労働学生生活(インターン)~椅子は拭くもの、果物は目くらましの術で
週末、ダウンジャケットとスニーカーとかばんを洗った。
春もやってきたことだから。
ありがとうございます、よくぞともに闘ってくださいました。
私とともに冬を越えてくれた同志たちにお礼を言いながら、よく晴れた日曜日朝にごしごしとやった。
ユニクロのダウンジャケットを洗っていいものか一瞬考えたが、まあ大丈夫だろう。今のところ、ダウンのふわふわは保たれているようだから。
先週はずいぶんと低いところからスタートした。
これらを念仏のように唱えながら過ごした一週間弱。
火曜日のクラスは、論文がスペイン語で書かれている場合はクラスの前日にメールでそれらを送ってもらえるようになった。
送られてきた論文3本を読むのに数時間を要したが、授業中に皆一斉に読んでそのままディベートに入るよりは不安がいくらか減った。少なくとも、ディベートが始まるときに最後まで読めているからだ。
そのせいか、今回は何度か発言することができた。ほっとした。
水曜日はクラスがなかった。
午前中、論文を読んでいると、クラスの代表からグループラインのようなものが届いた。
「今日はクラス休みだけどみんな知ってるよね」
慌てて電車のチケットをキャンセルした。
読んでいた論文を机の脇に置いた。
ぼおっとしていたのだろう。知らなかったのは私だけだった。
◆
木曜日と金曜日は市役所に行った。
結果的に、それはそれは濃い2日間となった。
木曜日は、翌日に控えたイベントの最終確認を簡単に行うはずだった。
しかし、私は知らなかった。
イベントのプログラムも、役割分担も、未だ決まっていなかったことを。
予定来場者は700人ぐらいと聞いている。
誰が仕切るんだろうか。
来場者に行う簡単なアンケートを15分で作ってくれないかと松さんから言われたのもこの日だった。去年のアンケートを「今」見たんだけど、気に入らないからという理由だったようだ。
じゃあ、30分後に会場(公園)集合ね!と言ってオフィスを出ていった松さんの背中に向かって文句のひとつやふたつ言いたくなったが、アンケートをやけくそで作成し、慌てて会場に向かった。
誰もいないじゃないか。
この日のアンダルシア田舎は27度。
松さんどころか、ほかの関係者も、イベントに使う机やら椅子などを持ってくる人たちもいない。
日陰のほとんどない公園で、私はひたすら待つことになった。
かばんも持たずに慌てて出てきたことを後悔した。
明日は帽子を持ってこよう。
ああ、アンダルシアだなあ。
市役所とはいえ、物事は予定通りに進むわけがなかった。
自分の影で遊びながら、誰もいない朝の公園に微妙な笑い声を響かせていると、松さんが登場した。
続いて、ほかの人たちもぞろぞろとやってきた。会ったことがない人たちもたくさんいる。
ここで初めて、明日の役割分担について話し合いがもたれた。
しかし、皆同時に話すから、何も決まらなかった。
松さんがイライラして部屋を出ていった。
予算がないため、来場者に配る予定の果物は25キロ、ペットボトルの水は150本しかないらしい。
700人来るから、くれぐれも果物や水を積極的に配布しないように!
具合が悪くなった人、お腹が空いた人だけに渡すようにね!
そんな注意が飛ぶ。
25キロの果物ってどれぐらいだろう。
見に行ってみた。
机の上に5つの箱が置いてある。
25キロはないように思う。
私の後ろにいた女の人が言った。
25キロじゃなくて5キロじゃないのこれ?!
やっぱり予算が足りなかったんだろうか。
メロンとパイナップルは切り分けないと配れない。
こうなったらメロンとパイナップルで量をごまかすしかないわ。
職員の1人が言った。
なるほど、メロンとパイナップルは目くらましのために持ってこられたものだったのか。
不景気なので市役所もやりくりが大変だと思っていると、隣に積み上げられていた椅子が目に入った。
700人分の椅子を頼んでいたのだが、会場に搬入されたのは100人分だったようだ。
しかも、リクエストしていた新しいタイプの軽い椅子ではなく、昭和によく見かけた鉄の椅子だ。
どうやら、市役所のほかのイベントで新しい椅子を使っており、明日は申し訳ないけど昔の椅子でやってねということらしかった。
おまけに、この椅子は埃だらけだ。
インターンの私でも、足りなさすぎる果物と昭和の椅子を前にちょっと不安になってきた。
こんな汚いものに市民の皆さんを座らせるわけにはいかないじゃないか!
数も全然足りないわよ!
松さんだけでなく、山さんたちもちょっとイライラしている。
ほかの数十人が翌日の役割分担と草刈りの手配(なぜかイベントの始まる1時間前に行われることに)とイベントの進行を確認している間、松さん、山さん、彼女たちの上司である花さん、私の4人で、100人分の椅子を雑巾で拭くことになった。
昭和の椅子は頑丈で重い。
実に重い。
漂白剤とアンモニアならあるわよ!
花さんが言う。
そんなの私は素手で触れないわよ!
松さんが叫ぶ。
から拭きと水拭きの人を分けましょう!
山さんが言う。
じゃあとりあえず椅子を全部出します!
私が叫ぶ。
どこからか、洗剤のようなものを花さんが持ってきた。
水の入ったバケツに入れると、泡が立った。
松さんたち3人が雑巾で拭いたものを私は外に持っていき乾かす。
乾いたらまた建物の中に入れる。
ということをアンダルシアの太陽のしたで、永遠に続くと思われるような時間をかけてやった。
3人は前かがみになりながら、必死で椅子を拭いている。
しかし、彼女たちが使っていた雑巾がそもそも汚かったのだろうか。椅子についている泡が茶色い。これでは、拭いてきれいになったのか、余計に汚くなったのか、私にはもうわからなかった。
イベントの前日に、私たちは何をやっているんだろうかな。
ところどころに茶色の泡がついた椅子を運んでいたら、おかしくてたまらなくなった。
同時に、この瞬間は私のインターン生活の一番の思い出になるかもしれないなとも思った。
カメラを取り出して、3人がやけくそになって椅子を拭いているところをこっそり撮った。
あるとき、花さんが叫んだ。
こんなの、日本から来た唐草に見せちゃだめよ!スペインのめちゃくちゃさがばれちゃうじゃないの!もうやだ!!
その言葉に私が笑いだし、皆が私を見てさらに笑った。
唐草のあの顔見てごらんなさいよ!
山さんが腕まくり中腰のまま叫ぶ。
埃と汗でどろどろになりながら、そして翌日にきっとやってくるだろう腕の筋肉痛と日焼けを想像しながら、私は笑いが止まらなかった。
◆
金曜日は朝早くからイベント会場である公園に向かった。
前日まで何も決まっていなかったのに、いざというときのスペイン人の結束力はすごい。そして、まだ朝も早いのに、まるで栄養ドリンクを飲んだかのようなフルパワーと明るさだ。机や椅子を運びながら皆けらけらと笑っている。途中、何もないところで踊りだす職員さんがいるかと思えば、朝ごはん食べてくるわ!、コーヒーで気合い入れてくるわ!、たばこ吸ってくるわ!と上手に抜ける人もいる。この間は車を市役所に置いていった海さんが真っ赤なシャツに黄緑のサングラスをかけて踊っている。かっこいいですね!と言ったら、抱き着かれた。
草刈も含め、奇跡的にすべての設営を終えた。
開場5分前だった。
大体の来場者は700人と聞いていたが、実際は1000人ぐらい来たらしかった。
小、中学生だけでも400人以上来たようだ。
学校の先生に引率された彼らは、ステージから流れる音楽に合わせて叫び歌い踊り狂っていた。その隣では、先生が一緒になって踊っていた。その後ろでは、松さんたちが踊っていた。その隣で、私は踊っているのかいないのかどちらともいえない足踏みをしながら皆の姿を写真に収めることにした。
各ブースでは、さまざまなアクティビティが行われていた。
大人も子どももきゃあきゃあ楽しんでいる。
私の仕事は市役所のウェブサイト掲載用の写真撮影、市役所ブースでの対応、全体の状況確認だった。
カメラを持っていると、僕も撮って!私も撮って!と集まってくる子どもたちがいた。
年齢問わず、アンダルシア人1人1人から放たれるエネルギーの強さといったらない。写真を撮りながら、彼らのエネルギーを受け止めるのに私は必死だった。前にも書いたが、彼らの自己発電力は相当のものだ。
アンダルシア人が100人集まったら、風力発電ならぬアンダルシア力発電ができそうだと私は本気で思っている。誰か一度調べてほしい。
イベントも終盤近くなったころ、普段、円卓会議では一言も話さない男性が話しかけてきた。
なんと、この物静かな男性アントニオは、私が今通っている大学で看護について学び、その後で人類学を勉強したようだ。
私の話を聞き、懐かしくなってずっと話したいと思っていたのだと言ってくれた。会議では一言も話さなかったが、人類学の話になると目を輝かせて話しまくるその人が言った。
「もう20数年前になるだろうかな。先生は言ったんだよ。君たちは、卒業して数年もすると、ここで勉強した理論は全て忘れてしまうだろう。しかし、『物事について考えること』は忘れないだろうってね」
アントニオは、卒業して看護師になった。
あのとき勉強したことは仕事にも生かされているよ。だから、円卓会議でも僕はいつだって観察しているのさ、ふふふ。なんてね、僕は単にシャイだからってのもあるんだけど!
君のインターンが終わってもまた話そう!
そう言ったアントニオと電話番号を交換した。
そのほかには、あるNPOのブースを訪ねたところ、彼女たちが修論アドバイザーのK先生と友達だったことがわかり驚いた。7年前のK先生の写真を突然見せられたものだからたまらない。迷わず激写し、K先生に送ることにした。
アンダルシア田舎は狭い。
結果的に、何から何までアンダルシアスタイル(つまり全部いきあたりばったり)で進んだイベントは大成功だった。
私のストレスも、全部持って行ってくれたようだ。
撤去作業のとき、松さんをはじめとする皆の笑顔がまぶしく、私は何度か下を向いた。
この子、もうすぐインターン終わるから行っちゃうのよと山さんがほかの職員さんたちに話しているのが聞こえた。
次いつゆっくり会えるかわからないから。
そう言って、何人かの職員さんが抱きしめにきてくれた。
市役所でしか通じない冗談を言いながら。
この日も私の観察ノートは真っ黒になった。
そして、この日、400枚以上の写真を撮った。自分の写真は1枚もないが、はじけるような笑顔のアンダルシア人たちが写っている写真を見ながら、確かに私はこの場にいたんだなあと思っている。
◆
日曜の夜、すっかり乾いていい匂いになったダウンジャケットをはじめとする私の同志たちをクローゼットにしまい込んだ。
急に洗濯したくなったのは、春になったからだけじゃなくて、ほかにも理由があったのかもしれない。
今週も早くも火曜日が終わろうとしている。
皆さんからのアドバイスをもとに、
明日からもサボることと休むことを仕事にしながらまいろう。
◆
かの地の友人たちは、シェルターで寝ずに過ごしたという。
翌朝、皆が無事を知らせてくれた。
こわくてたまらなかった日本語の学生さん、不安で血圧が上がり降圧剤を飲み猫とシェルターで過ごした友人、愛してるよと送ってくれた友人たちから届いた「今から少し寝る」というメッセージに少しだけ安堵する。
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