本から来た人いるかな。知り合いが航空会社で働いてるから、もし必要なら言ってくれよな。電話するから。振替便取ってもらえるかもしれん」

数年前、小学生と同等の聴力があるので大事にしてくださいと言われた私は、この彼の言葉を聞き逃さなかった。

聞くところによると、航空会社ご勤務の彼のご友人は、勤務時間外に彼のチケットを手配しようとしていたようだった。彼と同じ便であればと、私たちの分も追加手配してくださるという。現在、オフィスは閉まっているため、確定の連絡が出るのは明朝の営業時間になってからである。それでもよければ、ということだった。

地獄で仏に会ったよう、とはこのことか。この時点でイベリアから何の案内も届いていなかった私たちは、お言葉に甘えることにした。

スペイン語が最低限わかってよかった。同時に、耳がよくてよかったと思った瞬間であった。




この後、一緒にホテルに行くことになったのは、仏様の友人であるスペイン人のマノロ、私たち、先ほどの日本人パコさん、留学生けんたくんの5人であった。私たち以外は皆マドリード在住である。

奇跡的に荷物が全部出てきた。成田で預けた段ボール2箱も無事だ。荷物とともにタクシーに乗り、皆でホテルへ向かう。夜のタクシーは高い。ドイツだから高いのか夜だから高いのかわからないが、ともかく高かった。

しばらくすると、ホテルに着いた。
かっこよさげな名前から想像していた内容とは少しいやかなり異なり、学生時代に泊まった宿を彷彿とさせる趣であった。入り口では、もう何杯か飲んですっかり出来上がった男性が、私たちに向かって何かを叫んでいる。スペインより治安悪いんじゃないですか、と誰かが言った。
受付で、イベリアからもらった宿泊券を出す。航空会社から送られてきたリストに君らの名前は載っていないとのことで、自己負担となった。絶対に後で請求しようと皆で決めた。ところで、ここはドイツだ。『水曜どうでしょう』のように「今日はここをキャンプ地とする」と言いたかったが、その精神的余裕がなかった。ただ、シャワーのお湯がいくら待てども流れていかなかろうが、夕食も朝食もホテルには食べる場所がなかろうが、とりあえず寝る場所があるのはありがたかった。


翌日

朝10時、ロビーに集合となった。
航空会社ご勤務の方の連絡を待つ。この時点でまだ連絡はなかったが、もういちかばちか空港まで行ってやろう!、と皆の考えがまとまった。この頃からだろうか、5人に少しずつ連帯感のようなものが生まれつつあった。マノロなどは、「僕らのチーム」と皆を「チーム」と呼ぶようになっていた。パコさんが「これも何かのご縁ですねえ」と言い、皆で写真を撮った。

ロビーで、昨日顔見知りになったドイツ人に話しかけられた。振替便が数日後になったのと、ホテル代も出ないから、一旦200キロ先の実家に帰ると言う。200キロ?!と言うと、いや電車で行けば数時間だしとのこと。そうか、彼にとっては国内の移動であったか。気を付けてねと言い合い別れる。

タクシーで空港に向かう。
受付でタクシーを呼んでもらったら、荷物が多いからだろうか、3台のタクシーが来た。別々に車に乗り込んだ後、わざわざ3台も頼まなくてもよかったのだ、1台で全員乗れる、とドライバーさんが教えてくれる。ホテルにタクシーをお願いしたら3台来たのだと言うと、台数が増えるともっとお金がかかる、受付のどいつが呼んだのだ、女性か、男性か?、次からは気をつけるように、と大変に優しかった。タクシー代は昨夜よりずいぶんと安かった。

空港は、一夜をホテルで過ごし戻ってきた人、空港で寝た人、新たな乗客などでいっぱいだった。昨夜、私たちが乗れるかもしれない、いやもうこれに乗るしかないですと言われた便は、別の航空会社によるロンドン経由マドリード行きであった。ドイツからイギリスへ行きマドリードへ行くという、まさにEU出たり入ったり、である。しかし、もうなんでもいい。とにかく、無事にマドリードに着けさえすれば。

カウンターが開くのは少し先だが、我々チームは一番前で待つことにした。
しばらくして、大柄な男性がこちらにやってきた。昨日日本から来たよね君たち?と話しかけられる。この男性は、夫婦でマニラを経て成田経由でドイツに来たが、振替便の案内がなく、おまけに荷物も届いていないと言う。昨日は空港で一夜を明かしたとのこと。マニラからというと、何時間の旅になるだろうか。考えただけでくらくらしてきた。
マノロがこちらをちらちら見る。彼らを助けてあげたい、しかし航空会社勤務の知り合いをこれ以上振り回していいものだろうか、と心配している。
しばらく考えた後、マノロは心を決めたようだった。よし、君、僕の知り合いに連絡してやるから、自分で振替便のことを聞いてみてくれたまえ!

この後、もう絶対怒ってるよ、口聞いてくれないもん、さっきから連絡ないもんね、と不安がるマノロを見て、彼にはもちろんだが、何より勤務時間外で対応してくださっている航空会社の方に大変申し訳ない気持ちになった。直接お礼ができたらどんなにいいだろうか。

皆が目に見えて疲れてきたのがわかった。自然と、口数も減る。
こういうときは甘いものに限る。
かばんをごそごそすると、日本で買ったチョコレートの袋が見つかった。一つずつ配って回る。


近くで歌声が聞こえた。
振り返ると、男性が歌っている。しばらくすると、彼のまわりに少しずつ人が集まり始めた。ギターも加わった。彼が歌い終わると、カウンター周りは温かい拍手でいっぱいになった。気のせいか、空港の温度も上がった気がした。チョコレートの苦みとともに、ああこのことをずっと覚えているだろうなと思った。

そうこうするうちに、カウンターが開いた。
どきどきしながらパスポートを出すと、なんと座席が確保できていた!奇跡、ミラクルである。勤務時間外にずっと対応してくださった、マノロのご友人には感謝してもしきれない。

その後、無事に5人ともチェックインができ、ほっとする。しかし、イギリスで乗り換えができるまでは気が抜けないぞ、ひょっとしたら今度はイギリスで一泊かもしれないんだからと言い合いながら、出国カウンターに向かう。
心配なのは、イギリスでの乗り換えが1時間しかないことであった。他の4人を見ると、不安ですと顔に書いてあった。イギリスではセキュリティチェックもある。
昨夜EUに入ったばかりだが、今日またEUを出る手続きをする。わけがわからない。そして、私たちのチームのうち、EU市民の特権である、人のほとんどいないレーンに並べたのはマノロのみで、残りの私たちはall passportsのレーンに並ぶしかない。お先にな!と笑った彼は、出国手続きブースを出たところで、笑顔で待っていてくれる優しい人であった。


次はセキュリティチェックである。夫は、先ほどの反省から、ムヒを私の手荷物カバンに入れるということをやっていた。どさくさに紛れて何をしてくれるのだと思ったが、私は堂々をムヒをかばんから出して検査官に見せたので、事なきを得た。

搭乗まで少し時間があったので、水とサンドイッチを買う。他の3人は揃ってNisshinのエビラーメンを食べており、なかなかにシュールな眺めであった。

留学生けんたくんが放った「ああ、米食いてえー」が忘れられない。

無事チェックイン後。
男子3人、エビラーメンを食す。



ドイツのホテルでも1枚撮ったが、搭乗前に、もう一度皆で写真を撮った。
その後、マノロはパートナーの写真を見せてくれ、スペイン在住30年のパコさんは、お子様たちの写真を見せてくださった。マノロは、北極の映像を夫に送っていた。君これ見過ごしたとは何事や寝てたんかと笑われていたが、僕たちはちょうど機体の反対側に座っていたので、また見える景色が違ったんですと、寝ていないことを証明していた。じゃあ私は何を見せようかなと思ったけれど、特に何も見せるものがないことに気付き、皆の写真を楽しませて頂くにとどめた。

パコさんにもらった食べる珈琲。

飛行機は無事ロンドンの空港に着陸した。ただし、飛行機を牽引する車が前の便の時に壊れたまま動かせずに残っており、飛行機をとめるのに時間がかかっていると機内アナウンスが入る。また、乗り換えができるか微妙になってきた。
数分後、マドリード乗り換えの人を優先して通してあげてください、とのアナウンスに便乗し、「マドリード!、マドリードです!」と言いながら手を挙げて進む夫に残りの4人が続く。

セキュリティチェックの場所を目指す。
ムヒも含め、もう何回チェックするのだというぐらいチェックされている。

時間がない。
しかし、かなりの列ができているため、先に行かせてもらう他ない。夫は往々にして持って回った話し方をする傾向があり、つまり何が言いたいのだと言われることが多い人であるが、今回ばかりは短文で勝負していた。あと15分で飛行機が出るんです、しか言っていない。よくやった!
これに続き、ありがとうございます!、すみません!、と私が叫んで通り、その後を、けんたくん、パコさん、マノロが影のように素早く続く。マノロが、おいあいつすごいな、100人抜きやぞ!と笑う。しかし、この飛行機を逃したらロンドン泊なのがわかっているため、マノロの目は笑っておらず、他の2人も真剣な眼差しでぴたっと後ろにつけている。
私はお手洗いに行きたく、トイレ、トイレと言っていたが、パコさんに、トイレはセキュリティチェック終わってからだよ!となだめられる。だんだん、お父さんのように見えてきてしまった。いずれにしても、我らチームは連帯感の塊であった。

セキュリティチェックを抜けた。ようやくゲートを探せる!
ゲートが表示されたスクリーンがどこにあるかわからず、案内所まで聞きに行く。左だよ、左と言われて、いつも建物を出ると自動的に右に曲がってしまう私も急いで左へと向かう。

なんと、出発時間が遅れている!!

間に合う!

ここから私たちの緊張は少しほぐれた。私も無事にお手洗いを済ませ、水を買ったり、いつも行くお店でアボカドと香草入りのラップとアーモンドクロワッサンを買ったりした。

長い長い1日はもうすぐ終わろうとしている。


ブリティッシュエアウェイズ、ありがとう。

20時半ごろ、マドリードに到着した。
皆で荷物を取りに行く。全部出てきた。ダンボールも2箱ある。
奇跡である。

マノロ、パコさん、けんたくんはマドリード止まりなので、それぞれ電車、車、タクシーで移動するという。我々は、翌日アンダルシアに向かうため、ロンドンを出る直前にネットで予約したホテルに行くことにした。

また、きっと会いましょう!、と言いながら、抱き合ってお互いの健闘を称える。連絡先も交換した。

皆いい笑顔であった。

¡Ha sido muy buen equipo!(最高のチームでした!)

しかし、こういうときの人の団結力はすごいと改めて感じた。あの時、飛行機がキャンセルになるまで全く知らなかった者同士が家族のように助け合う。マノロのことは、途中から勝手に日本人としてカウントしていたが、困っている人がいると放っておけない心優しい騎士であった。

こうして私たちはそれぞれの帰路に就いた。


マドリードからアンダルシアへ。

アンダルシアに着いて数日経った今、ようやく笑って話せるようになってきている。まだ今も、朝起きると自分がどこにいるかわからないときがある。日本だろうか、ドイツだろうかと考える。今朝はポマードの匂いで目覚めたため、スペインであることが瞬時にわかった。

今朝はパコさんからメッセージが届いた。

落ち着いたら私も写真を送ろう。

ドイツのホテルにいたとき、まるで一冊の本になりそうな話ですね、と誰かが言った。本にはならないかもしれないが、無事にアンダルシア田舎に着いたら、私はこの話をnoteに記そうと決めた。誰のためでもなく自分のために。




以上、期せずしててんやわんやな大移動となったわけであったが、これは父が昔よく言っていた「結果オーライ」と言える状況だと思う。この「オーライ」の「オーライ」が何を意味するか子どもの頃はわからず、all rightであると知ったのは高校生の頃であった。車を停めるとき「オライ、オライ」と父たちがよく言っていたのも、同じ意味であることを知ったのは最近である。オーライで思い出した、全然関係ない話であった。

そして、今回学んだことは「荷物を減らそう」であった。手荷物も多すぎるし、飛行機がキャンセルになった時の段ボールを持っての移動は大変である。チームのメンバーたちにも「これは一体何が入ってるの」と聞かれ、そのたびに日本が入っているんですと言うしかない私たちであった。そもそも、マドリードのような都会に住んでいれば、必要のない品々かもしれないのだが、アンダルシア田舎にはないものばかりである。しかし、いざ飛行機がキャンセルになり、飛行機会社のストライキを体験すると、自分の身一つで軽々移動するのがいいのかもしれないと思った次第だった。

また、移動中の食事についても考えさせられた。
日本からはコンビニで買った蒸しパンを持って来ていた。一人一つずつである。逆に言うと、それしかなかった。ドイツの空港で、夜もうそろそろ空港も閉まるというときに、蒸しパン一つは心細かった。夫の今後のテトリスについての検討事項に、「飛行機移動中の食事」という項目が追加されるのは想像に難くない。


最後に、振替便を利用した他の乗客の皆さんが無事に目的地に到着できていることを願う。そして、この体験が後々皆の笑い話になることを。そして、そして、アナと航空会社勤務のマノロのご友人が今ごろゆっくり休めていることを。


追記:

ドイツの空港にいたとき、ホテルの宿泊代などを航空会社に請求するのにお勧めの会社を教えてくれた人がいた。結構な手数料を取られるらしいが、確実だからと。一応やってみようと思う。

空港でのてんやわんやの際、のりまきさんポン子さんが温かくじわりと頬が緩むメッセージを送ってくださった。その中にあった「フランクフルト空港をご利用の方は、次の職員が出勤するのをお待ちくださいという看板が出ている」を見て、思わず変なところから声が出た私であったが、どんな状況にあっても笑いと関西弁はエネルギーに代わる、そして私を救うと改めて思った瞬間であった。

noteに書いた記事が、今回初めて1万字を超えた。


ただいま、アンダルシア。



この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

38,828件

#夏の思い出

26,360件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?