労働学生日記(3週目)シティライフとチュートリアルとスペイン語と
月曜日
眼科に行くため、朝から大学の町へ。
12時近く、公園でツナじゃがとボカディージョを食べる。
猫がやってきた。
寒空のもと、プレゼンの準備をする。
今日こそはプレゼンをするはず。
先週は先生が急な休みで授業がなかったのだ。
ロシオとカルロスとは、今回も授業が始まる1時間前に待ち合わせをした。
果たして、今回も2人とも時間通りには来られなかった。
ロシオは、お父さんの家の天井が雨で落ちてきたため。
カルロスは、首の筋をやってしまい、病院にいるため。
じゃあ、私のグループは私しかいないじゃないか!
まあ、今回プレゼンを担当するのは私なので、自分が準備をすればいいのだ。
そう自分に言い聞かせ、今日も栄養ドリンクを飲み、パワーポーズでプレゼンに備える。
教室に入り、クラスメートと話していると、
授業が始まる5分ぐらい前に教室に入ってきた別のクラスメートが言った。
「ねえ、廊下に知らない人が立ってるんだけど…」
皆がざわざわしはじめる。
「まさかと思うけど、今日誰かの講演とかあったりする?」
「まさかねえ」
「今日はプレゼンのはずよ!」
数分後、先生が教室に入ってきた。
ゲストスピーカーを伴って。
◆
「今日は内容を変更して、この方の講演を聞いてもらいます」
そう言って先生が紹介したのは、1人のブラジル人女性だった。
講演は80%ぐらいわからなかった。
どうしてですか。
講演がポルトガル語混じりのスペイン語で行われたからです。
「ごめんなさいね、私スペイン語はあまり…」
そう言って話し出したその人は、ポルトガル語の発音でスペイン語で書かれた原稿を読み上げていく。私の頭の中は「ああ、多分この言葉はスペイン語のこれだろう」、「これは多分こういう意味だろうな」と考えるのに大忙しだった。
ただ、その私の頭の中の大忙しも15分しか持たなかった。
私はあきらめてしまった。
講演の後はディスカッションが始まり、質疑応答もポルトガル語が混ざっていた。先生は大満足で、大体わかるでしょと言いながら補足説明を始める。
私はほとんどわからないぞと思っていたら、後ろに座っていたロシオもかなり厳しかったと後で言っていたので安心した。
そして、今日私たちが行うはずだったプレゼンはひとつもなかった!
私の大切な栄養ドリンクをどうしてくれるのだ。
日本から持ってきたものがもうほとんど残っていない。
「来週はプレゼンをしてもらう」
先生が言った。
おそらく、クラスの誰もがこの先生を信用していないだろう。
帰りの電車は64分遅れてやってきた。
荷物が多かったので、立ちっぱなしが非常につらかった。
待っている人たちも、ぶつぶつ言っている。
「この電車はな、遠くの方から来るねん。だから遅れることが多いねん」
若者たちが話している。
なるほどなあ、遠くから来るからか。
そう素直に納得した自分がいたが、日本では遠くから来る電車が大幅に遅れるのが当たり前、ということはないように思う。
アンダルシアマジックにまんまとかかり、素直に納得していた自分がおかしくなって、思わず声を出して笑いそうになった。
64分後にやっと電車が来たときには、「オレー!オレー!」と歓声があがった。
電車に乗ってから、「この電車は64分遅れています」という通知が携帯に届く。
私は何をやっているんだろうなあ。
月曜日から日付が変わる前近くの帰宅。
昭和生まれにはきつかった。
火曜日
朝、ゆっくりする。
昨日の疲れが残りすぎている。体がばきばきだ。
それなのに、ビスケットを焼いてしまう。
大学でボカディージョを食べる。
火曜日の先生が好きだ。
私が先週話しかけたのを覚えていてくれて、あれからどうなったのだと話しかけてくれた。
帰り、昨日の64分遅れを繰り返したくなかった私は、1本早い電車に乗ることにした。
どうしてですか。
1本早い電車は、アンダルシアの近いところからやって来るからです。
スペイン流にはスペイン流で対応する。
定刻にやって来た電車を見て飛び上がらんばかりに喜んだ私は、10時までに家に着くことができた。
水曜日
この日は朝からチュートリアルがあった。
金曜日のクラスはクリスマスぐらいにレポートを提出しなければならない。テーマを決めたので、先生に相談に行ったのだ。
教授室のドアをこんこんとノックする。
ドアを開けると、先生の背中が見えた。
背中越しに見える大きなスクリーンには、馬がアップでうつっている。
「こんにちは」
先生は馬に夢中だ。
「こんにちは!」
全然聞こえていやしない。
「こーんにーちはーー!!!」
「おほほ!」
先生が振り向いてくれた。
「僕はね、ちょっと変わっているから、レポートもクリエイティブに頼むよ。君の考えたテーマ、おもしろいから、君の考察をたっぷりと聞かせてくれたまえ!楽しみに待っているから」
そう言って、先生は笑う。
「え?レポートの書き方のスタイル?なんでもいいよ。そこにはこだわらない」
なんだかよくわからないままに初めてのチュートリアルが終わった。
朝から何をしに行ったんだろうか私は。
「ところで、なんでその町に住んでるの」
この先生も私が毎日〇〇町から通いで都会にやってくることが不思議で仕方ないらしい。
いつものベンチでボカディージョを食べる。
夕方のクラスまで、時間がある。
よし、今日は探索だ。
まずはスターバックスに入ってみる。
シティライフも少しは楽しまなければ。
その前に軽く迷った私は、スターバックスじゃないお店に「ここがスターバックスだ」と思って入り、「こんにちは。スターバックスですか」と聞いて、違うと言われて外に出てきた。でも、そんなことではくじけない。
メニューに、抹茶ラテがあった。
都会感が漂うなあ。
私が今住んでいる町にはスターバックスなどないので、ちょっとだけ緊張した。
抹茶ラテを飲みながら、シティライフやっているな私と思いながら写真まで撮る。後で友人たちに自慢してやろう。
「グリーンティーラテをひとつ」
「グリーンティーラテはありません」
「え?グリーンティーあるよね」
「ありませんよ。ラテは、抹茶とチャイだけです」
そんな会話が聞こえてきた。
店員さんとお客さんが英語で話している。
都会のお店では、スペイン人も英語で会話するのかと軽いカルチャーショックを受ける。
そして、よほど助けにいこうかと思ったが、荷物が重いのと、疲れすぎていた。
「…じゃあ、その抹茶ラテで」
お客さんがしぶしぶという感じで抹茶ラテを注文したことに安堵し、大丈夫ですよ!あなたの言っているグリーンティーラテというのは、このお店では抹茶ラテのことだと思いますから!
心の中でそう話しかけた。
後で、ごみを捨てに行ったら、店員さん同士の会話が聞こえてきた。
「いいかい、グリーンティーラテと英語で言われたら、それは抹茶ラテだからな」
「はい、グリーンティー、抹茶ですね。わかりました!」
すっかり安心して、お店を後にする。
その後、調子に乗って散歩をしたら迷子になった。
今自分がどこにいるかわからず、大学まで戻るのに結構な時間がかかってしまった。
◆
水曜日の授業もディスカッションだった。
参加することに意義がある。
そのスタンスは変わっていないので、この日は2回ほど手を挙げて暑苦しく話した。
先生が私の名前を憶えており、話を最後まで聞いてくれたので喜ぶ。
水曜日、木曜日のクラスもグループワークがあるようだ。
ロシオ、カルロスが、また俺らで一緒にやろうぜ!と言ってきたので、そうすることになった。ただ、水曜日と木曜日のプロジェクトは4人でやるので、あと1人足りない。
新しい学生が何人か今週から来たので、その中の誰かに聞いてみよう。
そう話して、授業が終わるとともに小走りで駅に向かう。
今日も1本早い電車を予約できた。
嬉しすぎる。
木曜日
今日は朝から出かけなくていい。
ほっとして、少しだけゆっくりした。
お昼ご飯も作れたことに喜ぶ。
木曜日のクラスは、先週は授業中にテキストが配られ、その場で読まなければいけなかった。私はほとんどついていけなかった。
休み時間に先生のところに行き、お願いすることにした。
「先生、今日もクラス中にテキストを読みますか?」
「その予定だけど、どうして?」
「もしできれば、事前にそのテキストをアップロードしていただくか、何を読むか教えて頂けたらとても助かります。私のスペイン語力では読むのに時間がかかるため、クラスのときにとても読み終えられないからです」
「あなた、それだけいろいろ話しているんだから、問題ないでしょう?」
「問題大ありなんです。わからない単語もありますし、テクニカルな話になると、家で調べないと大変です。おそらく、ほかの外国人学生もそうだと思います」
「あらそう!そしたら、例えば今この休憩時間中に配るっていうのはどう?そしたら、少しは読む時間が増えるでしょ?」
「わあ!ありがとうございます!」
「ところで、私ってば早口でしょ?言ってね、わからなかったら。リピートするから。癖なのよ、どんどん早くなっちゃって!」
先生にお礼を言い、バナナマフィンを一瞬で食べ終わり、テキストを読み始める。
言ってみるもんだなあ。
ただ、この日、クラスで気になることが起こった。
新しく来た外国人学生の1人は、フランス語を話すようだ。
スペイン語はあまりできないという。
そのため、授業についていけないから、課題のテキストは英語またはフランス語で書かれたものも含めてほしい。
そのようなことを先生に言ったという。
先日、その学生は授業中に「フランス語でもいいですか」と言って、突然フランス語で話し始めた。
一瞬にして教室の空気が凍り付くような気がした。
その学生が言っていることがわかる人はほとんどいない。先生はフランス語ができるようで、2人でフランス語で話していたが、誰も何の話をしているのかわからないまま数分が過ぎた。
その学生と先生がフランス語で話している間、1人の学生がぼそっとつぶやいた。
「スペイン語で話してよね」
外国人がスペイン語の授業についていくのは決して簡単なことではない。先生の話すスピードも、早送りですかこれはと思うぐらい早い。私も毎日あっぷあっぷしている。ときにはあきらめることもある。
でも、それでも。
「授業はスペイン語で行われる」
履修要綱にそう明記されているのだからと、いくら私のスペイン語が幼稚園でも、おもしろくても、スペイン語で話すようにしている。
もし英語なら、まだよしとされるのかもしれないが、カルロスとロシオは機械翻訳で英語の論文を読んでいた。ほかの人も、もしかすると似たり寄ったりかもしれない。ましてや、フランス語となると、わかる人がほとんどいない。
◆
もしかすると、その学生のそういった態度が鼻についたのだろうか。
グループプロジェクトのときに、誰もその学生を自分たちのグループに入れたがらなかった。皆、我先にと、スペイン語ネイティブの新しい学生をグループに誘っていたからだ。
カルロス、ロシオ、私の3人はどうしたかというと。
呑気な私たちは、もう1人誰かをグループに入れること自体を忘れていたのと、ほかのグループが我先にとそんなことをやっていることすら知らなかった。
気が付いたら、ロシオは先生に「私たちこの3人でやります!」とメールを送っていた。
あれ、でももう1人必要じゃないの?
気づいた後、新しいクラスメートたちに声をかけた。皆もうすでにほかのグループに入っている。残っているのは、フランス語を話すその学生だけだ。しかし、今日はクラスに来ていない。
カルロスとロシオは困った顔をした。
「あのね。私たちは英語がわからない。あの学生はスペイン語がほとんど話せない。そして、そもそも毎日学校に来ていない。どうやって一緒にグループワークをするというの?」
「そうだよ。コミュニケーションがとれないのはまずい。グループプロジェクトクトである限り、僕たちの成績も悪くなってしまう」
それを聞いてどきっとした。
私もスペイン語のネイティブスピーカーではないではないか。私が入っているせいで、2人の成績が下がってはまずい。
「あのね、私もね、言語面では迷惑かけると思うけど、全力で取り組むので」
そういうと、2人が笑った。
「何言ってるの、あなたのスペイン語は心配してないの」
「それに、万が一わからない言葉があったら、僕たちが助けるじゃないか」
毎日最前列に座っている私のやけくそは、少なくともこの人たちには伝わっているかもしれない。
そう思ったら、少し泣きそうになった。
ただ、新しい学生のことは気になっている。
その人のスタンスはわからないが、もし外国人であることだけで差別されるとしたら、それはおかしい。ただ、クラスの共通言語であるスペイン語で話すことは必要だ。
毎日来ないので、私は話したこともないが、今度会ったら話しかけてみよう。スペイン語で。
帰り、クラスが終わる前に教室を出る。
何が何でも1本早い電車に乗るためだ。
金曜日
朝から大学へ。
今日は修士論文のアドバイザーを決めるため、興味のある先生にアポをとっていた。
張り切ってアポを取ったはいいが、先生の部屋がどこにあるかわからなかった。
「事務室で聞いてみて。もし、それでもわからなかったら迎えにいくから」
先生がそう言ってくれたので、安心して事務室に向かう。
「あ、それはな、ここずーっとまっすぐ。最後までまっすぐ。最後までやで。そんで、右や!」
おじさんの案内に従い、迷宮内の廊下をまっすぐ進む。
最後までまっすぐ。
突き当りまで来た。
右や!
そう思って右を見たら、右には壁しかなかった。
行き止まりじゃないか!
慌てて引き返す。
迷宮の廊下が長すぎて、もうとっくに約束の時間を過ぎている。
「ぎゃー!右には道がありませんでしたよ!!」
さっきのおじさんは、電話で話している。
必死で説明する私に、女性のスタッフが言った。
「私が連れて行ってあげるわ!」
親切な女性にお礼を言い、一緒に歩き始める。
「あのねえ、ここはほんとに迷宮なのよ。だから、場所をある程度把握してないと、新しい人は迷っちゃうわ」
その女性は、さっきの私と同じように廊下をまっすぐ歩いたが、途中で右に曲がった。すでに最初のおじさんの指示と違う。
そこには人類学の教授室がずらりと並ぶ廊下があった。
私もここには水曜日に来たが、今日会う先生の部屋はどこにもなかった。
その話を女性にすると、おかしいわねえという。
確かにないわ。
秘書室へ2人で向かう。
「〇〇先生の部屋ってどこかしら?」
「ああ、あの二階ですよ」
あの二階?
階段などどこにもなかった。
迷宮を2人でうろつく。
「もしかして…」
そう言って、女性は隠し扉のようなドアの向こう側に消えた。
こんなところに別の廊下があるのか。
そう思っていると女性が叫んだ。
「多分ここよ!!!ここの階段を上がりなさい!」
階段?
そう思って見上げると、木の階段がそっと置かれていた。
これ、私が乗っても壊れないだろうか。
そして、階段の上には、隠し部屋とでも呼びたくなるようなものが2つあるのが見えた。
「ええ、ここ、ここが教授室ですか?!」
「行ってみなさい、いいから!」
おそるおそる階段を上がり、部屋の前に立つ。
先生の名前が書いてあるプレートが見えた。
「あー!ありました、ありました!ここです!!」
「よかったわー!!いってらっしゃい!」
興奮したまま、ドアをノックする。
「どうぞ」
ドアを勢いよくあけてしまった。
赤いレザージャケットの先生が見える。
「唐草ね。どうぞ、座りなさい」
名前をK先生とする。
冷たい感じのする話し方に、これはもしかすると、私の勘違いだったかなあ、この先生にアドバイザーをお願いするのはやめたほうがよかったかなあと不安になった。
でも、来てしまったものは仕方ない。
とりあえず、自分が興味を持っている内容について話し始める。
途中で興奮しすぎて自分でも何をしゃべっているかわからなくなった。気がついたら、自分の両親の話までしており、15分の予定が1時間半になった。
私が話し終えると、先生はふふふと静かに笑った。そして、私の興味があることが自分の研究領域とマッチしていることを教えてくれた。
もう少しテーマをしぼること、フィールドワークをやるのかやらないか、対象は誰にするのか、仮説をどうするかなどについて、たくさんアドバイスをもらった。
なんでも質問しなさい
そう言って、K先生は微笑んだ。
もう1人、火曜日の先生とも話をするつもりだが、どちらかの先生に決まるといいなあと思っている。
チュートリアルを終え、携帯を見ると、クラスメートからメッセージが届いていた。
「唐草ー!私、あなたの後にチュートリアルなんだけど、K先生の部屋ってどこ?!全然わからなくて、迷ってるんだけど!!助けてー!」
やはりここはスペイン人も迷う迷宮らしい。
◆
ボカディージョをいつものベンチで食べた後、スターバックスに行き、抹茶ラテを飲む。
万歳、シティライフ!
友人に写真を送ったら、にやにやした返事がきた。
普段の私の田舎暮らしぶりを知っている彼女にとったら、私がおしゃれに抹茶ラテなど飲んでいる様子がおもしろくて仕方がないのだろう。
法律の授業は、先生に大変申し訳ないがほとんど聞いていなかった。
休憩時間に隣の学生の顔を見たら、「私も聞いてなかった」とでも言わんばかりの顔をしたので笑ってしまった。
早い電車で帰れる喜びをかみしめる。
土曜日
研究テーマについて考える。
日曜日
ロバたちは留守だった。
早くも3週間が終わった。
明日こそプレゼンがあるのだろうか。
先週、1人の学生が言った。
「あなたたちのグループ、唐草がプレゼンするの?すごいわね」
あれはもしかすると嫌味だったのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
私は私の今できることをやるだけだ。
任せてくれたロシオとカルロスに感謝しつつ、明日もやけくそで進もう。
にゃー!
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